日本の文芸映画 有吉佐和子 「私は忘れない」 鹿児島県の黒島を舞台にした小説を映画化! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「私は忘れない」

 

◇古い映画ポスター 松竹「私は忘れない」監督/堀内真直◇山本豊三 中圭子 小坂一也 柴田葉子 佐野周二(映画)|売買されたオークション情報、ヤフオク!  の商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)

 

1960年7月1日公開。 

鹿児島県の黒島を舞台にした小説の映画化。

 

原作:有吉佐和子「私は忘れない」

脚本:堀内真直、八木美津雄  

監督:堀内真直 

出演者:

中圭子、山本豊三、小坂一也、柴田葉子、佐野周二、水戸光子

 

私は忘れない

 

あらすじ:

門万里子(中圭子)はスターの生活に憧れて女優になったが、その夢は破れた。

彼女は失意をいやしに黒島へ旅立った。

船中で、島の中学に赴任する若い教師の赤間(小坂一也)と知り合った。

校長(佐野周二)と彼の妻の松代(水戸光子)は、赤間と万里子を歓待した。

しかし、島の人たちは古い因習にしばられた生活をしていた。

島の東西にある二つの集落、大里と片泊は昔から気風がちがうため、仲が悪かった。

片泊集落の青年・忠一(山本豊三)と、大里集落の娘・光枝(柴田葉子)は愛し合いながらも、自由に話もできないほどだった。

万里子は赤間の授業を手伝った。

忠一と光枝の問題で、片泊の区長の家に、両集落の主だった者が集まった。

校長夫妻とともに、赤間と万里子も出席した。

大里の長老は校長の口利きで納得したが、片泊の方は頑固だった。

忠一はこれを知ると、本土へ渡る決心をした。

過労がもとで松代が倒れた。

医療設備の全くないこの島では、連絡船のやってくるのを待つより仕方なかった。

その夜、台風が襲来した。

集落の人たちは学校へ避難した。

万里子は炊き出しやら病人の世話などに奔走した。

姉・光枝の安否を気にした和枝が風の中をとび出した。

和枝を救おうと忠一もとび出した。

二人は濁流にのまれてしまった。

船が着き、松代は鹿児島の病院へ送られた。

--翌日、忠一と和枝の野辺の送りがすむと、光枝も後を追って身を投げた。

島の長老たちは自分たちが間違っていたことを知った。

万里子が島を離れる日がやってきた。

松代の経過も無事と伝えられた。

島の人たちに、万里子は甲板から手をふった。

--まもなく、東京の万里子から手紙が届いた。

島の人たちにテレビを贈ったという知らせを赤間は生徒たちに読んで聞かせるのであった。

 

コメント:

 

黒島を舞台にしたメロドラマ。

原作は、有吉佐和子の同名の新聞連載小説。

 

有吉佐和子 『私は忘れない』 | 新潮社

 

舞台となったこの「黒島」というのは、硫黄島から約1時間で到着する、鹿児島県三島村における最大の島。

この島には、映画に出て来る通り、大里と片泊の二つの集落がある。


周囲15.2km、面積15.3km2、標高622mの櫓岳を最高峰に500m級の山々がそびえ、森林と大名竹に覆われた自然豊かな島。

断崖絶壁の海岸線には、無数の滝が見られるこの島は、昔から雑木の宝庫で木炭の産地として栄えたこともあったという。

小説を執筆する1年前にこちを訪れた有吉佐和子の記事が写真と共にネットに掲載されている。

 



昭和34年、有吉佐和子の朝日新聞連載小説「私は忘れない」が映画化されることになり、松竹映画の撮影ロケ班一行が20日間にわたり黒島に滞在してロケが行なわれ、島民多数が出演した。

これを記念して平成4年に「有吉佐和子文学顕彰碑」が建立された。

 

臨時特別編「三島村」黒島6 有吉佐和子の「私は忘れない」1 - 100倍楽しむ海外旅行 時々国内旅行

 

 

 

公開当時は、この黒島が話題となり、けっこう人気があったようで、今でもネットに情報が残っている。

 

だが、この映画のソフト化はされず、今は幻となってしまったようだ。