「テオレマ」
(原題:Teorema)
1968年9月7日公開。
冒頭からエンドまで狂気じみたストーリーの異色作。
わいせつ罪を課された問題作。
監督・脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
キャスト:
- テレンス・スタンプ: 訪問者の青年
- マッシモ・ジロッティ: パオロ (主人)
- シルヴァーナ・マンガーノ: ルチア (妻)
- アンヌ・ヴィアゼムスキー: オデッタ (娘)
- アレドレ・ホセ・クルス: ピエトロ (息子)
- ラウラ・ベッティ: エミリア (家政婦)
- ニネット・ダヴォリ: 配達人
あらすじ:
ミラノの郊外に大邸宅を構える大工場主パオロ(マッシモ・ジロッティ)の家へ、ある日、配達夫(ニネット・ダボリ)によって、発信人のない一通の電報がとどけられた。
電文は「明日着く」。
翌日、パーティの席には一人の見知らぬ青年(テレンス・スタンプ)がいた。
妻のルチア(シルヴァーナ・マンガーノ)は不審に思ったが、青年はそのまま邸に住みついてしまった。
それからというもの、邸にはある種、奇妙なムードが生れた。
一家の者たちが熱病にかかったようになってしまったのである。
まず家政婦のエミリアが、その青年に対して激しい肉欲を感じ、そんな自分を恥じて自殺を図ったが、青年に救われた。
そして、彼はエミリアをやさしく受け入れた。
また、ルチアは別荘で猟犬と戯れる青年を見ながら、全裸になり、汗ばんだ青年の体を抱擁した。
明け方、パオロはなにかに惹かれるように目をさまし、息子ピエトロ(アンドレ・ホセ・クルース)の寝室をのぞいた。
一緒のベッドで熟睡する青年とピエトロ。
パオロは自分のベッドにもどり、いつになくルチアの身体を求めた。
その日から、パオロは病気になった。
そんなある日、娘のオデッタ(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は突然、青年を自分の室に導き入れ、その室で処女を与えてしまった。
再び配達夫が邸を訪れると、青年は「明日立つ」と一家につげた。
一家のものたちは、一人一人が青年に、自分の心情や変化を訴えるのだった。
やがて青年は去って行った。
その時から一家には激しい動揺がおきた。
オデッタは青年を探すかのように邸をさまよい、ベッドの上で、原因不明の硬直状態に陥ってしまった。
ピエトロは家を出て、狂ったように抽象画の製作に没頭。
ルチアは色情狂のように街で若者を漁り、身をまかせたが、その後の虚しさに耐えかねて、野原に建つ、小さな教会の中に入っていった。
青年が去った直後に暇をとったエミリアは、田舎に帰り村の広場で奇跡を起こした。
そして、そのあと彼女は、工事現場の泥地の中に、自らを埋めてしまった。
一方パオロは、工場のすべてを労働者に譲渡し、ミラノ中央駅の雑踏の中でひとりの青年に惹かれ、突然、公衆の面前で着衣を脱ぎ、全裸になってしまった。
現代を象徴するかのような荒野。
砂塵が吹きすさぶ彼方、一人の男が何かをさけびながら彷徨してくる。
それは救いを求めるように天を抑ぎ、無機の荒野をあてどなく歩いて行く、パオロの姿だった。
コメント:
本作は、当ブログの「イタリア映画快作210本」のシリーズ中で、おそらく最も問題がある映画だといえよう。
この映画は、ヴェネチア映画祭で「奇跡の丘」と同様にカトリック映画事務局賞を受賞したにもかかわらず、わいせつのかどで押収されたのだ。
パゾリーニ自身は最終的に無罪になったようだが。
イタリア映画界というより、イタリア文化全体の異端児で、スキャンダリストであるとされているピエル・パオロ・パゾリーニ監督が、「アポロンの地獄」についで発表した作品である。
“聖性”をひめた青年の来訪によって家族全員がその青年と性的に結びつき、崩壊にまでみちびかれてしまうブルジョワ家庭を描きながら、その寓話的語りのなかに現代への鋭いメッセージと未来への啓示をこめているという評価がある。
原題の「Teorema」というのは「定理・定式」といった意味のようだ。
しかし、これだけ不気味で理解に苦しむ内容の映画に「定理」があるとは思えない。
非常に解釈が難しい作品にぶち当たってしまった。
ミラノ郊外に住む工場経営者のブルジョワ家庭(主人、妻、娘、息子、家政婦)に一人の男が姿を現わし、なぜか男と一家との共同生活が始まる。
そのうち家族全員は男の謎めいた魅力の虜となってゆくが、男が家族の前から立ち去ると、残された家族は奇妙な行動を取り始め、家庭は崩壊してゆく。
公開当時、イタリアではテレンス・スタンプが演じた青年が何を象徴しているのか議論になったようだ。
「天使と悪魔の間」とパゾリーニは言っていたという。
注目すべき点は、普通のブルジョア家族の全員が、テレンス・スタンプが演じる美しい青年の出現によって、完全にそのとりこになり、最後は彼の姿が見えなくなると、家族全員が気が狂ってしまうというストーリーだ。
いったい何を描きたかったのだろうか。
もしかするとパゾリーニは、テレンス・スタンプを通して、絶対的な幸福を目指していた当時のイタリアの宗教(キリスト教)や資本主義といったものへの反逆を映像化したかったのかも知れない。
パゾリーニ監督の代表作は以下の通り:
『奇跡の丘』(1964年)
『アポロンの地獄』(1967年)
『テオレマ』(1968年)
『王女メディア』(1969年)
『デカメロン』(1971年)
『アラビアンナイト』(1974年)
『ソドムの市』(1975年)
1975年、パゾリーニはマルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作にした『ソドムの市』の製作に着手した。
原作はサドが生きた近世フランスをテーマとした嗜虐的な作品となっているが、パゾリーニは原作を現代イタリア、それも第二次世界大戦中末期の内戦でファシスト党が設立したイタリア北部の亡命政権であるイタリア社会共和国(RSI、サロ共和国)を舞台とした作品へと翻案した。
これは共産主義者であったパゾリーニにとって、冷戦期のイタリアで勢力を回復させていたネオファシスト運動への批判、そして経済的に豊かな北イタリアによる「南イタリアへの搾取」の批判といった、右派や資本主義に対する政治的風刺(或いは攻撃)を意図したものであった。
軍装などの考証が正確な一方、史実に基づかない作品中の残虐描写は攻撃の対象とされたネオファシスト勢力からの強い反発を受けた。
1975年11月2日、同作の撮影を終えた直後のパゾリーニはローマ近郊のオスティア海岸で激しく暴行を受けた上に車で轢殺された。
享年53。
『ソドムの市』に出演した17歳の少年ピーノ・ペロージが容疑者として出頭し、「同性愛者であったパゾリーニに性的な悪戯をされ、正当防衛として殺害して死体を遺棄した」と証言し、警察の捜査は打ち切られた。
しかし当初から少年による単独犯としては無理のある内容であり、ネオファシストによる犯行とする陰謀論が主張された。
現在も真犯人は判明せず、その死の真相を巡ってはアウレリオ・グリマルディ監督の『パゾリーニ・スキャンダル』(1996年)など多くの映画や伝記本が製作されている。
最後まで謎に包まれたままのパゾリーニであったが、同性愛者であったことは確実だ。
しかも好みは十代の若者だった。
つまり、ジャニーズ喜多川と同じで、可愛い少年を見つけて自分の映画に出演させながら、日夜その子を弄んでいたのだ。
芸能界における同性愛者は世界中にいるということだ。
この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。