「悲恋」
(原題:L'eternel Retour)
1943年10月13日公開。
「トリスタンとイゾルデ」の現代版。
ジャン・コクトーとジャン・マレーの関係。
脚本:ジャン・コクトー
監督:ジャン・ドラノワ
キャスト:
パトリス:ジャン・マレー
ナタリイ:マドレーヌ・ソローニュ
マアク:ジャン・ミュラー
アシル:ピエラル
あらすじ:
パトリスは広大な荘園の持主である叔父マアクの城に住んでいる。
二十四才の彼は自由の子であった。興趣くままに馬を駆って狩の旅に出たり、幾週間もキャンプ生活をしたりして、青春をたのしんで暮している。
しかし城の生活は陰気であった。
マアクの愛妻が、難破で一緒に死んで以来、マアクは独身を続けていた。
その姉ジェルトルードは、夫のアメデ・フロッサンと息子アシルと共に、寄食しているのであるが、パトリスと同年の二十四才のアシルは小人のような不具者だった。
不具のひがみと、不具の子を持つ親のひがみのために、フロッサン親子は意地悪の根性曲りで、そのために城の生活を惨めにしていた。
アメデは古い銃や剣をいじるのが道楽だった。
アシルはその銃で園丁の犬を射殺したりして、常にいざこざを起こしていた。
パトリスは叔父のマアクに再婚を勧め、自ら叔父の嫁探しに、叔父の所有している漁夫の島に赴く。
そこの酒場でパトリスは美しい娘に会った。
その娘は酔いどれの漁夫にいじめられていたので、パトリスはモロールトというその漁夫の頭を割ったが、彼も太ももにナイフ傷を受ける。
その娘はナタリイといい、ノルウェイ人の父母と死別し、この島のアンヌという親切な女に育てられた娘であった。
ナタリイは人事不省のパトリスをアンヌの家に連れて来て介抱した。
彼女はモロールトといやいや婚約していたが、パトリスに心を惹かれる。
ところがパトリスは彼女に叔父と結婚してくれと申し入れる。
ナタリイは意外であったが、酔いどれ漁夫の妻でいるよりはと思い、パトリスと共に城に赴き、マアクと結婚した。
アンヌは養女が愛なき結婚をするので、毒と記して媚薬をナタリイの荷物の中に入れていた。
その媚薬を、ひねくれ者のアシルが毒だと思って秘かにカクテルに入れてしまう。
あらしの日、パトリスとナタリイがカクテルを飲むと、その効能があったのか、パトリスはナタリイを愛し始めてしまう。
そしてある夜、パトリスが愛を語っているのを叔父マアクに見つけられ、勘当される。
ナタリイも島へ返されるが、パトリスは途中で彼女を奪って山の小屋に赴く。
しかしマアクは探し出しナタリイを連れもどす。
パトリスは唯一の財産の古自動車を売りに、町のガレージを訪ねる。
そのガレージの主人は彼の学友リオネルだった。
その妹もナタリイと呼び、パトリスを愛する。
パトリスはこのナタリイと結婚することとなり、島のアンヌの家で式をあげる準備をする。
ところが、パトリスは第一のナタリイが忘られず、第二のナタリイもパトリスが愛しているのは、自分ではないことを知る。
パトリスはリオネルに頼み、夜、城へナタリイと会いに行く。
しかしナタリイは重病で会えず、パトリスはアシルにそ撃され脚に負傷する。
島に逃げもどったパトリスの傷は破傷風となり危篤に陥る。
パトリスはリオネルに頼み、ナタリイに来てもらう。
彼女はマアクと共に、病を押して来たが、パトリスはすでに息絶えていた。
ナタリイもパトリスの傍に倒れ、そのまま世を去った。
コメント:
この映画は、ワーグナーの歌劇「トリスタンとイゾルデ」の復活版と言われている悲劇である。
まずは、原作となっている「トリスタンとイゾルデ」の簡単なあらすじをおさらいする:
「トリスタンとイゾルデ」:
アイルランドの姫・イゾルデは、マルケ王に嫁ぐために航海している。
マルケ王の甥であるトリスタンはイゾルデの護送役としてその舵を切っている。
愛に苦しむトリスタンとイゾルデは死の薬を飲むが、それは「愛の薬」だった。
二人は激しく愛し合う。
そしてマルケ王の留守中に逢引をしているところを、二人は見つかってしまう。
トリスタンと悪漢メロートは剣を交え、トリスタンは重傷を負い居城に帰る。
そこでイゾルデを待つが、彼女が来ると間もなくトリスタンは息絶える。
イゾルデも息絶え、マルケ王は二人の冥福を祈る。
この映画では、主人公・トリスタンがパトリスに、ヒロイン・イゾルデ姫がナタリイに変わっているのだ。
そして、トリスタンの叔父・マルケ王が叔父・マアクに変わっている。
この作品は、公開当時のパリで大評判になったようだ。
その理由は、歌劇「トリスタンとイゾルデ」の復活ではない。
この作品自体が素晴らしかったのだ。
さらにもう一つの理由は、LGBTのゴシップだった。
この作品の脚本を担当したジャン・コクトーと、主役をつとめたジャン・マレーという、二人の「ジャン」。
実は、ジャン・コクトーとジャン・マレーの二人は、恋人同士だった。
つまり、ゲイの関係にあったのだ。
コクトーがこの『悲恋』を書いたのは、マレーを誰もが認める大スターにするためだったといわれている。
そのために、コクトーは他の仕事はまったく入れずに、長い時間をかけ、何度も推敲して台本を仕上げたという。
その苦労が報われた喜びをコクトーは日記にこんなふうに記している。
「1943年10月20日
『悲恋』の成功は、一般大衆と愛好家を融和させることを狙っていただけに、ぼくには感激だ。
目的は達した。
ジャン・マレーは大スターして認められた。」
(ジャン・コクトー『占領下日記』より)
第二次大戦の真っ盛りのこの時期にも、自由の国・フランスの首都パリでは、LGBTの世界もお盛んだったのだ。
あらゆる愉しみを禁じて戦争一筋だった日本と比べると何とおおらかな国だろう。
ジャン・コクトーは、パリ近郊の小さな町で、フランスの芸術家。
詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれた。
自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。
ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。
代表的な監督映画は『美女と野獣』。
一方のジャン・マレーは、シェルブール出身で、1933年に映画デビューし、1937年にコクトーと知り合う。
ジャン・コクトー演出の舞台『恐るべき親達』で主役を演じ、俳優としての地歩を固める。
第二次世界大戦に出征後、舞台と映画で活躍する。
本作を皮切りに、『美女と野獣』、『双頭の鷲』(1946年)、『オルフェ』(1950年)など、ほとんどのコクトー作品に出演した。
公私ともに深い付き合いを続けたこの二人の最初の映画作品こそ、この「悲恋」であった。
ストーリーは悲しい男女の永遠の別れなのだが、コクトーとマレーにとっては、初の映画での成功となった記念すべき作品なのだ。
そんな二人が映っている貴重な写真がこちら:
(コクトーが見つめる先に、イケメンのマレーが)
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(フランス語にロシア語がかぶっていて聞きにくいが、画像は鮮明)