「ソドムの市(1975)」
(原題:Salò o le 120 giornate di Sodoma)
1975年11月22日公開。
ナチズムに加担する4人のファシストが少年少女を集めて繰り展げる一大狂宴を描く狂気の作品。
脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ、セルジオ・チッティ
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
キャスト:
- 公爵 - パオロ・ボナチェッリ
- 司教 - ジョルジョ・カタルディ(声:ジョルジョ・カプローニ)
- 最高判事 - ユベルト・パオロ・クィンタバル
- 大統領 - アルド・ヴァレッティ(声:マルコ・ベロッキオ)
- カステッリ夫人 - カテリーナ・ボラット
- マッジ夫人 - エルサ・デ・ジョルジ
- ヴァッカーリ夫人 - エレーヌ・シュルジェール(声:ラウラ・ベッティ)
- ピアニスト - ソニア・サビアンジュ
あらすじ:
ヒトラー占領下の北イタリア、1944年。ナチズムに加担する大統領(アルド・ヴァレッティ)、公爵(パオロ・ボナチェッリ)、殿下(ユベルト・P・クィンタバル)、司教猊下(ジョルジョ・カタルディ)と名乗る4人のファシスト・グループが、傲慢な権力をカサに一大狂宴を計画した。
〈地獄の門〉
4人は、町という町、村という村で、快楽の奴隷としての美少年・美少女狩りを開始し、それぞれ数十人ずつ集めた。
そして、その中から4人が点検し投票で少年・少女9人ずつ選び、狂宴の舞台となる館へ運んだ。
だが、その途中、一人の少年が逃走しかけたが射殺された。
館に入る前に、公爵が17人の少年・少女にこの館を支配する掟を告げた。
彼らはすでに死んだことになっており、すべての者は犬のように従順になり、4人を娯しませることにのみ専念しなければならない。
ただし、彼ら同士が異性と交わったり、宗教的な行為をすると処刑する、という非人間的なものだった。
〈変態地獄〉
彼らの“教育係”として集められた4人の語り女たちの猥談をキッカケとして、強姦、ソドミーを繰り返した。
やがて耐えられなく脱走しようとした少女が虐殺された。
〈糞尿地獄〉
スカトロジーに快楽を感じる大統領の提案で、彼らは糞を少女に食わせ、食事にも大量の糞を揃えて、自分たちも食い、吐気を催す少女にも強制的に食わすのだった。
〈血の地獄〉
この狂宴も終幕に近づいた。
メイドと姦通した衛兵を殺した4人は、少量の血では飽き足りず、全員の処刑を開始した。
衛兵たちが少年・少女の目をえぐり出し、頭髪を剥ぎ、焼き印を押し、なぶり殺しにする。
この地獄図を窓から双眼鏡を覗きながら自慰にふける男たち。
それはナチズムの最後のあがきを象徴するかのようでもあった……。
コメント:
ついに最悪の映画が製作されてしまった。
奇才パゾリーニの監督としての最後の作品である。
原題の「Salò o le 120 giornate di Sodoma」とは、直訳すると「サロ、或いはソドムの120日」。
マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作としている。
悪事と放蕩によって莫大な財産を有する4人の男が、フランス中から拉致してきた美少女・美少年達と深い森の城館で120日に及ぶ性的・拷問的饗宴を繰り広げる物語が、性倒錯、暴力、善悪、反道徳、無神論といったテーマと共に描かれている。
小説として完成しているのは序章と第一部のみであり、第二部から第四部は草案の域にとどまっているが、これは時間的・状況的制約のみならず、作者が「想像力を超えたものを表現する」ことができなかった可能性も指摘されている。
1785年10月22日に、サドはバスティーユ牢獄中で本書の清書を始める。
作品の押収を避けるため、幅12センチの小紙片を糊付けして作った長さ12.1メートルの薄い巻紙の両面に小さくぎっしり詰まった文字で清書する作業は、午後7時から10時の間に行われ、11月28日に完成した。
だがフランス革命勃発の直前、1789年7月2日、サドはブリキ管を使って即席で作ったメガホンで壁の下に集まった群集を扇動しようとし、その結果、7月4日の午前1時、自身の言葉によると「蛆虫のように裸のままで」シャラントン精神病院へと連れ去られた。
このため、彼はこの原稿を含む全ての私物をバスティーユに置き去りにせざるを得なかった。
7月14日、牢獄は陥落し、略奪・破壊の後、サドの原稿も紛失してしまった。
このような作品の喪失は、サドに「血の涙を流させた」いわれるほどのものだったという。
だがサドの死後、アルヌー・ド・サン=マキシミンがバスチーユ牢獄のサドの一室で『ソドム』の巻紙を発見し、後にヴィルヌーヴ=トラン家が3代に亘って所有することとなった。
原稿は19世紀末にベルリンの精神科医イヴァン・ブロッホへ売却され、ブロッホは1904年にオイゲン・デューレンの偽名で最初の版を公刊したが、これは多数の転写ミスを含む粗悪な品質だった。
ブロッホの死後、1929年にモーリス・エーヌがシャルル・ド・ノアイユ子爵の委託を受け原稿を入手、1931年から1935年にかけて、検閲を避けるため「愛書家の購読者」限定で出版し、その品質からこれが真正の原典版と考えられている。
のち1985年に、草稿は子爵の子孫によって売却され、ジュネーブの(主にエロティックな)稀覯書蒐集家であるジェラルド・ノルトマン(1930年 - 1992年)の手に渡った。草稿は2004年になって初めて、ジュネーブ近郊のマーチン・ボードマー基金にて公開された。
その後、フランスの投資会社アリストフィルの所有となったが、2015年にアリストフィルが倒産。
同社の所蔵していた歴史的文献のコレクションとともに競売に出されたが、2017年12月にフランス文化省は競売の取り下げを命じ、草稿は国宝に指定された。
2021年7月9日、フランス文化省は草稿が455万ユーロ(約6億円)でフランス政府に買い上げられたことを発表した。今後は、フランス国立図書館を構成するアルセナル図書館の所蔵となる。
この作品のあらすじは以下の通り:
ルイ14世治世の終わり頃、殺人と汚職により莫大な財産を有する、45歳から60歳の4人の悪徳の限りを尽くした放蕩者達、ブランジ公爵、公爵の兄弟である司教、キュルヴァルの法院長、財務官デュルセが真冬にシュヴァルツヴァルトの古城シリング城に集まり、彼ら4人の絶対権力の下に置かれた42人の犠牲者、4人の遣り手婆、8人の絶倫男と共に閉じ籠る。
犠牲者は4人の妻(それぞれがそれぞれの娘と婚姻している)と、両親の下から誘拐された若い少年少女たちである。
4人の遣り手婆=「語り女」たちが、1ヶ月交代で1人150話ずつ計600の倒錯した物語を語り、主人たちはしばしばその場でそれを実行に移す。
作品は日誌の形で構成され、4ヶ月と「単純(性交を伴わない)」「複合」「犯罪」「殺人」の4種の情熱に対応した4部からなる(第1部は完成されているが、残りは草案のみ)。
犠牲者はありとあらゆる性的虐待と恐ろしい拷問の末に大半が殺される。
パゾリーニは、原作では18世紀のスイス山奥の城館であった舞台を20世紀のイタリアに置き換え、この物語を現代における権力と個人の関係、消費社会のメタファーに作りかえた。
その構成はダンテの 『神曲』 の構成を借りており、「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」の4つの章から成る。
本作の完成後、パゾリーニはローマのオスティア海岸で謎の多い死を遂げており、この作品が遺作となった。
強姦やスカトロ、獣姦、性器露出などの過激な性描写が非常に多く、欧米ではそれが問題となり、上映禁止となった国も出た。
「スカトロ」というのは、「糞尿愛好症」のこと。
これは、排泄行為及び排泄物に対し、著しい性的興奮を得てそれが固着した性的倒錯だという。
だが、それは単なるパゾリーニの嗜好としてだけではなく、様々な現代社会への批判が込められているとされる。
現代社会が如何に唾棄すべき最低の世の中だったとしても、それをこのように表現することが社会に警鐘を鳴らす映像作品としてふさわしいものかどうか。
パゾリーニは、最後の最後まで狂人監督だったのかも知れない。
この映画の動画は、一部がYouTubeにアップされているが、激しい映像は存在していない。
おそらく、ひどすぎて万人が見れるサイトには搭載できないのだろう。
この映画は、動画配信サイトは現在見つからない。
アマゾンで「レンタル落ち」としてDVDが販売されている。