「折鶴お千」
1935年1月20日公開。
山田五十鈴の主演映画。
サイレント映画の名作。
原作:泉鏡花 『売色鴨南蛮』
脚本: 高島達之助
監督:溝口健二
キャスト:
- 山田五十鈴 - お千
- 夏川大二郎 - 秦宗吉
- 芳沢一郎 - 浮木
- 芝田新 - 熊沢
- 藤井源市 - 松田
- 中野英治 - 教授
- 鳥井正 - 甘谷
- 北村純一 - 盃の平四郎
- 滝沢静子 - お袖
- 伊藤すゑ - 宗吉の祖母
あらすじ:
明治初期の東京。
雨の万世橋駅は、上りも下りも遅れが生じ、ホーム、待合室には人がごった返していた。
その中にお茶の水病院で勤める医師・秦宗吉(夏川大二郎)は神田明神の森を眺めながら思いにふけっていた。
今よりずっと前のことだ。
宗吉は、田舎から出て来て医師として成功せんとしていたが中々うまく行かず、神田明神の森で自殺しようとしていた。
そこで偶然出会った、悪徳古美術商・熊沢(芝田新)に囲われているお千(山田五十鈴)という美女に救われたのであった。
熊沢の店でこき使われる宗吉。
しばらくたって熊沢たちが捕まり、二人の生活が始まった。
だが、金が底をつき、宗吉を立派な医者にするため身を売るお千だが、それもつかの間、お千も捕まってしまう。
場面が元に戻り:
雨の万世橋駅(今の秋葉原駅)の待合室で急病人が発生する。
急病人を診察する宗吉。
その急病人は変わり果てたお千だった。
コメント:
原作は、泉鏡花の『売色鴨南蛮』。
なぜこんな変な題名にしたのかは、調べてみたが分からない。
「売色」というのは「売春」のことだろう。
「鴨南蛮」とは、鶏肉とネギが入った蕎麦なのだが、昔は縁起を担いで鴨南蛮を食べたらしい。
なので、ここでは「縁起担ぎ」という意味かも知れない。
つまり、遊女が最後に口で投げた折鶴を拾ったことで運が良くなり、主人公は医者になれたということかも。
溝口健二監督作品だけあって愛する男の為に身を堕とし、尽くす女を情緒豊かに作り上げている。
心に深く刻まれるシーンは、勉学に励む宗吉の為に金を稼がねばならず、体を売るお千の姿だ。
売春をした罪で警察に捕まり、連れて行かれるお千を追う宗吉。
その宗吉に『私の魂をあげる』と言い、着物の胸元に忍ばせた折鶴を口で投げるシーン。
ここがクライマックス。
小説ではこう表現されている:
お千が穿ものをさがすうちに、風俗係は、内から、戸の錠をあけたが、軒を出ると、ひたりと腰縄を打った。
とお千が立停まって、
「宗ちゃん――宗ちゃん。」
振向きもしないで、うなだれたのが、気を感じて、眉を優しく振向いた。
「…………」
「姉さんが、魂をあげます。」――辿りながら折ったのである。……懐紙の、白い折鶴が掌にあった。
「この飛ぶ処へ、すぐおいで。」
ほっと吹く息、薄紅に、折鶴はかえって蒼白く、花片にふっと乗って、ひらひらと空を舞って行く。……これが落ちた大な門で、はたして宗吉は拾われたのであった。
お千は、後ろに両の手を縄でかけられているため、手が使えないのだ。
お千にとって『自由』の象徴が折鶴であり、心であった。
その己の象徴である折鶴を投げることによって、お千の辿る顛末を観客は窺い知ることができる。
この折鶴を投げるシーンは、後世に残る名シーンであると言って良い。
映画のタイトル「折鶴お千」が意味するところが分かる。
小説の中でも、ここがクライマックスだ。
当時の山田五十鈴が18才というのは驚き。
怖いくらいの美しさだ。
おそらく本作が山田五十鈴の主演作品の中で、視聴可能な最も古い作品だろう。
本作は無償の愛を描いており、そこに男女の愛はなく、弟に対しての慈愛のようなもの。
フィルムノワールのようなプロローグではじまり、終盤に時間は戻り、凄艶・凄絶なラストになっている。
こういう残酷な物語もまた、名匠・溝口監督ならではの名作である。
この映画は、TSUTAYAでレンタル可能:
原作の『売色鴨南蛮』に興味がある方は、青空文庫に掲載されているこちらをご覧あれ: