「明日に生きる」
(原題:I Compagni)
1963年イタリア公開。
1965年11月19日日本公開。
イタリアにおける労働運動黎明期の社会派ドラマ。
マール・デル・プラタ国際映画祭最優秀作品賞受賞。
1965年キネマ旬報第2位。
脚本:フリオ・スカルペッリ、マリオ・モニチェリ、インクロッチ・アジェノーレ
監督:マリオ・モニチェリ
キャスト:
シニガリア教授:マルチェロ・マストロヤンニ
小学教師ディ・メオ:F・ペリエ
ラウル:R・サルバトーリ
アデーレ:G・ジョルジェーリ
あらすじ:
十九世紀末、トリノ。
紡績工場の工員たちは、一日十四時間労働に喘いでいた。
働き盛りのラウル(R・サルバトーリ)、その恋人アデーレ(G・ジョルジェーリ)、彼女の父パウタッソ、その同居人オメロ、シシリーからの移住者アッロ。
彼らは毎日働きどおしであった。
ある日、就業中に老人が大怪我をした。
過当な労働が事故の原因であることは当然だ。
これを機会に労働者たちは実行委員会をつくり、労働時間短縮の要求を会社側に提示することになった。
パウタッソ他、選ばれた実行委員は翌日交渉を行なったが、工場監督ボーデに一蹴されてしまった。
労働者たらは自分たちで時間短縮を計ることを決めたが、ボーデらの阻止にあい、パウタッソは二週間の停職処分をくらった。
シニガリア教授(M・マストロヤンニ)がこの町に来たのはそんなときだった。
彼はジェノバで労働運動を指導したため警察に追われる身で、知人を介して小学教師ディ・メオ(F・ペリエ)を頼って来たのだった。
シニガリアは実行委員会の顧問に任命され、ラウルのアパートに居侯することになった。
時間短縮のストは翌日から始まった。
しかし、会社側はその要求を蹴り実行委員たちを呼び、パウタッソの停職処分を撤回するからストを中止せよ、さもなくば他所から失業中の労働者を呼ぶ、と迫ったが委員たちは妥協しなかった。
会社の言葉どおり、他所の町から労働者が来た。
二つの労働者グループは乱闘をはじめ、パウタッソはそのとき死んだ。
労働者たちの気持はうちひしがれ、ストの続行に疑いを持ちはじめた。
だが、シニガリアとディ・メオは今こそ立ち上がるときだと励ました。
そんなころシニガリアには刑事の追跡があった。
だが、彼はあやうくその手を逃れた。
もう、これ以上ストを伸ばすことは生活の貧しさが許さない状態にまでなった。
挫折しそうな労働者たちを、シニガリアは説き伏せ、労働歌をうたってデモ行進に持っていった。
会社側は軍隊の出動を要請、大乱闘を起こした。
死人も出た。
シニガリアは警官に逮捕された。
翌朝、労働者たちは以前と同じように工場に出かけた。
労働者たちの闘いは失敗に終わった。
だが、それは明日への長い闘いの始まりでもあった。
コメント:
十九世紀末にトリノの紡績工場で起こった大ストライキを、見事な映像と力強いタッチで描いた労働者の群像ドラマ。
シリアスな中にも、マルチェロ・マストロヤンニのとぼけた演技からユーモアがただよう。
原題の「I Compagni」とは、「仲間たち」という意味。
「労働者の仲間たち」を表現しているのだろう。
舞台になっているのはイタリア北部のトリノという都市である。
トリノは、トリノはミラノに次ぐイタリア第2の工業都市であり、フィアットなどを中心とする自動車工業の拠点である。
人口も当時は100万人という大都市だった。
イタリアは第一次大戦においては戦勝国であった。
だが、戦後期待した領土獲得を実現できず、国民を失望させ、国内では戦後のインフレなどによる不満を背景に、都市部での労働運動や労働条件の改善を求める農業労働者などの多様な社会運動が急速に拡大したようだ。
1919年11月、新しい比例代表制による国会選挙で、社会党と新たに結成されたイタリア自民党がそれぞれ第一党、第二党に躍進し、旧来の自由主義的な統治スタイルの限界が明らかにされた。
20年には、農村部での農民の土地占拠、農業労働者のスト攻勢が相つぎ、トリノなど工業都市では、経営側のロックアウトに対抗して労働者による工場占拠の動きが広まったのである。
こうした時代背景をもとに、この映画は作られたのだ。
ヨーロッパの歴史を理解できる人たちにとっては、イタリアのトリノでのストライキという実際に起こった大きな事件を描いた作品は非常に興味深く受け取れる作品であった。
監督をつとめたマリオ・モニチェリは、イタリアを代表する監督・脚本家。
イタリア式コメディの第一人者として知られた。
この人は、日本での公開作品は少ないが、1935年以来これまで60本以上の作品を監督、ベルリン国際映画祭監督賞を3度受賞し、オスカーにも3度ノミネートされている。
2003年、第60回ヴェネツィア国際映画祭の審査委員長を務める。
同年、『トスカーナの休日』にはキャストの一人として顔を出していた。
2006年にも新作『砂漠の薔薇』を完成させ、高齢まで現役で活躍した。
2010年9月、第67回ヴェネツィア国際映画祭でのイタリアコメディ回顧展では、ステーノと共同監督した『騎士の到着』、『刑事と泥棒』が選ばれて上映された。
100作を超える脚本、60作を超える監督作がある。
主な作品は以下の通り:
- 『大尉の娘』 La figlia del capitano : 監督マリオ・カメリーニ、1947年 - 脚本
- 『無法者の掟』 In nome della legge : 監督ピエトロ・ジェルミ、1948年 - 脚本
- 『騎士の到着』 È arrivato il cavaliere : 共同監督ステーノ、1950年
- 『刑事と泥棒』 Guardie e ladri : 共同監督ステーノ、1951年 - 第5回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作
- 『父と息子たち』 Padri e figli : 1957年 - 第7回ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞受賞
- 『美女の中の美女』 La donna più bella del mondo : 監督ロバート・Z・レナード、1955年 - 脚本
- 『いつもの見知らぬ男たち』 I soliti ignoti : 1958年
- 『戦争・はだかの兵隊』 La grande guerra : 1959年 - 第32回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、第20回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞
- ボッカチオ'70 - Boccaccio '70 (第1話 『レンツォとルチアーナ』): 1962年
- 『明日に生きる』 I compagni : 1963年 - マール・デル・プラタ国際映画祭最優秀作品賞受賞
- 『ゴールデン・ハンター』 Casanova '70 : 1965年 - ビデオ題『カサノヴァ'70』、第38回アカデミー賞脚本賞ノミネート
- Donatella : 1956年 - 第6回ベルリン国際映画祭金熊賞ノミネート
- 『結婚大追跡』 La ragazza con la pistola : 1968年 - 第41回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
- 『ちゃちなブルジョワ』 Un Borghese piccolo piccolo : 1968年 - 第30回カンヌ国際映画祭パルムドールノミネート
- 『求む大佐』 Vogliamo i colonnelli : 1973年 - 第26回カンヌ国際映画祭パルムドールノミネート
- 『私の友だち』 Amici miei : 1975年
- 『親愛なるミケーレ』 Caro Michele : 1976年 - 第26回ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞受賞
- 『新怪物たち』 I Nuovi mostri : 1978年 - 第51回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
- 『アニタと子猫と…』 Viaggio con Anita : 1979年
- Il marchese del Grillo : 1982年 - 第32回ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞受賞
- Le due vite di Mattia Pascal : 1985年 - 第38回カンヌ国際映画祭パルムドールノミネート
- 『女たちのテーブル』 Speriamo che sia femmina : 1986年 - ナストロ・ダルジェント最優秀作品監督賞受賞
- 『マンマ・ミーア人生』 I picari : 1987年
- Cari fottutissimi amici : 1993年 - 第44回ベルリン国際映画祭金熊賞ノミネート
- 『トスカーナの休日』 Under the Tuscan Sun : 監督オードリー・ウェルズ、2003年 - 出演
- 『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』 Marcello, una vita dolce : 監督マリオ・カナーレ / アンナローザ・モッリ、2006年 - 出演
- 『砂漠の薔薇』 Le rose del deserto : 2006年 - 長篇遺作
この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。