欧州映画50+50 ポーランド 第92作「大理石の男」 20世紀におけるポーランドの悲劇を描く! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「大理石の男」

(英語:Man of Marble)

 

大理石の男 : 作品情報 - 映画.com

 

「大理石の男」 プレビュー

 

1977年2月25日公開。

スターリニズム全盛時代から現代までのポーランド社会を描く。

第31回カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞。

 

脚本:アレクサンドル・シチボル・リルスキ

監督:アンジェイ・ワイダ 

 

キャスト:

  • イエジー・ラジヴィオヴィッチ:マテウシ・ビルクート/その息子マチェック
  • クリスティナ・ヤンダ:アグニェシカ
  • タデウシ・ウォムニツキ:ブルスキ、映画監督
  • ヤツェク・ウォムニツキ:青年時代のブルスキ
  • ミハウ・タルコフスキ:ヴィンチェンティ・ヴィテク
  • ピョートル・チェシラク:ミハラク
  • ヴィエスワフ・ヴィチク:ヨドワ、書記
  • クリスティナ・ザフヴァトヴィッチ:ハンカ・トムチク
  • マグダ・テレサ・ヴイチク:編集者
  • ボグスワフ・ソプチュク:テレビ局の編成係
  • レオナルド・ザヨンチコフスキ:レオナルド・ブリボス、カメラマン
  • イレナ・ラスコフスカ:博物館員

大理石の男 | 内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー

 

あらすじ:

1976年のポーランド。

映画大学の女子学生アグニェシカ(クリスティナ・ヤンダ)は、彼女の第1回ドキュメンタリー作品としてテレビ局で仕事をすることになった。

彼女は、50年代の労働英雄の姿を描くことで、その年代の人々や周囲の状況を伝えようと思いあたり、主人公の調査のため博物館に行った。

そして、その倉庫の隅で、かつて有名だった煉瓦積みエマテウシュ・ビルクート(イェジー・ラジヴィオヴィッチ)の彫像が放置されているのを発見した。

ビルクートは、戦後のポーランドで最初に建設された大工業プロジェクトの建設に従事した労働者だったが、現在の消息は不明だった。

そして、生き証人とのインタビューを通じて、彼女は、一人の労働者を浮き彫りにしてゆく。

映画監督ブルスキ(タデウシュ・ウォムニツキ)は、当時統一労働者党員が組織したデモンストレーションでビルクートは煉瓦積みの新記録を打ち立てたと語った。

マスコミは彼にとびつき、彼を描いた映画で、ブルスキも監督として新しい道を歩むことになったのだ。

次に会ったミハラック(ピョートル・チェシラク)は、もと保安隊の将校で今はストリップ劇団の座長をしているが、彼はビルクートの経歴を詳しく知っていた。

ビルクートは煉瓦積みのチームの班長だったが、そのデモンストレーションに参加した時、熱く焼けた煉瓦を渡された。

それはサボタージュの意図だったのだが、同僚の一人が犯人として疑われた時、ビルクートは彼をかばい、共に刑務所に送られることになり、ビルクートは職も名誉も失つてしまったのだ。

出獄したビルクートは、入獄中に別れた妻を探していたということだが、めぐり逢えたのかは定かでなかった。

ビルクートの前妻がザコパネにいるらしいということからその町を訪ねたアグニェシカは、彼女に会った。

そして、彼女の悲惨な生活と夫との再会の話に胸をうたれた。

しかし、主人公がみつからなくては映画は完成できないだろうということでテレビ局が、彼女の企画を没にしてしまった。

困ったアグニェシカは、父(ズジスワフ・コジェン)に相談する。

父は彼女に、平凡な真実こそが何よりも大切であること、映画が完成するということよりも、彼女が追求したそのものが真実だということを説明する。

彼女は、ビルクートの息子がグダニスクの造船所で働いていることを知り、彼を訪ねた。

ビルクートはすでにこの世になく、それ以上のことは、息子の口から聞き出せなかった。

しかし、彼女はあきらめない。

彼女はビルクートの息子と共にワルシャワに向かった。

 

解釈-大理石の男 -Człowiek z marmuru-|artoday - chiaki|note

 

コメント:

 

スターリニズム全盛の時代と現代のポーランド社会をつなぎながら、この国が乗り越えてきた戦後と、その時代に生きたある煉瓦工の悲劇を描いた傑作。

 

第31回カンヌ国際映画祭でポーランド当局に無断でスニークプレビューされ、国際映画批評家連盟賞を受賞した。

スニークプレビューとは、映画祭や展覧会などで行われる一般公開前の内覧会のこと。

 

映画はビルクートのその後の人生については何も語ってはいない。

第二次世界大戦が終了して5年後のポーランドを描いている。

まだソ連・スターリニズムの影響を色濃く受けながら、社会主義的な政策により国を挙げて復興に取り組み始めた時代だ。

家族や仲間のために頑張ろうとする労働者に対し、政治的・党派的利害で彼らを抑圧しようとする勢力も幅を利かせていた。

ビクルートはそうした時代状況の中で犠牲になった悲劇的な心ある労働者の一人だったのだろう。


二十五年の時を経て1970年代の後半、若き学生が映像表現でもってその時代を見つめなおそうとするのだが、歴史はそう簡単には扉を開いてはくれない。

過去と現在を行きつ戻りつしながら、映画はドキュメント的な感覚を保ちつつも真実というところまでは辿り着かない。

考える材料をズシンと残したままで映画は我々の前から去っていく。

 

スターリンが率いたソ連という大国がどれだけ周辺国に悪影響を残したのかを考えさせられる重い映画である。

そんなソ連の末裔である横暴なロシアは、プーチンと言う独裁者が今またウクライナに侵攻し、悪辣な侵略を継続している。

歴史は繰り返される。

 

本作は、ポーランドを代表する名監督・アンジェイ・ワイダの傑作として名高い。

社会主義政権の時代に思想を統制しようとする政治に対してのプロパガンダ的な作品である。

 

1950年前後のポーランドが如何なる国だったかを振り返る趣旨の映画なのだ。

人間が人間であるための人権を侵害する描写は実に苦々しい。
 

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