フランス映画200選 第16作「新学期 操行ゼロ」 学園紛争を描いた異様な問題作! | 人生・嵐も晴れもあり!

人生・嵐も晴れもあり!

人生はドラマ!
映画、音楽、文学、歴史、毎日の暮らしなどさまざまな分野についての情報やコメントをアップしています。

「新学期 操行ゼロ」

(原題:ZERO DE CONDUITE)

 

ヤフオク! -新学期 操行ゼロの中古品・新品・未使用品一覧

 

「新学期 操行ゼロ」 全編

 

1933年フランス公開。

1976年8月14日日本公開。

 

監督・脚本:ジャン・ヴィゴ

 

キャスト:

コサ:ルイ・ルフェーヴル

ブリュエル:ココ・ゴルステン

コラン:ジルベール・プリュション

ユゲ先生:ジャン・ダステ

校長先生:デルファン

厳格先生:ロベール・ル・フロン

 

新学期 操行ゼロ』、『少女』

 

あらすじ:

夏休みが終ると、新学期。

寄宿学校の子供たちは、休みの間に覚えた新しいいたずらを級友たちに披露するのを楽しみに学園に帰ってくる。

もちろんまた、勉強と規則づくめの生活に戻る不安感とそれなりの覚悟をそなえて--。

登校の日、列車の中でコサ(ルイ・ルフェーヴル)とブリュエル(ココ・ゴルステン)は一緒になった。

もう一人、変な男が同席したがこれは新任のユゲ先生(ジャン・ダステ)だった。

駅につくと、さっそく生徒監の号令が待っていた。

転入したばかりのタバール(ジェラール・ド・ベダリュー)は、その号令だけで気分が悪くなって、つきそってきた母親にそのままつきそわれて、翌日の夜から寄宿舎に入るという。

コサとブリュエルはこれくらいは慣れっこだ。

もう一人、大将のコラン(ジルベール・プリュション)がおり、三人揃えば鬼に金棒だ。

しかし、その三人にとっても、他の生徒たちにとっても何より恐いのは、いつ宣告されるかわからない「操行ゼロ! 日曜外出禁止」の宣告だ。

寄宿舎生活では、ふだんから自由のかけらもないのに、週に一度しかない日曜日に、おしおきされて外出禁止なんかされたら、それは死の宣告と同じではないか。

三人組の秘密は、いつの日か大人たちを徹底的にビックリさせてやることだが、男だか女だかわからないタバールを仲間にいれるかどうか問題だった。

しかしそのタバールが火ぶたを切った。

化学の先生に向かって、さらに厳格先生(ロベール・ル・フロン)、校長先生(デルファン)にも面と向かって“糞ったれ!”と、大胆にも言い切ったのがキッカケだった。

枕の羽毛はまき散らされ、小さな革命宣言が読み上げられると、先生はあわてふためく。

学園の生徒全員が異常な夜の祭りに喜び勇んで参加する。

翌日、タバールを加えた四人組みは、他の生徒が眠りこける間に、そっと起き上がる。

町のお偉方が集まる、今日は年に一度の学園祭なのだ。

校長先生たちも着飾って緊張しているそのとき、空カンや古靴が雨あられのように屋根裏を占拠した四人組の手で、大人たちの頭上に浴びせられる。

“規則くたばれ! 操行ゼロ、くたばれ! 自由、万才!”の喚声と歌声と共に……。

 

Amazon | ジャン・ヴィゴ コンプリート・ブルーレイセット (『アタラント号』『新学期 操行ゼロ』『ニースについて』『競泳選手ジャン・タリス』)  [Blu-ray] | 映画

 

コメント:

 

詩的な映像表現と才気に満ちた4本の作品を遺し、29歳の若さでこの世を去ったフランスの伝説的映画作家ジャン・ビゴが28歳の時に手がけた監督第3作。

フランスの全寮制中学で、教師たちは規則で生徒たちを抑えつけ管理しようとする。

ついに我慢の限界に達した生徒たちは、自由を求めて“革命”を起こす。

そのスキャンダラスな内容から12年近く公開禁止となった。

 

フランソワ・トリフォーのデビュー作『大人はわかってくれない』が世に出るきっかけとなった映画とも言われている。

監督のジャン・ヴィゴは、父親が無政府主義の活動家だったという異色の出自を持ち、独特の感性で映画制作に立ち向かった。

 

新学期 操行ゼロ : 作品情報 - 映画.com

 

新学期に合わせて帰省先から寄宿舎に戻る一人の生徒が夜行列車の客席にいるシーンからこの映画は始まる。

途中から合流してきた生徒と車内で手品を披露したり、次から次へと出てくる小道具で悪ふざけをしたりするのだが、しまいには葉巻をふかし車内を煙いっぱいにする。

アナーキーな映画の始まりに唖然してしまうと同時に映画を見始める時の身構えが早くも無効化し、観る者の感覚をいきなり全開にさせてしまう。

 

少年たちの好奇心に満ちた純粋無垢なアクションが白い煙に覆われる白黒の美しい画面は映画の原点を見せられているようでもあり、その継続されたサイレント的表象は終盤の伝説的な枕投げのシーンへ受け継がれていく。

寄宿舎の抑圧的な生活に耐えかねた生徒たちが寝室内で怒りを爆発し、誰からともなく枕投げが始まるのだが、騒乱がエスカレートするなかで、破れた枕から大量の羽毛が乱舞し部屋中を覆い尽くす。

暴れまわる生徒たちと舞い上がる羽毛の戯れはスローモーションで撮られている。

現実の時間感覚を逸脱した夢幻的なシーンは、生徒たちが起こす喧騒に流れる速度を半減することによって、真逆の静謐さが現実的感覚の息苦しさから生徒たちを自由へ解放するかのようである。

 

スローモーションは映画の外部からの表層次元のメタ的手法であり、生徒たちの行動と意味関係を結ばないはずであるのだが、生徒たちの自由への渇望が映像イメージそのものとして、ジャン・ヴィゴの視線を通して現実の閉塞感を超えた異次元としての自由空間を引き寄せている。

 

ゆっくりと舞い上がる羽毛は生徒たちにとっての無数の天使たちでもあるのだ。

手に負えなくなった舎監をよそにドクロマークの旗を揚げて行進する生徒たちの姿にはアナーキズムの真髄に触れ得るような気さえするが、白衣の行列には一転、厳かで荘厳なイメージをもたらしている。

 

それゆえ自由への希求にはある種の不気味さが表裏一体にもなっている。

抑圧の象徴として描かれたはずの校長を筆頭に教師や舎監といった大人たちは、権威的に振る舞えば振る舞うほど滑稽な存在になり、能天気な新任教師ユゲをはざまに置いて、やんちゃを働く生徒たちと同列のユーモラスな存在にされてしまう。

 

冒頭の夜行列車の車内における台詞を一切発しないアクションの連続性、新任教師ユゲの荒唐無稽な振る舞いやパントマイム的行為、投げられた枕や乱舞する羽毛、屋上から式典中の校長や来賓を目掛けて次々と投げつけられる古靴や古本などの事物の即物性や即時性といった直接的でシンプルな描写には純度の高いナンセンス精神が炸裂している。

 

サイレントからトーキーへ移行する渦中に制作された『新学期操行ゼロ』には、チャップリンなどのサイレント時代の偉人からジャック・タチやトリフォーなどのフランス映画の後継者にまでいたる、様々な原型が宝石箱さながらに溢れているようだ。

 

1988年公開の大ヒット映画『ぼくらの七日間戦争』のお手本になったのがこの作品かも知れない。

1930年代のフランスは厳格過ぎる教師たちがたくさんいたのだろう。

 

この映画は、今ならYouTubeで全編無料視聴可能。

 

この映画のレンタル、動画配信は見当たらない。

AmazonでDVDを販売中:

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%AD%A6%E6%9C%9F-%E6%93%8D%E8%A1%8C%E3%82%BC%E3%83%AD-DVD-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B4/dp/B000U5HWXS