「凍河」
1976年4月24日公開。
原作:五木寛之『凍河』
脚本:石森史郎
監督:斎藤耕一
キャスト:
- 中村雅俊: 竜野努
- 五十嵐淳子: 阿里葉子
- 岡田茉莉子: 唐木道子
- 原田美枝子: 高見沢ナツキ
- 米倉斉加年: 朝田
- 御木本伸介: 高橋医師
- 緋多景子: じれっ亭ママ
- 宮井えりな: 看護婦こずえ
- 西尾三枝子: 薬剤師
- 須賀不二男: 看護士石金
- 岡田英次: 竹下晋助
- 佐分利信: 高見沢順造
- 石原裕次郎: 竜野一郎
あらすじ:
横浜にある精神科の和親会病院は、現代のシュバイツァーと呼ばれる高見沢院長(佐分利信)の良心的な経営のため建物も老朽化し、医師も薄給のためなり手がなかった。
そこへ、青年医師・竜野努(中村雅俊)が赴任して来た。
だが、その着任ぶりは、およそ医師らしくなかった。
日本に一台しかないというBSAゴールドスターというバイクに乗って爆音をたてながらやって来たのだ。
医師も看護婦も患者も度胆を抜かれた中で、その非常識をたしなめたのは副院長の唐木道子(岡田茉莉子)だったが、唐木はこの青年に、今まで辞めていった医師たちと違った何かを感じた。
院長は妻を亡くし、高校生の娘ナツキ(原田美枝子)と二人で暮しており、努には自宅の離れを宿舎に提供した。
引越しの日、全治しているが退院しようとしない患者・阿里葉子(五十嵐淳子)が手伝いに来て、努に「私を病院から追い出さないで」と哀願した。
努の病院勤務が始まった。
そして「きっと阿里葉子を好きになるでしょう」とナツキが予言した通り、謎めいた暗さを秘めた葉子に魅かれて行った。
数日後、努は葉子から彼女が退院しない理由を聞き出した。
彼女には婚約者がいたのだが、会社の男に暴行されたため、破談となり、彼女は自殺を企てた。
そして、一度は退院したのだが、また自殺しようとしたのだった。
ある日、買物に出かけた葉子から電話が入った。
駅前が火事で帰れなくなったというのだ。
努はオートバイで葉子を迎えに行き、彼女を乗せたまま山下公園まで来た。
そして努は半ば強引にキスした。
病院の中で努と葉子との仲が噂にのぼるようになった。
院長は葉子を呼んだ。
葉子は複雑な表情で院長を見上げた。
努は休日に葉子をドライブに誘い、湖のホテルで葉子を求めた。
「私には愛される資格はありません」と抗う葉子だったが、やがて二人は体を重ねた。
病院に事件が起こった。
アル中で入院していた竹下(岡田英次)という患者が病院を抜け出し、車に轢かれて死んだのだ。
死体を見た院長の眼から涙が流れた。
そして努に竹下との関係を静かに語った。院長と竹下は、かって満州で細菌戦略部隊に所属し、あらゆる残虐な人体実験を繰り返し、敗戦後、竹下は過去を忘れるためにアルコールに溺れたのだった。
和親会病院の経営はとうとう行き詰まり、院長は退陣し、新しい経営者の手に渡った。
努は院長と共に退職した。
努は葉子を連れて院長に会い、彼女との結婚を報告した。
院長は葉子が妊娠している事を聞き、その子供は自分の子であると言いかけたが、努は自分の子であると言いきった。
数日後、北海道から努の兄・一郎(石原裕次郎)が上京して来た。
努にとって一郎は、あまりにも大きな存在であり、努の半生は一郎が敷いたレールの上をただ走ったに過ぎなかった。
一郎は努の結婚に猛反対した。
だが26歳になった今日、努は初めて兄に逆らった。
一郎は説得をあきらめた。
葉子はそんな努に男の強さを感じた。
数日後、努は新しい勤務地である東北の診療所に向けて、愛車に葉子を乗せて、国道を驀進させていった。
コメント:
精神病院に勤める青年医師と影のある美貌の患者との愛を描く。
新たに精神病院に勤めることになった、若い男と若い女性患者のラブストーリーである。
主役を演じたの二人は、この初共演作が縁で、翌年・1977年2月1日に結婚した。
石原裕次郎が中村雅俊の兄役で出演している、
裕次郎にとって実写映画としての遺作となった。
「内海の輪」(1971年)、「約束」(1972年)、「旅の重さ」(1972年)、「津軽じょんがら節」(1973年)と大注目を集めてきていた斎藤耕一監督の演出による作品。
共演者も、佐分利信、石原裕次郎、岡田茉莉子と超大物が揃ったのだが、大コケとなったようだ。
脚本、演出共に、ダメだったという。
おそらく五木寛之原作映画の中で最低の出来だろう。
話題は、中村雅俊と五十嵐淳子の出会いと、裕次郎の遺作だけという。
問題は、肝心な部分を全然映像化できていないことに尽きるようだ。
院長(佐分利信)の秘密。葉子と院長の関係は?
入院してきた患者竹下(岡田英次)との関係は?
結構ミステリアスな要素を持っているが、そこのあたりをしっかり見せていないので、全然面白くならないのだ。
葉子は全快していると言うが明らかに病気の感じだし。
一人オートバイで来て、二人オートバイで去るというオープニングとエンディングはちょっとしゃれているが、そこだけカッコつけても映画は売れない。
裕次郎の出演も、始まりと終わりのみの顔見せだ。
こういう映画は絶対に作ったらいかんという見本になってしまっている。