ハリウッド・コメディ映画 第19位 「ヒズ・ガール・フライデー」 スクリューボール・コメディ! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「ヒズ・ガール・フライデー」

(原題:His Girl Friday

 

ヒズ・ガール・フライデー - Wikipedia

 

「ヒズ・ガール・フライデー」予告編

 

「ヒズ・ガール・フライデー」全編

 

1940年1月11日公開。

スクリューボール・コメディの代表作。

 

 

脚本:チャールズ・レデラー

監督:ハワード・ホークス

 

キャスト:

ウォルター・バーンズ:ケーリー・グラント

ヒルディ・ジョンソン:ロザリンド・ラッセル

ブルース・ボードウィン:ラルフ・ベラミー

アール・ウィリアムズ:ジョン・カーレン

 

His Girl Friday (1940) | MUBI

 

あらすじ:

映画は「新聞記者が殺人以外なら何でもやった古い時代…」というクレジットで始まる。

ウォルター・バーンズ(ケーリー・グラント)は、ニューヨークの大手新聞社で名を馳せている名物編集長。

探偵を使った贈賄や窃盗もいとわない強引な手法で次々にスクープ記事を放ってきた。

妻のヒルディ・ジョンソン(ロザリンド・ラッセル)は彼の同僚として働く敏腕記者だったが、ウォルターの強引な性格と、常に締め切りに追われる新聞記者暮らしに愛想をつかして離婚・退社。

穏やかな性格の保険業者ブルース・ボードウィン(ラルフ・ベラミー)との再婚を決め、ブルースの実家があるオルバニー(ニューヨークの州都)で主婦として静かな暮らしを始めようとしていた。

しかし、ヒルディがニューヨークを離れる前日、最後の挨拶のためウォルターを訪ねると、ウォルターは様々な策を弄してヒルディの出発を遅らせる。

そのころニューヨーク中の記者たちが追っていた大事件、警官殺しの容疑者へのインタビュー記事をヒルディに書かせるためである。

ヒルディは二度と新聞記者はごめんだと言いながら、ウォルターの懇請に負けて留置所へ入り込み、容疑者アール・ウィリアムズ(ジョン・カーレン)への取材に成功する。

アールは既に死刑を宣告され、刑の執行を翌朝に控えていた。

しかしヒルディは取材するうちに、腐敗したニューヨーク市長が選挙の宣伝に利用するためアールに無実の罪をきせて死刑を強行しようとしていることに気づき、政界の暗部を暴く大スクープの予感に夢中になっていく。

その間、ウォルターはヒルディの戻りを待っている再婚相手のブルースを、でっちあげの軽罪で何度も拘留させ続ける。そしてヒルディと共に記者室で猛烈な取材を開始する。

彼らの動きに気づいた市長と保安官(ジーン・ロックハート)は、2人を逮捕するため記者室へ乗り込んでくるが、逮捕の瞬間、メッセンジャー(ビリー・ギルバート)が連邦政府からの死刑執行停止命令を運んでくる。

諦めた市長と保安官が帰って行き、再婚相手のブルースもまたヒルディが結局記者の世界を捨てられないことを悟り、破談を申し出て去ってゆく。

記者室に取り残されたウォルターはヒルディに愛を告白し、ヒルディはウォルターへの愛を再確認して、2人は2度目の新婚旅行を約束して抱き合うのだった。

 

His Girl Friday (1940) | The Criterion Collection

 

コメント:

 

シカゴを舞台に死刑囚の無実をつきとめる女性記者の活躍と、彼女と元夫との愛の復活を描く名作コメディ。

 

これは、単なるコメディではなく、事件を報道する出版社の編集長と敏腕女性記者という元夫婦の愛の行方を描くサスペンスとロマンスを描いている異色の作品なのだ。

 

離婚調停中のカップルがすったもんだの挙句ラストには元サヤに収まってしまう・・・といういわゆるスクリューボール・コメディの代表作である。


休む間もなく続けられるマシンガン・トークがややもするとただうるさいだけに感じられがち。

そこに込められたウィットに富んだ情報を見落としてしまいそうだ。

本作は、初見よりも二回目、二回目よりも三回目と噛めば噛むほど面白さがわかってくる類のコメディ。

 

 

タイトルの「ヒズ・ガール・フライデー」の意味するところは、有名な「ロビンソン漂流記」に出てくる犬の「フライデー」からの表現だという。

犬の「フライデー」は、漂流したロビンソンの忠犬であり、良き召使いだった。

原題「His Girl Friday」を直訳すると「彼の少女・フライデー」なのだが。

ここでは、「彼の召使い・フライデー」だという。

実は、この映画の中の「ヒルディ」という女性は召使いではなく、むしろ元夫・ウォルターと対等な存在であるという皮肉なタイトルになっているようだ。

この映画は男尊女卑の古い世界ではなく、男女平等の「ジェンダーレス」の世界を表わしているという解釈もあるようだ。

本作の公開は1940年。

日本では、戦前の昭和15年だ。

この頃の日本は、まだまだ男尊女卑、女性蔑視が横行し、妾を囲うのは全く問題にされないという時代だった。

米国が、いかに進んでいるかが分かる作品である。

たしかに映像を見ると、女性記者・ヒルディは堂々と男性たちと渡り合っている。


編集長のウォルター(ヘーリー・グラント)が最初からヒルディ(ロザリンド・ラッセル)と別れるつもりがないのは彼の挙動不審な動きから明白。

あとはいかにヒルディを再婚相手から引き離すことができるかにかかっている。

このことさえ押さえておけば筋書きは難しいことはないのだ。
元は優秀な記者だった元妻・ヒルディに記者魂を再燃させようと、あれこれ手を尽くすグラント演じるウォルターのスピーディな動きが可笑しい。

ヒルディもそのへんは先刻承知らしく、元夫の企みをすばやく見抜いている。

なかなか鋭い女として描かれているからうまく鞘に収まるかどうかがスリリングになるわけだ。


彼女は再婚相手のブルース(ベラミー)との幸せな家庭での主婦に収まる夢を語っているけれど、それはあくまで建前であり、そんな平穏な生活にはすぐに飽きてしまう女として描かれている。

だからこの勝負の芽は最初からウォルターの方にあるのだ。
 

ウォルターの策略で何度も軽犯罪で捕まり動きたくとも動きが取れないブルース。

また結局ふたりをくっつける役割を担うことになる死刑囚アール。

ふたりのアクセントも効果的に活用されていてスキなく組み立てられたジェットコースター的コメディの傑作だ。

 

ケーリー・グラントとロザリンド・ラッセルが早口でまくしたてる場面がほぼ全編を占めており、2人のロマンスそのものよりも、当意即妙な台詞のキャッチボールが映画の中心的な見せ場となっている。

 

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