ハリウッド・コメディ映画 第91位「ふたり自身」新婚夫婦の破局を描くブラック・コメディ! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「ふたり自身」

(原題:The Heartbreak Kid)

 

The Heartbreak Kid (1972) - IMDb

 

「ふたり自身」 全編

 

1972年12月17日公開。

現代の若い男女の恋愛と結婚の機微を描く青春コメディ。

興行収入:5.6百万米ドル。

 

原作:ブルース・ジェイ・フリードマン

脚本:ニール・サイモン 

監督:エレイン・メイ 

 

キャスト:

チャールズ・グローディン:レニー・カントロー
シビル・シェパード:ケリー・コーコラン
ジェーニー・バーリン:ライラ・コロドニー

 

Close to You: Elaine May's The Heartbreak Kid (1972) – Senses of Cinema

 

あらすじ:

スポーツ用品のセールスマン、レニー・カントロー(チャールズ・グローディン)は、27歳のニューヨーカー。

ある日、彼はサード・アベニューでライラ・コロドニー(ジェーニー・バーリン)を見初め、デートを申し込んだ。

やがて求婚し、式を挙げた。

地味なレセプションの後、新婚旅行に出発した。

初夜はバージニアのモテルで過ごすことになったが、車中、レニーは、デイト期間中は気付かなかったライラの特異な性癖が判ってきた。

たとえば彼女はおしゃべりであり、何かと彼を質問責めにした。

その初夜のベッドでの質問はあまりにもはしたないもののように思えた。

マイアミ海岸に到着する頃、レニーはライラが鼻につき始めた。

ライラは泳げないので、レニーは彼女から逃げるように浜辺へ飛び出した。

そして、ケリー・コーコラン(シビル・シェパード)という若いブロンドの美人と近づきになった。

両親と共にバカンスを楽しむケリーは典型的なアメリカ娘で、スマートで、水泳がうまく、ライラとはまるで違うようにレニーには思えた。

彼はたちまちケリーに参ってしまった。

一方、ライラも海岸へ出てきて日光浴をしていたが、翌日肌は真っ赤にやけ、眼はあかないくらいはれあがってしまい、歩くことすらできなかった。 

喜んだのはレニーで、これ幸いとばかり口実を設けてケリーと遊び回った。

彼女の父親と母親と共にヨットに乗ることになったが、レニーは終始黙殺された。

それでも2人はヨット遊びを楽しんだ。

やがて、レニーはケリーの父親に、彼女との結婚を申し込んだ。

すると、一家はケリーを連れてミネアポリスへ引きあげてしまった。

ライラと離婚する決意を固めたレニーは、ライラを強引に納得させ、結婚解消を承知させた。

彼は早速ニューヨークへ帰り、弁護士をしている従兄のラルフに手続きをしてもらい、ケリーを追ってミネアポリスへと飛んだ。

ケリーの家をたずねた彼は、父親に門前払いされたが、このままひきさがることはできなかった。

ミネアポリス大学にケリーを捜しにきたレニーだが、彼女の態度はあまりにそっけなかった。

ケリーは、彼を受け入れるか突っぱねるかを決めるため、テストをすることにした。

レニーを人里離れた小屋に連れていき、何もしないという条件で互いに裸になって向かい合った。

レニーは彼女に手出しをしなかったためにテストは合格した。

レニーは両親たちと夕食を共にすることになった。

食事がすむと父親はレニーを書斎に呼び、金はいくらでも出すから娘から手を引いてほしいといったが、彼の態度は変わらなかった。

これにはさすがのケリーの父親も屈服せざるを得なかった。

2人の結婚式は、ライラと結婚したときと同じくプロテスタントの牧師主宰のもとで型通りに行なわれ、彼は新しい隣人たちや、将来友だちとなるべき人々に引き合わされた。

地味なレセプションも前のときと少しも変わらなかった。

 

The Heartbreak Kid (1972) - IMDb

 

コメント:

 

初夜で新妻に幻滅した男が、ハネムーン先で見初めたブロンド美人に恋をして、その女性と結婚してしまう話だ。

現代の若い男女の恋愛と結婚の機微を描く青春ブラック・コメディ映画。

 

日本語タイトルの「ふたり自身」の意味が理解できない。

原題の「The Heartbreak Kid」は直訳すると「失恋した子供」だ。

だが、その内容は、けっこう辛辣なラブ・コメディのようだ。

 

この作品は、日本ではほとんど理解されにくい作品だ。

 

The Heartbreak Kid (1972) - IMDb

 

この映画の英語のWIKIPEDIAをみてみると、以下のようなコメントがずらり:

 

これは、ユダヤ人の物語であり、本作を「ハリウッドのユダヤ人のニューウェーブの最高傑作」だ。

なんと、原作のブルース・ジェイ・フリードマン、脚本のニール・サイモン、監督のエレイン・メイ、プロデューサーのエドガー・J・シェリック、作曲家のバート・バカラックなど、映画製作者は全員ユダヤ人である。

 

物語は、ユダヤ人の原型である「シュレミエル」の化身であるレニー・カントロウが、「口うるさいユダヤ人」で「ずさんで初歩的なイェンタ」のライラを捨てるというストーリーである。

(「シュレミエル」とは、ユダヤ教の経典でもある旧約聖書にある「大天使ジェレミエル」のことらしい)

 

この映画は、ブルース・ジェイ・フリードマンが原作の短編小説の中で「奇妙なブロンドの人々」の土地と呼んだ場所で起こる、シクサを追いかける無表情の熱狂的な夢だという。 

特にライラの性格は非常にステレオタイプであるとレッテルを貼られている。

 

映画誌フィルム・クォータリーは、彼女を女性のポートノイに例え、「フィリップ・ロスの友好的な反ユダヤ主義はフリードマンのそれに驚くほど似ている」と述べた。

 

一部の批評家は、この映画が現代のユダヤ人女性の堅苦しい見方を推し進め、暗黙のうちに次のような疑問を投げかけていると懸念を表明している。

「なぜ、耳障りで洗練されておらず、認識できる歌謡的なユダヤ人のイントネーション(ユダヤ語の影響)で話す、やや太り気味のユダヤ人の女の子と結婚しなければならないのか」 

 

新婚旅行でライラを高揚して乾いたままにしてしまうレニーの典型的な貧乏ユダヤ人としての行動は軽率だ。

チャールズ・グローディンは後に、「自分はこの役を誠実に演じたが、映画を観る観客の意識の中に、自分自身を嫌な奴としてほとんど消えない刻印を入れてしまった」と語った。

 

多くの視聴者が、この映画を批評ではなく、まさにユダヤ人の不快感を描いたものだと誤解しているとの評価もある。

「お世辞を言いながら、この映画がどれほど好きで、その登場人物にどれほど共感しているかを語ってくれた男性の数もまた多い」。

 

映画の最後の瞬間では、レニーがケリーの異邦人の家族と意思疎通に失敗している様子が描かれている。

この作品は、彼がどのようにして個人の文化的伝統を放棄したのか、そしてそれをどれほど懐かしんでいるかを浮き彫りにしている。

大きな十字架が頭上にぶら下がっている中、ケリーに向かって通路を歩いたレニーは、一人でソファに座り、相変わらず無気力で疎外された中西部のキリスト教の海を泳いでいているようだ。

 

というような、米国におけるユダヤ教徒の見方が分かる人には分かる、単純なコメディではない特異な作品のようだ。

 

 

この映画は、同じ原題で、2007年にもリメイクされている:

ライラにお手あげ』(原題:The Heartbreak Kid

2007年のアメリカ合衆国のコメディ映画。 

監督はファレリー兄弟。

出演はベン・スティラー、ミシェル・モナハン、マリン・アッカーマンなど。 

一目惚れの末に結婚した妻の本性を新婚旅行で知って幻滅し、他の女性と恋に落ちてしまった男を描いている。

 

 

この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。