ハリウッド・コメディ映画 第22位「アダム氏とマダム」夫婦の法廷闘争を描くコメディ! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「アダム氏とマダム」

(原題:Adam's Rib)

 

アダム氏とマダム』(1949 米) : 映画の心理プロファイル

 

「アダム氏とマダム」 予告編

 

1949年11月18日公開。

検事補と弁護士の夫婦が男女問題で争う姿を描くコメディ。

男勝りのキャサリン・ヘプバーンが最高。

 

脚本:ルース・ゴードン、ガーソン・ケニン

監督:ジョージ・キューカー

 

キャスト:

  • アダム・ボナー : スペンサー・トレイシー
  • アマンダ・ボナー : キャサリン・ヘプバーン
  • ドリス・アッティンジャー : ジュディ・ホリデイ
  • ウォーレン・アッティンジャー : トム・イーウェル
  • キップ・ルリー : デヴィッド・ウェイン

 

アダム氏とマダム - Wikipedia

 

あらすじ:

ドリス・アッティンジャー(ジュディ・ホリデイ)は夫のウォーレン(トム・イーウェル)後をつけてベリル(ジーン・ヘイゲン)との不倫現場に乗り込み、怒りに任せて銃を発砲し、夫を負傷させる。

翌日検事補のアダム(スペンサー・トレイシー)と弁護士のアマンダ(キャサリン・ヘプバーン)の夫婦は、この事件を新聞で読む。

アマンダはドリスに同情し、浮気をした男女に対する見方に差があることに憤慨し、アダムはドリスが殺人未遂を犯したという事実を重視して激しい口論になる。

ところが、アダムは職場でこの事件の検事を担当させられ、アマンダもドリスの弁護人を引き受けてしまった。

その夜両親や判事、向いの部屋の住人で、アマンダに思いを寄せる歌手のキップ(デヴィッド・ウェイン)たちを招いてパーティを開くが、アダムは終始不機嫌。
裁判が始まり、アマンダは男女平等を主張し、ドリスは夫の浮気と精神的虐待によって追い込まれたと弁護し、アダムは犯罪は事実で、アマンダが法律を軽視していると論戦を展開する。

二人の闘争は世間の注目の的となり、家庭内での緊張も高まっていく。

そして、アマンダが証人として準備した怪力の女性にアダムが法廷で持ち上げられ、屈辱を感じたアダムはその夜こんな女性とは生活できないとアパートを飛び出した。

そして最終弁論が終わり、陪審員は無罪を判断。

原告の夫も被告の妻も和解し、子供たちに取り囲まれる中、二人は複雑な表情で退廷した。

その夜、アマンダに思いを寄せていたキップがアマンダにモーションをかける。

窓に映る影を見たアダムは激怒してアパートに帰ると二人に銃を向け、アマンダとキップは恐怖に襲われるが、その銃が甘草でできていることが判ると、三人は喧嘩を始める。
別居した二人は、しぶしぶ税理士との打合せのため再会し、その年の費用を振り返って、二人は今まで夫婦で築き上げたものに気付き、アダムが涙を流し始めると、アマンダも感動し、二人は打合せを切り上げて食事に向かう。

そして、ローンを完済した別荘に向かい、アダムは郡裁判所判事の共和党候補者に選ばれたと公表した。

ベッドの上でアマンダはそれを讃えつつ、民主党候補として立候補しようかと話す。

でもまた涙を流すと困るからと取り消すが、アダムはあの時の涙はフェイクだと話し、その場で涙を流して見せた。

そしてアダムは、男女の違いはほんの少ししかない。その違いが重要なのだというジョークを引用し、アマンダのいるベッドに飛び乗ってカーテンを閉るのであった。

 

アダム氏とマダム 〜 ロマンティック・コメディの名作 | ニューヨーク徒然日記

 

コメント:

 

検事補と弁護士という夫婦が、男女問題の法廷で反対の立場に立って争う姿を描くコメディ。

監督は名匠・ジョージ・キューカー。

 

原題の「Adam's Rib」は直訳すると「アダムの肋骨」。

 

これは、聖書にある「神は、アダムの肋骨からイブという女性を作った」という物語からきている。

日本語タイトルの「アダム氏とマダム」というのは、アダム氏とアダム氏のマダムを語呂合わせで表現しているだけで、全然面白くない。

やはり、聖書からの引用でアダム氏の妻をこう表現しているところが意味深なのだ。

まあ、日本人が「アダムの肋骨」というタイトルを見ても、これまた全然意味が分からないだろうが。

こういうタイトルで大ヒットした映画があることから、聖書が米国人の常識になっていることが良く理解できる。

 

ストーリーは、楽しそうなロマコメという印象で始まる。

キャサリン・ヘプバーンが迫力ある女性を演じていて大変魅力的だ。

スペンサー・トレイシーとの掛け合いも見事だ。

 

スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘップバーンが夫婦で2人とも弁護士。

妻が夫の浮気現場に押し入って発砲した事件の妻と夫をそれぞれ弁護することになってしまい…というコメディ。

いつもマッサージしあってて、仲のよさげな夫婦だが、夫婦対決を法廷でやってしまっては、それを家庭に持ち込むなというほうが無理だ。

めっちゃ気丈なキャサリンが家ではめそめそ泣いたり、泣いてもめげなかったりするのがコメディの王道的。
 

裁判に勝つために手段を問わないキャサリンにスペンサーはとうとうブチ切れて家を出てしまう。
それでも一歩も引かないキャサリン。

浮気するのが男なら許される世の中のおかしさを、見事なスピーチで訴えている。

1949年公開の本作でも、男尊女卑反対をしっかり表現しているのだ。

ただのコメディではない。

この映画、カメラワークが愉快。

怪力女に持ち上げられたスペンサーの視点で見下ろしたり。向かいの部屋に住んでいる男と浮気してると誤解されて大喧嘩を始めたあとで、バタン‼とドアを閉めてあと、ドンガラガッシャンと、音だけ聞こえるアパートの廊下をカメラが動き回ったり。

演技派かと思ったら「ウソ泣きの天才」だったスペンサー・トレイシー弁護士!っていう最後のオチも可笑しい。

あれだけ妻に法廷でしてやられて、腹は立つけど卑屈にならないのは、夫のほうに自信があるかからか。

これほど強い女に好き放題やらせる男の懐の深さに感心する。


法廷対決のテーマは、夫を銃で撃った妻に対する裁判なのだが、法廷劇というほど込み入っている訳ではなく、アマンダの「男女が同じ視点で見られるべき」という主張と、アダムの「事実を法で裁くべき」という論点の対立になっている。判決を導く過程は省略し、そのあとに家族の和解を登場させて、ああこれで良かったねと思わせる手法。

裁判内容自体が重視される訳ではなく、なかなか面白い見せ方だ。

日々新聞に報道される、二人の記事の写真や絵も楽しい。

夫婦の間にはいろいろあるが、最初から一貫して深い愛情が感じられる展開で、微笑ましくも安心な映画である。

 

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