「パパは、出張中!」
(英語: When Father Was Away on Business)
1985年ユーゴスラビア公開。
1985年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。
脚本:アブドゥラフ・シドラン
監督:エミール・クストリッツァ
キャスト:
- マリク:モレノ・デバルトリ
- 父メーシャ:ミキ・マノイロヴィッチ
- 母セーナ:ミリャナ・カラノヴィッチ
- 人民委員会のジーヨ:ムスタファ・ナダレヴィチ
- 体操教師アンキッツァ:ミラ・ファーラン
- 祖父ムザフェル:パヴレ・ヴイシッチ
- マーシャ:シルヴィア・プハリッチ
あらすじ:
1950年、サラエボ。
チトー大統領の5ヵ年計画の実現に向けて邁進する若きユーゴスラヴィアは、ソ連のスターリン主義に対抗せんとして、自らもまた混迷の時を迎えていた。
マリック(モレノ・デバルトリ)は6歳。父メーシャ(ミキ・マイノロヴィチ)、母セーナ(ミリャナ・カラノヴィチ)、祖父ムザフェル(パヴレ・ヴイシッチ)の愛情に包まれて楽しい毎日を送っていた。
ところが、ある日、父メーシャが逮捕されてしまう。
というのも、メーシャが出張にかこつけて愛人の体操教師アンキッツァ(ミーラ・フルラン)と情事を楽しんでいた時、ふと国家を批難したのだが、そのことを彼女が自分に言い寄ってきた人民委員会のジーヨ(ムスタファ・ナダレヴィチ)にもらしてしまったのだ。
しかも、ジーヨはメーシャの義理の兄、つまりセーナの兄なのだ。
セーナは救いを求めて兄を訪れたが拒否される。
父が家に帰らないことを不安気に尋ねるマリックに母は「出張中よ」と答えるしかなかった。
そんなある日、地方の鉱山で奉仕労働をしている父から連絡があり、セーナとマリックが会いに行った。
久しぶりにベッドを共にする夫婦だが、夢遊病で自分のベッドを抜けだすマリックのために邪魔にされて苦笑い。
だが、幸福なひと時が親子三人に戻って来た。
サラエボに帰ったセーナはアンキッツァを訪ねて問いつめ、つかみあいの大喧嘩になった。
マリックもアンキッツァにかみついて母に加勢した。
父からの便りでマリックたちは聞いたこともない町、ズボルニクに引越すことになった。
だが、とにかく家族一緒に暮らせるのだ。
島流しとはいえ、メーシャはチェス仲間の上司とうまくやっているし、それなりに楽しい生活が始まった。
そして、マリックは恋をした。相手は、“博士”と呼ばれて慕われている初老のロシア人の娘マーシャ(シルヴィア・プハリッチ)。
しかし、彼女は体中の血を変えないと生きられない難病にかかっている。
そんなことは知らないマリックは、夢遊病でマーシャの家を訪れ彼女のベッドにもぐりこんだり、一緒に勉強したり風呂に入ったりもした。
そして、ある夜、彼女は救急車で運ばれたまま二度と帰って来なかった。
父はとうとうサラエボに帰ることを許された。
1952年7月、ユーゴが自信をもって一人歩きしていた頃である。
マリックの叔父の結婚式が開かれ、親戚や友人たちが久々に一堂に会した。
同棲しているジーヨとアンキッツァも招かれている。ジーヨは酒びたりの毎日で、体を壊していた。
メーシャはアンキッツァを納屋に連れ込み、自分を密告したことを問いつめた。
彼女は彼に愛していると告げるが、彼は彼女のすがる手を振りきった。
外では宴も終り、男と子供たちはユーゴ対ソ連のサッカー試合の実況中継を聞いていた。
そんなさ中に、祖父が養老院へ一人発っていった。
コメント:
ユーゴスラヴィアを代表する名匠・クストリッツァ監督の作品で、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールに輝いた名作である。
チトー大統領統治下のユーゴスラヴィアがスターリン体制から離れていく時代を背景に、時代の波が押し寄せるサラエボのある一家の物語を少年の目を通して描いた作品。
1950年代のユーゴスラヴィア・サラエヴォを舞台に、少年マリクとその家族が経験する時代の厳しさを家族愛とコメディを交えつつ描いた家族ドラマといった趣。
物語の背景には当時のユーゴとソヴィエトの対立があり、ユーゴ国内において親ソ的・親スターリン的思想の持ち主と疑われれば逮捕されるという絵に描いたような言論と思想の弾圧があった。
マリクの父親メーシャもひょんなことから体制批判を疑われ、義兄の人民委員に逮捕され強制労働に憂き目に遭う。
そこから始まる一家の顛末。
劇中ではモザイク国家ユーゴスラヴィアを表現するかのように多様なキャラクターが確固とした色を持って舞台の上を練り歩いていく。
それでいてストーリーのテンポは自然で無理がない。
ユーゴを代表する名匠・クストリッツァ作品には、いつも色の強いキャラクターたちが現れるが、調和を崩すことなく物語は結末にうまく着陸していく。
また、ユーゴという国家とそこに生きる家族を描き出すという点において、後に二度目のパルムドール受賞に輝いた『アンダーグラウンド』の原型が本作にあるように思える。
国家・政治に翻弄される家族たち。
理不尽だがどこか滑稽な体制・権力、罵詈雑言と喧嘩の絶えない普遍的な家族愛を描いている。
ユーゴスラビアという国は、
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」
と表現された。
「7つの国境」とは、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア。
「6つの共和国」とは、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナのこと。
「5つの民族」とはセルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人。
「4つの言語」とはセルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語。
「3つの宗教」とはカトリック、正教、イスラム教。
「2つの文字」は上にちらっと書いたラテン文字とキリル文字のこと。
しかし、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は1980年代後半の不況によって各構成国による自治・独立要求が高まり、1991年から2001年まで続いたユーゴスラビア紛争により解体された。
その後も連邦に留まったセルビア共和国とモンテネグロ共和国により1992年にユーゴスラビア連邦共和国が結成されたものの、2003年には緩やかな国家連合に移行し、国名をセルビア・モンテネグロに改称したため、ユーゴスラビアの名を冠する国家は無くなった。
この国も2006年にモンテネグロが独立を宣言、その後間もなくセルビアも独立を宣言し国家連合は解消、完全消滅となった。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアとなった。
さらに、セルビア国内の自治州であったコソボは2008年にセルビアからの独立を宣言し、コソボ共和国となった。
つまり、7分割してしまったのだ。
「ユーゴ」という名前はどこにもない。
本作は、そんなユーゴ地域の苦しみを真正面からとらえた貴重な映画である。
ユーゴでの凄まじい紛争のさなかで生きて行く家族の姿が悲しい。
こんな苦しい世界が存在しているのだ。
これだけ複雑な地域は、おそらく世界一であろう。
だが、こんな難しい所であっても、人々は必死に生きているし、映画も製作され続けている。
この映画は、今ならYouTubeで全編無料視聴可能(英語字幕付き)。
この映画は、TSUTAYAでレンタル可能:
参考までに、『アイダよ、何処へ?』というボスニア・ヘルツェゴビナが2020年に公開した映画がある。
これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を描いた作品だ。
旧ソ連の崩壊後、東欧の社会主義国だった旧ユーゴスラビアにおいても分離独立の動きが活発化し、互いに宗教の異なる3つの民族が共存するボスニア・ヘルツェゴビナでは紛争が勃発。
そして1995年夏、国連により安全地帯に指定されていたボスニア東部の町、スレブレニツァに武装したセルビア人勢力が侵攻し、8千人を超す地域住民を大量虐殺する事件が生じることに。
戦後の欧州最悪の悲劇とも言われるこの虐殺事件の全貌を、『サラエボの花』(2006年、 ベルリン国際映画祭金熊賞受賞)の、J・ジュバニッチ女流監督が映画化したものだ。
この作品も数々の映画賞に輝き、絶賛を博した。
この映画は、Amazon Primeで動画配信中: