「山猫」
(原題: Il gattopardo)
1963年3月28日公開。
イタリア貴族社会の変化を描いた名作。
第16回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エンリコ・メディオーリ
監督: ルキノ・ヴィスコンティ
キャスト:
サリナ公爵:バート・ランカスター
タンクレディ:アラン・ドロン
アンジェリカ:クラウディア・カルディナーレ
公爵夫人:リナ・モレリ
ドン・カロゲロ:パオロ・ストッパ
あらすじ:
1860年春。
イタリア全土はブルボン王朝から、国王ビクトル・エマニュエルの統治下に入った。
シシリー島の名門を誇っていたサリナ公爵(バート・ランカスター)にとって、政治的変動は大きなショックだった。
そんなある日、サリナ家は田舎の別荘に出掛けた。
一行の中、公爵の甥タンクレディ(アラン・ドロン)はブルボン王朝側と戦った革命派で早くも公爵の娘コンセッタの心をとらえていた。
一家が田舎に着くと村長のドン・カロゲロ(パオロ・ストッパ)が歓迎会を開いた。
彼は新興ブルジョアの一人だ。
コンセッタはタンクレディと結婚したいとまで考えていたが、村長の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)の出現が、タンクレディをひきつけ、彼が求婚までしたと聞いて絶望した。
タンクレディが所属連隊に復帰すると間もなく公爵に手紙を送り、アンジェリカとの挙式の手配をしてくれと頼んだ。
公爵夫人(リナ・モレリ)は彼を貴族を裏切るものだとののしった。
公爵にとっては、娘の心の痛手もつらいがその縁組が、彼の貴族としてのプライドの故に嫌悪とバツの悪さを意識した。
タンクレディとアンジェリカは毎日のように会い、愛情は燃え上った。
アンジェリカも平民の娘と思えぬ程の気品を初めての舞踏会で漂わせた。
その席で公爵は急に自分の老いと孤独を感じた。
アンジェリカの求めに応じて踊ったものの、何となくその場にそぐわない気さえする。
時代は代わったのだ。
歴史の大きな歯車は少数の人間の意思とは全く無関係に回転していくものなのかもしれない。
公爵はやがてくる自分の死を考えていた。
コメント:
伊・シシリー島(シチリア島)のジュゼッペ・ディ・ランペドゥーサの小説「The Leopar」(山猫)(イタリア・ストレガ賞受賞)を映画化した作品。
カンヌ映画祭のパルムドールや、ベネチア映画祭の金獅子賞などを獲得しているイタリアを代表する名匠・ヴィスコンティの作品である。
豪華絢爛という言葉は本作のような映画を表わすときに用いられるのだろう。
作品の三分の一を占める舞踏会のシーンは素晴らしい。
主役をつとめたバート・ランカスター、青年貴公子のアラン・ドロン、村長の娘のクラウディア・カルディナーレの共演も華やかだ。
絢爛豪華なイタリア貴族社会が描かれているが、1860年という時代背景を理解していないと難しいかもしれない。
国内に起きている戦争が王侯貴族対労働者階級という単純な図式ではないからだ。
上映時間は長く3時間を超える。
おまけに物語の起伏に欠け、市街戦の戦闘シーンはあるものの、全体的に動よりも静のシーンが多い。
特に終盤の舞踏会のシーンは延々と続く。
それでもひきつけられる不思議な魅力を持つ。
バート・ランカスターが演じるサリーナ公爵はシシリー島の名門貴族として名をはせる。
名士には違いないが、独裁者であり、絶大な権力を持つ。教会をも庇護下に置き、神父を側近のように使う。
サリーナ公爵が息子同様にかわいがっている甥のタンクレディがいる。
この人物を若き日のアラン・ドロンがりりしく演じている。
タンクレディは戦争に参加するとおじに別れを告げるが、彼が加わるのは国王軍ではなく革命軍だ。
公爵は期待を裏切られた心境になるが、それでもせん別を渡す。
その金が革命軍に使われることを見越してのことだ。
公爵はこの時、国の行く末を察知したのかもしれない。
公爵は戦火もものかは、一族郎党を引き連れ、別荘地におもむく。
戦場から戻ったタンクレディも合流するが、彼と娘の仲を知らされ、公爵は快く思わない。
甥に野心があることを見抜いているからだ。
別荘地で盛大な歓迎会が開かれ、誰もが目を奪われる美女が現れる。
地元の村長の娘・アンジェリカだ。
このヒロインを演じるクラウディア・カルディナーレの美しさが他を圧倒する。
タンクレディが彼女に心を奪われたことを悟った公爵は、二人を結婚させようともくろむ。
自分の娘の傷心には思い至らないかのようだ。
変化する時代の中、勢力的だった公爵が一気に老いる。
新国家での上院議員の推薦も断り、この地を支配していた山猫は去るとつぶやく。
さらには一枚の絵画を見て自分の死が近いことを悟る。
つまり、タイトルの「山猫」とは、シチリアを支配してきたサリーナ公爵のことなのだ。
かつての支配者が寂しく老いて行く姿を描いている名作の映画化なのである。
なぜこういう名作の主人公・サリーナ公爵を演じる俳優がイタリア人ではないのだろう?
とにかく、イタリア映画の男優の代表がマルチェロヤンニただ一人というのがおかしい。
バート・ランカスターもアラン・ドロンも、もちろん素晴らしいのだが、シチリアの支配者を演じるのがイタリア人ではなく、外国の役者というのは、何ともなさけない限りだ、
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