フランス映画200選 第23作 「フレンチ・カンカン」 ムーラン・ルージュ誕生物語を描く傑作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「フレンチ・カンカン」

French Cancan

 

フレンチ・カンカン」ー華麗で小粋なミュージカル映画 : 青木利元のブログ

 

「フレンチ・カンカン」 予告編

 

1954年12月27日公開。

フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を描く名作。

 

監督・脚本:ジャン・ルノワール

 

キャスト:

ダングラアル:ジャン・ギャバン

ロオラ:マリア・フェリクス

ニニ:フランソワーズ・アルヌール

ポオロ:ミシェル・ピッコリ 

ヴアルテル男爵:ジャン・ロジェ・コーシモン 

王子アレクサンドル:ジャンニ・エスポジト 

 

シネクラブ『フレンチ・カンカン』 監督:ジャン・ルノワール

 

あらすじ:

1888年、パリ。

興行師ダングラアル(ジャン・ギャバン)の経営する寄席〃シナ屏風〃から物語は始まる。

モデルをしていてダングラアルに見出され、この寄席のスターとなったロオラ(マリア・フェリクス)は烈しい気性そのままにダングラアルを熱愛していた。

しかし、彼の事業の出資者であるヴアルテル男爵(ジャン・ロジェ・コーシモン)が彼女につきまとっていた。

ある夜、モンマルトルへ行ったダングラアルは、”白い女王”というキャバレーで、恋人のポオロとカンカン踊りに興ずる小娘ニニ(フランソワーズ・アルヌール)の新鮮さに驚かされ、カンカン踊りを新しいショーとして興行する決心をした。

彼は早速〃シナ廉風〃を亮払い、〃白い女王〃を買う契約をした。

そしてフレンチ・カンカンと新しい名をつけ、ニニを説得して踊りの練習をさせた。

”白い女王”は坂り壊され、その名も”ムーラン・ルージュ”と改められた。

ムーラン・ルージュ〃の棟上式の日、ニニに嫉妬したロオラが喧嘩をしかけ、大乱斗となった。

ダングラアルはニニのことで怨みをもつポオロに工事中の穴へ突き落され、重傷を負った。

彼が退院した日、ロオラにそそのかされたヴアルテル男爵が出資を申止したことを知った。

この絶望の日にダングラアルとニニは初めて結ばれた。

しかし、かねてニニに思いを寄せていた近東の某国王子アレクサンドルの援助で、”ムーラン・ルージュ”の建設は着々と進められた。

嫉妬に燃えるロオラは、アレクサンドルを連れて”ムーラン・ルージュ”にやって来て、ニニに王子の面前でダングラアルの情婦であることを白状させた。

失望した王子はピストル自殺を計ったが、未遂に終わり、ニニに”ムーラン・ルージュ”の権利書を渡して去って行った。

後悔したロオラも協力を約した。

そして、”ムーラン・ルージュ”開場の日が来た。

人人は開場前からどっと押寄せた。

しかし、ニニは、ダングラアルの心が新しい歌手に移ったことを知り、沈んでいた。

いよいよ呼びもののカンカンが始まるというとき、嫉妬にかられたニニは楽屋にこもって出演を拒絶した。

観客は騒いだ。

しかし、「恋人がほしければアレクサンドルに電報を打て、亭主がいるならポオロのところへ行け」というダングラアルの厳しい言葉に、ニニはカンカンに生きる自分の立場を知った。

割れ返るような拍手のなかに飛び出たニニは何もかも忘れて踊り出していた。

 

フレンチ・カンカン 映画 動画配信 ネット 視聴

 

コメント:

 

ジャン・ルノワールが15年ぶりに故郷パリに帰って製作した大ヒット作。

”フレンチ・カンカン”成立のプロセスを縫って1880年代のパリが描かれる。

 

1880年代のパリを舞台に、フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を虚実取り混ぜて描く。

エディット・ピアフをはじめとして多くの歌手も出演している。

 

全編名画を見ているような色彩やセットの見事さに改めて感動する。

ラストのダンスは映画史に残る名場面である。

 

この映画は観た人全てを幸せにする。

溢れ過ぎた歓喜に踊り子も観客もパニック状態になっている。

まさに映画の持つ力ここにあり!

 

理解不能なフランス人の恋愛への自由さと身勝手さ。

ジャン・ルノワールお得意の、男と女の自由自在な三角関係、四角関係が入り乱れるが、最後は、当時世界一だったミュージカルの殿堂・ムーラン・ルージュにおけるフレンチ・カンカンのシーンで華々しい映像を見せつけている。

 

ジャン・ギャバンがモテモテの主人公をカッコよく演じている。

この頃になるとジャン・ギャバンという役者はフランス映画の中心でしっかり存在感を示すようになっている。

すでに50歳だった。

 

フレンチ・カンカン de Jean Renoir (1954) - Unifrance

 

ムーラン・ルージュとは、フランス語で「赤い風車」という意味である。

1889年にパリでオープンした、この名前がついたキャバレーが世界中に知れ渡ることとになった。

パリのモンマルトルにあるこの建物の上には、目印となる大きな赤い風車があった。

 

ムーラン ルージュからサクレ クールへのモンマルトル ナイト ツアー (グラス シャンパン付き) 2023 - パリ

 

日本人たちも、何とか日本でも同じような劇場を立ち上げようと決意するに至った。

その代表格が、「ムーラン・ルージュ新宿座」。 

これは、戦前から戦後にかけて、かつて東京・淀橋区(現・新宿区)角筈に存在した大衆劇場である。

1931年(昭和6年)に新興の街・新宿に開館し、軽演劇やレヴューを上演して学生や知識層の人気を集め、多くの作家、俳優を輩出して1951年(昭和26年)に閉館した。

本家のフランス・パリのモンマルトルにある「ムーラン・ルージュ」と同様に、建物の上には大きな赤い風車があったという。

 

18]第2章 演劇篇(10) - 香取俊介|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

 

「フレンチ・カンカン」とは何か。

1890年代に立ち返ったようなロングスカート、ペチコート、黒ストッキング等の衣装を着用した、女性ダンサーのコーラスラインが上演するショーダンス。

このダンスの主な呼び物は、ハイキックでスカートを捲り上げて巧みに操る、その挑発的且つ刺激的な体の動きである。

大股開きの曲芸的なパフォーマンスで、世界中で人気を博した。

日本でも、宝塚や松竹歌劇団などを筆頭に、日本のいたるところで繰り広げられた。

 

 

またジャック・オッフェンバック作の有名なオペレッタ作品、地獄のオルフェで流れる「地獄のギャロップ」は「天国と地獄」の曲名でも知られ、その旋律は最もカンカンを思い起こさせるものの一つである。

 

 

 

 

この映画は、TSUTAYAでレンタル可能: