「第三の男」
(原題: The Third Man)
1949年9月3日イギリス公開。
1952年9月9日日本公開。
カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。
第二次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたフィルム・ノワール。
興行収入:4,400,000ドル。
脚本:グレアム・グリーン
監督:キャロル・リード
制作:キャロル・リード
配給:ブリティッシュ・ライオン・フィルムス
音楽:アントン・カラス
キャスト:
ホリー・マーチンス:ジョゼフ・コットン
アンナ・シュミット:アリダ・ヴァリ
“第三の男”ハリー・ライム:オーソン・ウェルズ
キャロウェイ少佐:トレヴァー・ハワード
ペイン軍曹:バーナード・リー
門衛:パウル・ヘルビガー
クルツ男爵:エルンスト・ドイッチュ
ポペスコ:ジークフリート・ブロイアー
ヴィンクル医師:エリッヒ・ポント
クラビン:ウィルフリッド・ハイド=ホワイト
あらすじ:
米国の作家ホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、旧友ハリー・ライムに呼ばれて、四国管理下にある戦後のウィーンにやって来たが、ハリーは自動車事故で死亡し、まさにその葬式が行われていた。
マーティンスは墓場で英国のMPキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)と連れになり、ハリーが闇屋であったときかされたが、信じる気になれなかった。
ハリーは生前女優のアンナ(アリダ・ヴァリ)と恋仲であったが、彼女と知り合ったマーティンスは、彼女に対する関心も手伝ってハリーの死の真相を探ろうと決意し、ハリーの宿の門衛(パウル・ヘルビガー)などに訊ねた結果、彼の死を目撃した男が三人いることをつきとめた。
そのうち二人はようやく判ったが、“第三の男”だけはどうしても判明しないまま、マーティンスは何者かに脅かされはじめ、門衛も殺されてしまった。
一方アンナは偽の旅券を所持する廉でソ連MPに粒致されることになり、それとも知らずに彼女の家から出て来たマーティンスは、街の物陰に死んだはずのハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)をみつけた。
ハリーがペニシリンの密売で多数の人々を害した悪漢であることを聞かされていたマーティンスはこれをMPに急報し、アンナの釈放と引きかえに彼の逮捕の助力をするようキャロウェイから要請された。
マーティンスはハリーと観覧車で逢い、改めて彼の兇悪振りを悟って、親友を売るもやむを得ずと決意したが、釈放されたアンナはマーティンスを烈しく罵った。
しかし病院を視察してハリーの流した害毒を目のあたり見たマーティンスは結局ハリー逮捕に協力することになり、囮として彼をカフェで待った。
現れたハリーは警戒を知るや下水道に飛び込み、ここに地下の拳銃戦が開始され、追いつめられた彼はついにマーティンスの一弾に倒れた。
かくて改めてこの“第三男”の埋葬が行われた日、マーティンスは墓地でアンナを待ったが、彼女は表情をかたくしたまま彼の前を歩み去って行った。
コメント:
洋画の古典として有名な作品である。
第二次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたミステリー映画。
かなり入り組んだ複雑なストーリーだが、しっかりした脚本と演出によって最高の作品に仕上がっている。
さすが、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲得しただけある。
なぜこの映画がイギリス映画ベスト100に含まれているかというと、制作・監督をつとめたキャロル・リード、脚本をつとめたグレアム・グリーンが、ともにイギリス人であるからだ。
また、配給会社は、ブリティッシュ・ライオン・フィルムスという英国の企業だった。
つまり、制作スタッフがすべて英国勢によるものということになる。
キャストは、米国人などが多く、イギリス人は脇役数名のみである。
キャロル・リードは、英国映画界で多くの作品を残した名監督だった。
本作でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞し、1953年には映画監督として初めてナイトの称号を与えられた。
1950年代からは様々なジャンルの映画を撮り続け、1968年の『オリバー!』では、ミュージカル映画初挑戦ながらもアカデミー監督賞を受賞した。
主な作品は、以下の通り:
- 邪魔者は殺せ Odd Man Out (1947)
- 落ちた偶像 The Fallen Idol (1948)
- 第三の男 The Third Man (1949)
- 文化果つるところ Outcast of the Islands (1951)
- 二つの世界の男 The Man Between (1953)
- 文なし横丁の人々 A Kid for Two Farthings (1955)
- 空中ぶらんこ Trapeze (1956)
- ハバナの男 Our Man in Havana (1960)
- 逃げる男 The Running Man (1963)
- 華麗なる激情 The Agony and The Ecstasy (1965)
- オリバー! Oliver! (1968)
- 最後のインディアン The Last Warrior (1970)
- フォロー・ミー The Public Eye / Follow Me! (1972)
グレアム・グリーンという人は、単なる脚本家ではなく、多くの小説や戯曲を世に出した本格的な作家である。
本作は、ハリー・ライム(第三の男)のことを一途に恋焦がれるアンナという女性と、彼女のことを好きになる三文小説家のホリーが、結ばれることのないラブストーリーで、それをサスペンス風味で描いた名作である。
作家のホリーは、ハリーの死の真相を探るうちに、アンナがどんなにハリーを想っているか感じるのだが、彼自身も彼女の魅力に惹かれていく。
米英ソ連仏の四か国の支配を受けている第二次世界大戦後のウィーンでの物語だ。
ストーリーの詳細と見どころは、以下の通り:
西部小説専門のアメリカの大衆作家・ホリー・マーティンス (ジョゼフ・コットン) は、旧友ハリー・ライム (オーソン・ウェルズ) の招きに応じて四ヶ国管理下のウィーンに来てみると、頼むハリーは自動車に轢かれて、その葬式が行われるところであった。
予期しない親友の野辺の送りをすませての帰り道、マーティンスに国際警察のイギリス側代表キャロウェイ少佐 (トレヴァー・ハワード) からハリーが悪質な闇屋だったと聞かされた。
だが、到底信ずる気になれない彼は、酔ったまぎれに少佐を殴ろうとして、かえって部下のペイン軍曹 (バーナード・リー) の返り討ちに遭い、軍専用のホテルへ連れて来られた。
マーティンスの愛読者であるペインは、ホテルに着くと、文化教育宣伝局員に得々と彼を紹介したのがもとで、マーティンスは講演を頼まれた。
その夜、マーティンスがハリーの友人のクルツ男爵 (エルンスト・ドイッチュ) に会って聞いたところでは、ハリーの最期に居合わせたのは男爵自身とポペスク (ジークフリート・ブロイアー) というルーマニア人の二人きりだということだった。
マーティンスは、葬式のときから彼の脳裡を離れないハリーの情婦アンナ (アリダ・ヴァリ) を訪ねた。
彼女の言葉によると、ハリーの検死をしたのはヴィンケル (エリッヒ・ポンド) というハリーのかかりつけの医者で、ハリーを轢いたのはハリー自身のお抱えの運転手であった。
ハリーの死の現場にいたのは揃いも揃って彼の知人ばかりである。
ハリーはほんとうに過失死なのだろうか。
マーティンスは更に、ハリーの死を偶然窓から見たというアパートの門番 (パウル・ヘルビガー) から、ハリーの死体を運ぶのに、クルツとポペスクの他にもう一人、第三の男がいたという新事実を聞き出したが、それを警察に届けろと云うと、門番はひどく取乱して彼を追い返しにかかった。
丁度そこへボールを拾いに来た少年 (ハーバード・ハルビック) が呆気に取られて、これを見ていた。
翌日、マーティンスはヴィンケル医師を訪ね、ポペスクにも会うことが出来たが、彼等は一様にハリーの死の現場を居合わせたのは二人きりだと云い張った。
国際警察はアンナのアパートを捜査して、ハリーからの手紙を残らず押収した。
彼女の為の身分証明書も取り上げられたが、キャロウェイが問題にしたのは、ハリーの手紙の中のジョゼフという名前であった。陸軍病院の看護人、ジョゼフ・ハーヴィンが行方不明なのだ。
マーティンスは第三の男の謎を解く為にもう一度門番を訪ねてみると、意外にも門番は殺された後だった。
おまけに、この前ボールを拾いに来た少年から、この人が殺したのだと騒ぎ立てられて、這々の態でホテルに逃げ帰ったが、そこにタクシーが待っていて、フル・スピードで彼を講演会場へ運んだ。
もともと大衆作家の彼は、高級な文学ファンを前に始めからしどろもどろ、聴衆は失望して一人減り二人減りして行く中に、突然ポペスクが入って来た。
閉会と共に身の危険を感じたマーティンスは裏階段を駈け上り、瓦礫の山に飛び下り、ポペスク一味の追跡の眼をかすめて、辛くも国際警察に逃げ込むことが出来た。
マーティンスはここで初めてハリーの闇がどんなものか知った。
陸軍病院から盗み出したペニシリンを水で割って闇に流し、その為沢山の人が死んだり、発狂したりしたというそれは全く残忍きわまるものであった。
この恐るべき事実に打ちのめされたマーティンスは、いさぎよくウィーンを去ろうと決心して、最後の名残りにアンナを訪ねたが、彼女はいまだにハリーを思いきれないでいた。
その帰り途、マーティンスは誰かが自分を尾行しているのに気がついた。
マーティンスの叫び声を聞きつけて、室内の燈がつき、軒下に潜む男の顔が照らし出された。
ハリーだ。
マーティンスはすぐに追いかけたが、忽ち見失ってしまった。
早速ハリーの墓は堀り返された。
棺の中の死体は、ジョゼフ・ハーヴィンであった。
ハリーが隠れているのはソ連地区に違いない。
身分証明書の偽造がばれ、チェコに送還される運命のアンナに、キャロウェイは、ハリーをソ連地区から国際地区へ誘い出してくれれば、彼女を救けると持ちかけたが、彼女は受け付けなかった。
マーティンスは思いきって単身ソ連地区にクルツを訪ね、ハリーとの面会を求めた。
二十年来の友マーティンスの前へハリーは遂に姿を現した。
大空高く弧を描いて廻る展望車に乗りながら、ハリーは自分の犯罪に対し一片の感傷すらない不敵の言葉の末に、マーティンスに仲間入りを勧めた。
キャロウェイはアンナの為に新しい身分証明書を発行し、暫く安全な場所に身を隠すよう取り計らった。
アンナはこの気味の悪いばかりの親切に感謝しつつ、あわやウィーンの駅を発とうという瞬間、ひそかに彼女を見送りに来たマーティンスの姿を見て直感した。
彼女の安全と引換えに、マーティンスはハリー誘い出しの囮となろうとしているに違いない。
彼女は列車から飛び降り、マーティンスの面前で証明書を引き裂いて立ち去った。
このアンナの出方に、またしても心がゆらぎ、帰国を決心したマーティンスを、キャロウェイはジープで送る途中、病院に立ち寄らせた。
それはハリーの残酷な犯罪の犠牲者に満ち満ちた地獄図であった。
これを見たマーティンスの心はさすがに正義の炎にもえた。
夜更けて人通りも絶えた国際地区のカフェで、マーティンスはハリーを待っていた。
附近にはキャロウェイの部下が、目白押しに隠れていた。
アンナが来て、マーティンスに毒づいた。
「警察の犬になって、さぞ御満足でしょ!」
彼女のこの一言は、折しも裏口から忍び込んで来たハリーの耳を射った。
身近から迫る危険を感じて踵を返した彼は、素早くマンホールから地下の下水道に逃げ込んだが、それはキャロウェイの予期していたところであった。
次第次第に追いつめられて、あがきにあがくハリーの野獣のような姿に、マーティンスの情けの一発が止めをさした。
晩秋の一日、今度こそほんとうのハリーの葬式が行われた。
その帰り途、ジープを降りて、未練がましくアンナを待つマーティンスに、彼女は一瞥も与えず立ち去るのであった。
このエンディングは、最高のシーンである!
このラストシーンが実に良い。
最もサスペンスを感じさせるシーンがこちら:
暗闇の中で佇むハリー。
その前にアンナの部屋で、ホリーに「その猫はハリーだけに懐いていた」と言う伏線がある。
マーチンに触られるのを嫌がった猫は窓から外へ出る。
猫が石畳の上を歩き壁際の暗闇に佇む男の靴に猫がすり寄る。
暗闇で男(ハリー・ライム)の顔は見えない。
外へ出たマーチン:「スパイごっこか?なぜ私をつける?誰か知らんが、出て来い!」
周囲の建物の窓に明かりがつき、「うるさい」と言う声。
ハリーの斜め左上の窓の明かりがつく。
窓から顔を出した女が叫ぶ。
明かりが暗闇の中のハリーの顔を照らす。
気づいたマーチン。ハリーの顔にカメラがズームする。
窓の明かりが消えてハリーの顔はまた暗闇の中に。
ハリー消える。
追うマーチン。
ここでカメラが「斜めの構図」になる。
これはマーチンの動揺を表しているのだろう。
石畳に光る光線。
黒白撮影が冴え渡る。
明かりを使った巧みな映像のテクニックが光る。
ラストの10分間以上続く地下の下水道のシーンも素晴らしい:
風船売りのヒゲの杖老人が張り込み中の米軍のキャロウェイ少佐とペイン軍曹に近づく。
遠景のガレキの山にハリーが現れる。
俯瞰のカメラが囮のマーチンがいるカフェに少しズームで近づく。
ハリー地下の下水道に逃げる。
マーチンに撃たれたハリーが地上への螺旋階段を登る。
入口には鉄格子がある。
両手の指をハリーが鉄格子の穴から出す(地上から撮ったカット)
ここで、疑問なのは、ハリーは右手に拳銃を持っている。
右手に拳銃を掴んだままで格子の隙間から右手の指を5本出すことが出来るのか?
観念したハリーがうなづく。
マーチンの銃声。
ヒロインのアンナを演じたアリダ・ヴァリが美しい。
この人は、現在のクロアチア領、当時はイタリア王国領であったイストリア半島のポーラ生まれの女優。
主な作品は、アルフレッド・ヒッチコックの『パラダイン夫人の恋』、キャロル・リードの『第三の男』、ミケランジェロ・アントニオーニの『さすらい』、ルキノ・ヴィスコンティの『夏の嵐』。
アントン・カラスの軽快なツィター(チター)の音色が印象的な映画でもある。
アントン・カラスは、ツィターの名手。
ツィターは、主にドイツ南部、オーストリア、スイスなどでよく使用される弦楽器。チターともいう。
アントン・カラスは、工員の息子としてウィーンに生まれ育つが、ハンガリー人の家系である。
12歳でツィターの演奏を始め、15歳の時には既にウィーンのホイリゲ(居酒屋)で演奏家として自活していた。
第二次世界大戦の前後を通じて、週に15ドルという薄給で妻と3人の子供を養っていたが、1948年にウィーンのホイリゲで演奏中に、映画監督キャロル・リードに見出され、『第三の男』の音楽担当者に抜擢された。
この音楽が大人気を呼び、1949年9月には英国王室の招待を受け、バッキンガム宮殿で演奏。
1951年にはローマ教皇の招待を受けてバチカン宮殿で演奏した。
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