「戦場にかける橋」
(原題:The Bridge on The River Kwai)
1957年10月2日公開。
第二次大戦下、タイ、ビルマ国境の日本軍捕虜収容所を舞台に日英両軍兵士の諍いと人間愛を描いた名作。
第30回アカデミー賞作品賞受賞。
原作:ピエール・ブール『戦場にかける橋』
脚本:カール・フォアマン、マイケル・ウィルソン
監督:デビッド・リーン
出演者:
ウィリアム・ホールデン、アレック・ギネス、早川雪洲、ジャック・ホーキンス、ジェフリー・ホーン、ジェームズ・ドナルド、アンドレ・モレル
あらすじ:
第二次世界大戦下のビルマ・タイ国境近くにある日本軍捕虜収容所。
所長の斎藤大佐(早川雪洲)は教養の深い武人だった。
ここに収容されているアメリカの海軍少佐シアーズ(ウィリアム・ホールデン)らは激しい労役に脱出の機会を狙っていたが、そんなある日、収容所にニコルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とする英軍捕虜の一隊が送られてきた。
バンコック・ラングーン間を結ぶ泰緬鉄道を貫通させるためクライ河に橋梁を建設せよとの命が司令部から斎藤大佐に下り、その労役に送られてきた捕虜である。
橋梁完成期日は5月12日、日は幾ばくもない。斎藤大佐は捕虜全員に労役を命じた。
だが、ニコルスン大佐はジュネーブ協定に背反すると将校の労役従事を拒否したため、営倉に監禁された。
その夜シアーズは仲間2人と脱走し、1人だけ助かってコロンボの英軍病院に収容された。
一方、収容所では担当者の三浦中尉の工事指導が拙劣なためと捕虜のサボタージュのため架橋工事が遅れていた。
斎藤大佐は焦慮の余りニコルスンら将校の翻意を促したが彼らは応じない。
やがて3月10日、陸軍記念日となった。
斎藤大佐はニコルスンらの頑固さに負け、彼らの恩赦を伝えた。
ところがこのとき、意外にもニコルスンは自ら架橋工事に当ろうと申し出た。
彼は、サボタージュが軍紀の弛みだとみて捕虜たちに建設の喜びを与えることによって本来の軍人の姿へ鍛え直そうと考えたのである。
そして架橋方法にも積極的な意見を述べた。
架橋の主導権はニコルスンに移った。期日までに橋を完成するために、斎藤大佐はあえてその屈辱に甘んじた。
その頃英軍病院にいるシアーズのもとにワーデン(ジャック・ホーキンズ)という英軍少佐が訪れ、意外な申し入れをした。
バンコックーラングーン間の橋が完成、鉄道が敷かれれば日本軍はインドへ迫るだろうし、それを阻止するためには落下傘で挺身隊を降下させ橋を爆破するより方法がない。
シアーズに道案内を頼む、というのである。
シアーズは、ワーデンの説得を承知した。
ワーデン、チャップマン、ジョイス、シアーズの4人からなる橋梁爆破挺身隊は輸送機からタイの密林地帯に降下した。
この時チャップマンは巨木に激突、落命した。
残る3人は難行軍を続けた。携帯ラジオで、橋は5月12日に完成、13日には初列車がクワイ河を渡るとの日本軍の情報を知った。事実、クワイ河の架橋工事は進み、捕虜兵士の士気は上がり、彼らは橋梁建設に生きる意義を見出していた。
ニコルスンはこの橋に英軍の誇りをかけていた。
5月12日がきた。
その夕刻、ワーデンら挺身隊はクワイ河を見下ろす陸の上に辿りついた。
夕陽に映えて巨大な橋が見事完成されていた。
夜影に乗じ、ジョイスは橋脚に爆薬を装置、シアーズとワーデンは迫撃砲を備えて彼を援護、橋梁爆破の準備はなった。
朝がきた。
斎藤大佐とニコルスンは最後の点検に橋の上へ上がった。
そのとき、ニコルスンは橋脚の爆薬を発見した。
すると、その矢先斎藤大佐はジョイスに後から刺し殺された。
折しも列車の汽笛が聞こえた。
ジョイスは発火装置に迫ろうとしたがニコルスンに遮られた。
シアーズがジョイスを助けるため出てきたがジョイスとともに、日本兵に射殺された。
その瞬間、丘の上のワーデンが放った迫撃砲の1弾はニコルスンの傍らに落下、ニコルスンの体は発火装置の上に崩れ折れた。
捕虜たちが苦心の末に完成した橋は列車とともに粉砕した。
ゆるやかに流れるクワイ河の水面には「本橋梁は英軍将士によって建造されたものなり」と書いた1枚の板が漂うばかりであった。
コメント:
『アラビアのロレンス』を監督した、イギリスを代表する名匠・デビッド・リーンの監督作品である。
舞台は、第二次大戦中のビルマとタイの国境。
ビルマは、日本軍が占領していた期間を除き、英領だった地域だ。
これは、立派にイギリス映画といえるだろう。
脚本はカール・フォアマン、マイケル・ウィルソンという二人の米国人であり、原作者・ピエール・ブールはフランス人だが。
戦争の矛盾と愚かさを三人の将校を通じて描く傑作という名高い戦争ものである。
さまざまな争いと裏切りが描かれるが、やはり戦争とはそういうものだということが胸に迫る名作である。
第二次世界大戦の只中である1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に泰緬鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の悲惨さを表現した戦争映画。
泰緬鉄道というのは、タイとビルマを結ぶ鉄道のこと。
劇中に登場するイギリス軍兵士への数々の懲罰は、原作者のブールが実際に体験したものであるとされる。
舞台となった鉄橋が架かる川の旧来の名称はメークロン川であったが、この映画によって「クワイ川」が著名となったために、クウェー・ヤイ川と改名され、クウェー川鉄橋は公開後半世紀経過した現在でも観光名所となっている。
「すべてお前たちが悪い、お前たちの上官が悪い。」と自分の責務を他人に負わせる日本人将校。
規則一点張りで頑なに信念を通す英国将校。
軍用列車のための橋梁建設を通してこの二人がぶつかり合う。
期日が迫り苦肉の策として英国将校に指導権を渡す。
指導権が移ってからは橋の建設は着々と進む。
一方、この橋を破壊するために派遣される英国将校。
彼もまた任務一筋。
クライマックスはこの三人が絡み合い、戦争の狂気が露呈して行く。
冒頭大空を優雅に舞う鳥・・・・・狂気が幕を閉じた後の空にも・・・。
いったい誰が何のために戦うのだろう・・・。
そこには大義名分などあるはずがない。
主演したウィリアム・ホールデンは、ハリウッドを代表する米国出身の俳優。
代表作は、『サンセット大通り』(1950年)、『第十七捕虜収容所』(1953年)、『麗しのサブリナ』(1954年)、『慕情』(1955年)、『戦場にかける橋』(1957年)、『ワイルドバンチ』(1969年)、『タワーリング・インフェルノ』(1974年)、『ネットワーク』(1976年)。
斎藤大佐を演じた早川雪洲は、千葉県で生まれ育ち、1907年に21歳で単身渡米し、ロサンゼルスの日本人劇団で活動したあと、1913年にハリウッドで映画デビューした。
1915年に『チート』でトップスターの地位を確立し、白人女性を誘惑する悪役の日本人役でマチネー・アイドルとして人気を獲得した。
その一方で、アメリカで排日運動が高まっていた背景もあり、日本人社会からは雪洲の役柄が反日感情を助長するとして強く非難された。
1918年からは自身の映画会社ハワース・ピクチャーズ・コーポレーションでプロデューサー兼主演俳優として活動したが、1922年に反日感情の高まりのためハリウッドを離れた。
その後は私生活での女性問題や第二次世界大戦など波乱な人生を送りながら、1960年代までの半世紀にわたり欧米や日本で映画、舞台、テレビに出演した。
キャリア後期の代表作『戦場にかける橋』(1957年)の捕虜収容所所長役は、雪洲の最も有名で高く評価された演技となり、第30回アカデミー賞では助演男優賞にノミネートされた。
劇中で演奏される『クワイ河マーチ』(『ボギー大佐』を編曲)は有名。
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