イタリア映画 「そして船は行く」 歌手の埋葬の旅の途中で遭遇した第一次大戦の始まりとは! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「そして船は行く」

(原題:E la Nave Va

 

駿河屋 -<中古>そして船は行く(映画)

 

「そして船は行く」 プレビュー

 

1983年公開。

第1次大戦勃発前夜、ソプラノ歌手の遺骨を海に葬送するために出航した船。

フェリーニ監督による歴史映画。

 

脚本:フェデリコ・フェリーニ、 トニーノ・グエッラ 

監督:フェデリコ・フェリーニ 

 

キャスト:

イルデブランダ・クッファリ:バーバラ・ジェフォード

アウレリアーノ・フチレット:ヴィクトル・ポレッティ

オルランド:フレディ・ジョーンズ

レジナルド・ドンビー卿:ピーター・シィリアー

ヘルツォーク大公:フィオレンツォ・セッラ

盲目の姉皇女:ピナ・バウシュ

少女ドロテア:サラ・シェーン・ヴァーリー

バッサーノ伯爵:パスクワール・・ディート

総理大臣:フィリップ・ロック

 

そして船は行く/Et Vogue Le Navire /ジャンフランコ・プレニツィオ | 音盤本舗

 

あらすじ:

1914年7月。

ナポリ港の第10埠頭は賑わっていた。

大西洋横断客船『グロリアN号』が、まもなく出航するのだ。

この豪華船の乗客たちは、オペラ歌手のイルデブランダ・クッファリ(バーバラ・ジェフォード)とアウレリアーノ・フチレット(ヴィクトル・ポレッティ)や新聞記者オルランド(フレディ・ジョーンズ)、レジナルド・ドンビー卿(ピーター・シィリアー)、それにオーストリア・ハンガリー帝国のヘルツォーク大公(フィオレンツォ・セッラ)と盲目の姉皇女(ピナ・バウシュ)ら、その顔ぶれは多彩だ。

実は、この『グロリアN号』の目的地は、地中海にうかぶエリモ島。

世紀のソプラノ歌手といわれた故エドゥメア・テトゥアの「遺骨は故郷の海に流してほしい」という遺言を全うするために、世界中から彼女を愛した人々が集まり、この船を借りきったのだ。

その模様を観客に教えてくれるのが、ジャーナリストのオルランドなのだ。

船上では、音楽家たちが厨房で演奏を興じ、夕闇がせまると、甲板で人々は月を楽しむ。

オルランドの心に残ったのは、美しい少女ドロテア(サラ・シェーン・ヴァーリー)。

バッサーノ伯爵(パスクワール・・ディート)は、エドゥメアの衣裳がいっぱい飾られた船室で、ひとり、手回し映写機で、ありし日の彼女を偲んでいた。

機関室でオペラ歌手たちが“のど比べ”をした日の次の朝、事件が起きた。

サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺され、その報復を恐れたセルビア人が海に逃げ、漂流しているのを、この船が救助したのだ。

ヘルツォーク大公の総理大臣(フィリップ・ロック)は船長に殿下が危ないと忠告するが、彼は、実はこの旅を利用して主権をソニア皇女の手に移そうと企んでいたのだ。

夜、セルビア人の踊りの輪に、優雅な乗客たちも加わり双方はうちとける。

だが翌朝、オーストリア、ハンガリー帝国の軍艦が現れる。

難民をひき渡せというのだ。

あわやということになるが、ヘルツォーク大公の威信で航海の安全は保証される。

船はエリモ島に到着し、遺骨は海に流された。

その時、再び軍艦が現われた。

しかも突然発砲を始めた。

セルビア難民の少年が投げた手榴弾が原因なのか、それとも帝国側が攻撃を開始したのか……。

やがて軍艦自体が爆発した。

救命艇でのがれたオルランドによると『グロリアN号』は沈没したが、乗客の大半は助かったとのことだ。

 

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コメント:

 

1914年、第1次大戦勃発前夜を舞台に、世紀の大ソプラノ歌手の遺骨を海に葬送するために出航した船に乗り合わせた人々の姿を描く。

 

フェリーニ作品の特徴のひとつでもあった雑多なバイタリティーが影を潜め、自作の「カサノバ」にも通じる、生気を欠いた沈鬱な様式美が全編を支配するスタティックなドラマ展開になっている。

フェリーニ・ワールドの一端を支えてきた盟友二ノ・ロータを失ったせいだろうか、劇中音楽がオリジナルスコアではなく、様々な名曲クラシックの助けを借りていたのも、これまでと感じが異なる。

いつもながらに趣向を凝らしたユニークな映像世界に観ていて飽きることはない。

ただ、人間としても、作家としても、いよいよ老境に差し掛かってきたフェリーニ自身の意識や無意識がこの作品に色濃く反映したのだろうか、往年のフェリーニファンからすると寂しい気がしなくもない出来栄えだ。

 

第一次世界大戦前夜の、ナポリから出航した豪華客船上を舞台にした群像劇。

といってもそこはフェリーニ、ひと癖ふた癖どころか四癖も五癖もある面妖な人物ばかりがこれでもかと顔をシャシャリ出してきてくれる魔術的映画である。

その面々とは、芸術家、オペラ歌手、貴族、亡命中の皇太子、漂流から救出された難民の群衆、などなどだ。

もちろん彼らそれぞれが抱えた人生への呪詛や哀しみや享楽ぶりも大したものなのだが、やはり全員の「顔」そのものが実にいいのである。

人はこういう顔をした生き物なんだと、惚れ惚れ見とれてしまうのである。
もうひとつ見逃してならないのは、全編ノーロケ、つまりオールセットで撮られているということ。

出航の時の巨大な船体、難民がとぐろを巻く広大な最下層デッキ、船底で運ばれる不眠症のカバ、そしてラストで難破してみんなが飛び込む海までもがぴらぴらの作り物なのである。

この「壮大なホラ話」的感覚にハマる人は深くハマるはず。

 

この映画は、レンタルが見当たらない。

 

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