「ロイドの人気者」
(原題:The Freshman)
1925年9月20日公開。
“ロイド眼鏡”にその名を残す、サイレント期の3大喜劇王の一人、ハロルド・ロイドの代表作。
興行収入:2.6百万米ドル。
脚本:アーサー・ロス
監督:ハロルド・ロイド
キャスト:
ハロルド・ラム:ハロルド・ロイド
ペギー:ジョビーナ・ラルストン
学部長:ブルックス・ベネディクト
コーチ:パット・ハーモン
チェット・トラスク:ジェームズ・アンダーソン
あらすじ:
ハロルド・ラム(ハロルド・ロイド)は、目は鋭いが素朴な青年。
テート大学に入学することになり、そこに向かう電車の中で、彼はペギー(ジョビーナ・ラルストン)と出会って、
すぐ惹かれ合う。
ハロルドは、学校での人気を獲得する最善の方法は、映画のアイドルであるカレッジ ヒーローを見習うことだと思い、挨拶する前に行うちょっとした行動を真似たり、あだ名を「スピーディ」にしたりするなど、真似をする。
しかし、大学の学部長(ブルックス・ベネディクト)はすぐに彼を現在進行中のジョークのネタにするが、新入生は幸いにもそのことに気づいていない。
ハロルドは自分が人気者だと思っているが、実際には学校中の笑い者だった。
彼の唯一の本当の友達はペギー。
ペギーは家主の娘であることが判明する。
ハロルドはフットボールチームに入ろうとしていた。
コーチ(パット・ハーモン)は感心しなかったが、ハロルドが唯一の練習用タックルダミーを壊してしまったので、代わりにハロルドを使うことにする。
しかし、練習の終わりに、コーチはハロルドの熱意を認めた。
コーチがハロルドを首にしようとしたとき、チームのキャプテンでスター選手のチェット・トラスク(ジェームズ・アンダーソン)が、彼をチームに加わったと思わせながら、彼をウォーターボーイにすることを提案する。
ハロルドはフットボールの大きな試合に出場して自分の力を証明しようと決意する。
彼のチャンスは突然訪れる。
相手チームがあまりにもタフであることが判明し、テートカレッジの選手の多くが負傷し、コーチが代わりの選手を使い果たすほどになったときだった。
ハロルドに追い詰められ、他の選手を見つけられなければ失格になると主審に警告されたコーチは、しぶしぶハロルドを出場させる。
最初の数プレーは悲惨なものだった。
だが、最後に彼は、笛が聞こえたらプレーを中止するという主審の事前の指示を念頭に置いて、試合に勝利しようと、フットボール以外の笛が鳴ったとき、エンドゾーンのすぐ外にサッカーボールを落とした。
音が鳴る。
残り 1 分で相手チームがボールを回収する。
チームメイトたちは落胆するが、ハロルドは最後の努力をするよう彼らを鼓舞する。
彼は相手のボールキャリアーを追いかけ、ボールをはじいて緩め、それをすくい上げて、時間切れになると決勝のタッチダウンまでずっと走り返し、ついに彼が追い求めていた尊敬と人気を獲得したのである。
ペギーは彼への愛を宣言するメモを彼に渡すのであった。
コメント:
憧れの大学で、学内一番の人気者になりたいお人好しの新入生のハロルドは、実際はみんなにからかわれていることに気付かない。そんな彼がフットボールチームに参加。
と言ってもウォーターボーイなのだが、そんな彼がひょんなことから強引に試合に出場。ヘマとドジを連発し、足を引っ張っているように思えたとき、意外な彼の活躍で試合で勝利をおさめてしまうのだった!
この映画は、ロイドの最も陽気でよく構成された映画の 1 つと広く考えられており、1920 年代で最も成功したサイレント映画である。
公開当時非常に人気があり、大学映画のブームを引き起こし、その後も長く続いた。
この映画は、サウンド時代以降も広く入手可能なロイドの数少ない映画の 1 つであり、彼はこの映画をリメイクし、1960 年代の編集映画で拡張シーンを使用した。
フットボールの試合のシーンは、ロイドとプレストン・スタージェス監督によって、ロイドの最後の映画『ハロルド・ディドルボックの罪』(1947年)でも再利用された。
この作品は、白黒のサイレント映画だが、映像が鮮明で、映像の合間にたくさんの説明やセリフが挿入されていて、分かりやすい。
主人公を演じるロイドは、若々しく、ハンサムで、何といってもあのロイド眼鏡が印象に残る。
この映画の監督・主演をつとめたハロルド・ロイドはハリウッド草創期のスター。
ハロルド・クレイトン・ロイド・シニア(英: Harold Clayton Lloyd, Sr.、1893年4月20日 - 1971年3月8日)は、アメリカ合衆国のコメディアン。
1920年代のバスター・キートン、チャールズ・チャップリンと並び活躍したサイレント映画のスーパースターの一人である。
子役、エキストラを経て、約200本近くの映画に出演。
多くの作品にカンカン帽にセルロイドの丸ぶち眼鏡という独特のスタイルで登場した。
都会的な一好青年によるドタバタ喜劇というのが特徴で、気弱な主人公が、いざ恋する女性のために一念発起、大奮闘する姿がよく描かれた。
この丸ぶち眼鏡を通称ロイド眼鏡というのは、彼にちなんでいる。
1919年8月24日に、ロスアンジェルスの写真撮影所でスチル写真撮影時に、爆発事故により右手の親指と人差し指を失くし、それ以降は義指着用となった。
『要心無用(1923年)』の有名なビルディング・アクションも、義指をつけての演技である。
その後、傑作『豪勇ロイド(1922年)』や、『猛進ロイド(1924年)』を発表。
1925年には本作『ロイドの人気者』が興行成績において同年のチャップリンの『黄金狂時代』を上回った。
相手役も『ロイドの巨人征服(1923年)』より名花ジョビナ・ラルストンに代わり、1年に1本の割合で長編作品を作り続けた。
尚、日本でも、明朗快活でモダンなロイド喜劇は一世を風靡し、巨匠・小津安二郎監督などにも影響を与えている。
小津作品の『大学は出たけれど』や『和製喧嘩友達』のセットにロイド作品のポスターが使用されている。
この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。