山崎豊子の映画 「ぼんち」 市川雷蔵、若尾文子、京マチ子、山田五十鈴らの共演! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「ぼんち」

 

 

ぼんち 予告編

 

1960年4月13日公開。

大阪府芸術賞を受けた山崎豊子原作の同名小説を映画化。

市川雷蔵が志願して実現した映画。

大阪・船場の商家の若旦那の物語。

 

 

脚本:和田夏十・市川崑

監督:市川崑

 

キャスト:

  • 喜久治(河内屋足袋店の跡取り):市川雷蔵
  • ぽん太(芸者で喜久治の女):若尾文子
  • 比沙子(ホステスで喜久治の女):越路吹雪
  • 勢以(喜久治の母):山田五十鈴
  • 幾子(仲居で喜久治の女):草笛光子
  • 弘子(喜久治の最初の妻):中村玉緒
  • 太郎(喜久治の次男):林成年
  • 春団子(落語家):中村鴈治郎
  • 内田まさ:北林谷栄
  • きの(喜久治の祖母):毛利菊枝
  • 土合(工場主):菅井一郎
  • 和助:嵐三右エ門
  • 泰助:伊達三郎
  • 憲兵:浜村純
  • 高野市蔵:潮万太郎
  • 芸者1:毛利郁子
  • 喜兵衛(喜久治の父):船越英二
  • お福(仲居で喜久治の女):京マチ子
  • お時(女中):倉田マユミ
  • 君香:橘公子
  • 秀助:伊達三郎
  • 幾郎の里親:上田寛
  • 佐野屋:志摩靖彦
  • 久治郎:五代千太郎
  • 太郎の里親(父):市川謹也
  • 太郎の里親(母):小林加奈枝

 

 

 

あらすじ:

昭和初めの大阪・船場。

四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治は、祖母・きの(毛利菊枝)、母・勢以(山田五十鈴)にすすめられ、砂糖問屋から弘子(中村玉緒)を嫁に貰った。

河内屋は三代も養子旦那が続いたため、きのと勢以の力は絶大だった。

二人は弘子をじりじりとしめつけた。

妊娠した弘子は病気と偽って実家へ帰り、久次郎を産んだ。

家風を無視されたきのと勢以は弘子を離別するよう図った。

昭和五年、弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。

富の家の娘仲居・幾子(草笛光子)が好意をよせた。

父が死に、喜久治は五代目の河内屋の若旦那におさまった。

襲名の宴を料亭浜ゆうで開いたが、仲居頭のお福(京マチ子)にきのと勢以は魅せられた。

お福を喜久治にとりもち、娘を生まそうと企んだ。

喜久治は待合金柳で芸者ぽん太(若尾文子)と馴染みになった。

妾となったぽん太は、しきたりに従って本宅伺いに現われた。

さすがの勢以も気をのまれた。

喜久治はまた幾子が芸者に出たのを知ると彼女も囲った。

ぽん太に男の子が生れた。

きのは五万円の金で生れた子と縁切りをするよう言った。

日中戦争が始まり、世の中は不景気の一途を辿っていた。

喜久治は道頓堀のカフェーで女給・比佐子(越路吹雪)とねんごろになった。

幾子は難産の後、子癇(妊娠高血圧腎症の女性に起こるけいれん発作)を起こして死んだ。

妾の葬式を旦那が出してやることは許されない。

喜久治はお福のはからいで浜ゆうの二階から幾子の葬式を見送った。

男泣きに泣く喜久治を、お福は自分の体を投げ出して慰めた。

時代は、日中戦争から太平洋戦争へ。

喜久治は灯火管制下にも妾の家をこまめに廻った。

空襲で河内屋も蔵一つを残し全焼した。

ぽん太、比佐子、お福がやって来た。

喜久治は金庫の金を出して等分にし、河内長野の菩提寺へ行ってくれと言った。

翌朝、きのは自殺した。

戦争が終わった。

菩提寺を訪れた喜久治は、勝手にしゃべりまくる三人の女のあけすけの姿をのぞき見て、そのまま誰にも会わずに帰った。

これで放蕩も終りだとさっぱりした気持になったのだ。

昭和三十五年三月。

今は五十七歳の喜久治は、彼なりに商売に対する夢を抱いている。

だが、ぽん太の子・太郎(林成年)はいまさら足袋屋でもないと喜久治を嘲笑するのだった。

 

 

コメント:

 

原作は、山崎豊子の得意分野である大阪・船場における商家の主人と女たちを描いた傑作である。

老舗足袋問屋の一人息子・喜久治と、彼を巡る五人の女を描いた山崎豊子の長編小説。

大阪の文芸興隆に寄与したとして大阪府芸術賞を受けた小説。

 

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大映側からの企画ではなく、主演した市川雷蔵が自ら監督の市川崑に持ち込んだもので、市川が日本映画界で巨匠と評される一端となった映画『炎上』に出演した事への「御礼返し」の意味合いがあったという。

 

原作を読んだ市川は、自分の肌に合わないと感じつつも、雷蔵の「先生、御礼返しをしとくれやすや」の洒落っ気な言葉に動かされて映画化を引き受けた。

脚本は妻の和田夏十に一任して、原作にはない戦後の場面を加えるなど、大胆な脚色を行った上で撮影を開始した。

 

主演の市川雷蔵は自ら企画した事もあり、上機嫌に奔放な演技をするなど、撮影は快調だったが、1週間程たった頃、大映の宣伝部がPR用に、原作者の山崎を撮影所に呼んでくるという出来事があった。

 

山崎は当初、主演の雷蔵や出演者たちと記念写真に応じていたが、終了後に市川の所へやってくると「原作と脚本が全然違う、映画にするのをやめて下さい」と撮影中止を急遽申し入れてきた。

常軌を逸脱していると感じた市川は「あなたには既に脚本が提示されていて、原作料が渡って、こうして撮影が行われている訳だから、常識的に言えば了承されている事になる。しかし、どうあっても嫌だと仰るなら、僕じゃなく会社のほうに言ってくれ。会社が了承すれば中止になるだろうけど、かなりの製作費が消費されているから、それをあなたが弁償する事になるでしょう。それでも良ければどうぞ」と突き放し、山崎も「ええ、そのお金を払ってもいいからやめてほしい」と意に介さなかった。

 

幾ら雷蔵への御礼返しでも原作のダイジェストを作る位なら監督を辞退するつもりでいた市川だったが、結局、製作は中止されることなく、映画は無事に完成した。

 

後年、市川はあの時の山崎の態度を「ああいうことを言いたかっただけの不思議な人」と評している。その証拠に、大映は本作以降、山崎より『女の勲章』・『女系家族』・『白い巨塔』の映画化の許可を得て、製作に至っている。

 

 

今回のブログ掲載に当たり、原作を読んでみたが、「全然映画のストーリーと原作が違っている」と抗議した山崎豊子の意図が理解できない。

若干の違いはあるが、ほとんど原作に忠実に映画化されているのだ。

どうやら、「原作者である私に最初に映画化させてほしいと頭を下げなかった」ことが気に入らなかったのだろう。

 

山崎豊子という人は、井上靖の直弟子だっただけに、小説の骨子、ストーリー展開、題材のきめ細かな取材、文章表現といったすべての点で一級の手腕を発揮して、がっちりと各小説を仕上げており、男性にも引けを取らない文筆家だった。

それだけに、自分の子供以上に自作の小説に深い愛情を持っていたのだろう。

 

 

「ぼんち」とは船場商家の跡取りに対する呼び名のひとつ。

単なる「ぼんぼん」とは異なり、放蕩を重ねてもぴしりと帳尻の合った遊び方で、スケールの大きな者に与えられる愛称だという。

 

山崎豊子は、大阪の問屋街として歴史のある船場にあった昆布屋に生まれた。

多くの初期作品は、いずれも船場の商家における人間模様をテーマにしているが、この「ぼんち」は、まさに船場の若旦那ならではの苦労と喜びや悲しみを描いている素晴らしい作品である。

船場の本町筋=1930年撮影(3/25)ー昭和の船場 フォトギャラリー:朝日新聞デジタル

(昭和初め頃の船場の様子)

 

本作は、老舗に生まれたボンボン・喜久治(市川雷蔵)が、祖母と母親(山田五十鈴)の元で行う女性遍歴の物語だ。

最初は、本妻(中村玉緒)を貰うが姑2人でいびり、子を産めば離縁して子だけ育てる。

2番目は、芸者ぽん太(若尾文子)を妾にするが、公認の妾は本家に挨拶に行ったりとやはりしきたりにうるさい。

そしてもう1人、元芸者の幾子(草笛光子)も妾に。

さらに金で自由にしないという建前でカフェの女給比佐子(越路吹雪)を愛人とする。

そして最後は、女の子を産ませようと姑の計らいでお福(京マチ子)という仲居頭を妾にするが、こちらは思惑が外れ、産まず女。

船場の商売にも長け、しきたりにも従う振りをして自由に生きる息子・喜久治の生き様が描かれる。
喜久治の優しい性格を市川雷蔵が見事に演じている。

その周りを大映女優陣が支える構図となっている。

 

 

 

とにかく、主人公のボンボン・喜久治はどこに行っても女にもてるという憧れの色男で、しかも何人女を作っても女同士の戦いが起こることもないという最高の男だ。

まさに、これぞ「ぼんち」だ。

 

また、この役柄に市川雷蔵がぴたりとハマっており、自ら志願して映画化しただけに、大映の看板役者としてその存在感をしっかり残している。

 

監督が市川崑で、共演している女優たちも、若尾文子、越路吹雪、山田五十鈴、草笛光子、中村玉緒、京マチ子という美人女優が勢ぞろい。

 

市川雷蔵が演じるボンボン・喜久治と、若尾文子が演じる売れっ子・芸者ぽん太のシーンがこちら:

 

 

 

 

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