「灰とダイヤモンド」
(英語:Ashes and Diamonds)
1958年10月3日公開。
ドイツ降伏直後のポーランドを背景とした一人の青年の物語。
第20回ヴェネツィア国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞。
原作:イェジ・アンジェイェフスキ
脚本:アンジェイ・ワイダ、イェジ・アンジェイェフスキ
監督:アンジェイ・ワイダ
キャスト:
- ズビグニエフ・チブルスキー:マチェク
- エヴァ・クジジェフスカ(吹き替え::クリスティーナ
- ヴァーツラフ・ザストルジンスキ:シュチューカ
- アダム・パヴリコフスキ:アンジェイ
- ボグミウ・コビェラ:市長秘書
- ジャン・チェチェルスキ:ホテルマン
- スタニスワフ・ミルスキ:新聞記者
- アルチュール・ムロドニツキ
あらすじ:
1945年5月8日、ポーランドの地方都市。街のはずれの教会のそばに、二人の男が待ち伏せていた。
党地区委員長シュチューカを殺すためだ。
見張りが車の接近を叫んだ。
銃撃。
車の男達は惨殺された。
しかしそれは人違いで、シュチューカの車は遅れて着いた。
《こんな殺人がいつまで続くのか》
通りがかりの労働者達は彼に詰問した。
--夕方、街の放送塔がドイツの降伏を告げた。
市長主催の戦勝祝賀会のあるホテルで、殺人者達は落ち合う。
見張りの男は市長秘書だった。
二人の男、アンジェイ(アダム・パウリコフスキー)と若いマチェク(ズビグニエフ・チブルスキー)がそのホテルへやって来た。
彼等はロンドン派の抵抗組織へ入り、独軍と戦った。
解放後は市長やワーガ少佐の指令で反党地下運動に従う。
シュチューカが部下とホテルに現れ、マチェクは始めて誤殺に気づく。
彼はシュチューカの隣りに部屋をとった。
向かいの家には誤殺した男の許婚と思われる女がいた。
ホテルのバーには美しい給仕クリスティーナ(エヴァ・クジイジェフスカ)がいた。
アンジェイは少佐に呼ばれ、暗殺の強行を命ぜられる。
ソビエトから帰国早々のシュチューカは息子が心配で、死んだ妻の姉を訪ねる。
そこにはワーガ少佐が隠れ住んでいた。
引取られた息子はワルシャワ蜂起以後、生死不明だった。
一方、ホテルのホールでは歌が始まり、誰もいないバーでマチェクとアンジェイはグラスの酒に火をつけ、死んだ仲間を悼んだ。
アンジェイは朝四時に任務でワルシャワへ発つ。
《それまでに殺す。連れてってくれ》マチェクはアンジェイと約束した。
彼はクリスティーナに《今晩十時、部屋で待つ》と誘うが相手にされない。
市長秘書は酒飲みの新聞記者の老人にささやかれた、
《市長が新政府の大臣になる》出世の機会だ。
ついつい老人と盃を重ねてしまう。
宴会場には市長も到着した。
そんな時マチェクの部屋の戸が叩かれた。
クリスティーナだ。
《貴方なら後腐れがないから来たの》女は話す、両親は戦争中死んだと。
市長秘書は泥酔し、老記者を連れ宴会場へ押し入った。
マチェクは女と時を過ごす。
いつしか二人は愛し合っていた。
マチェクはいつも離さぬ黒眼鏡のことを話す。
ワルシャワの地下水道にいたのだ。
二人は外へ出る。
雨が降りだし、教会の廃墟に雨宿りした。
女は墓碑銘を読む。
《……君は知らぬ、燃え尽きた灰の底に、ダイヤモンドがひそむことを……》
ノルヴィッドの詩だ。
マチェクは強く望む。普通の生活がしたい!
死体置場には今日殺した二人の死体があった--。
保安隊が反党派の残党を捕えた。
その中の不敵な少年はシュチューカの息子だった。
マチェクはホテルの裏で女と別れるが、アンジェイを見かけ、思わず便所へ隠れた。
《裏切って女と逃げるのか》アンジェイはいう《そんなら俺がやる》
--マチェクはシチューカ暗殺を引き受けてしまう。
宴会場では市長秘書が消火器の液をまき散らし市長から見放された。
マチェクは息子に会いに行くシュチューカの後をつける。
ふりむきざま、乱射した。
相手の体がマチェクに覆いかぶさってきたその時、祝賀花火が一斉に揚った。
--夜明け、マチェクは荷物をまとめ、クリスティーナに別れを告げた。
《行ってしまうの?》
宴会の流れはまだ続いている。
マチェクは同志の出発を物陰で見た。
アンジェイからも見放された市長秘書が、マチェクにすがろうとする。
逃げるマチェクは保安隊にぶつかった。
追われ、撃たれた。
ホテルでは市長や伯爵や大佐夫人達が亡霊のようにポロネーズを踊っていた。
クリスティーナは立ちつくしている、涙を流して。
マチェクはいつか町はずれのゴミ捨場を獣のようにうめき、笑いながら、よろめきはっていた。
ボロ屑の中で、最後のケイレンがくる。
汽車の響きが遠ざかった。
コメント:
ドイツ軍が降伏した1945年5月8日のポーランドを舞台にしている。
党県委員会書記のシュチューカの暗殺を依頼されたロンドン亡命政府派の青年・マチェクが誤って別人を殺害し、翌朝、軍によって射殺されるまでの一日を象徴的に描く。
体制側が主人公と捉えていたシュチューカではなく、彼の暗殺を遂行するマチェクに焦点が当てられているため、検閲の際にはその点が問題視されたが、マチェクがゴミ山の上で息絶えるラストシーンが反政府運動の無意味さを象徴したものだと統一労働者党から高く評価され、上映が許可された。
しかし、監督・ワイダはむしろ、ラストシーンを見た観客がマチェクに同情することを期待したという。
本作は1959年の第20回ヴェネツィア国際映画祭で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞。
ワイダの『世代』『地下水道』とともに「抵抗三部作」と呼ばれる。
この映画の中で女が読む詩の一節が本作のキモになっている。
「……君は知らぬ、燃え尽きた灰の底に、ダイヤモンドがひそむことを……」
これは、ポーランドの詩人・チプリアン・カミユ・ノルヴィッドの「舞台裏にて」という弔辞のようだ。
この映画のタイトル「灰とダイヤモンド」は、ここからの引用だ。
その全文は以下のようになっているという:
松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
燦然たるダイヤモンドの残らんことを
おそらく、「自分が死んで灰となったとしても、残った灰の底にはダイヤモンドのように貴重な「自由」というものが必ずあるのだ」と、自由というものの大切さを訴えているのだろう。
1945年5月8日という日は、欧州で第二次世界大戦が終結した記念すべき日だ。
ホロコーストなどの、ドイツの侵略による悪夢がこの日に終わりを迎えたのだが、同時にポーランド及びその他の中東欧全地域のソ連による支配がはじまった日でもある。
戦争が終わり、圧政が始まったというのが、東欧の悲劇なのだ。
1945年5月8日から1989年9月7日までの44年間は、マルクス・レーニン主義のポーランド統一労働者党(PZPR)が寡頭政治を敷くポーランド人民共和国の社会主義体制時代であった。
1945年5月8日、ドイツ降伏によりポーランドは復活したが、その国の形はアメリカ・イギリス・ソ連のヤルタ会談によって定められた。
カティンの森事件でポーランド亡命政府は、ソ連の発表の受け入れを拒否。
スターリンは亡命政府と関係を断絶し、ソ連主導のルブリン政権が新たなポーランド国家となったのだ。
1989年6月18日、円卓会議を経て実施された総選挙(下院の35%と上院で自由選挙実施)により、ポーランド統一労働者党はほぼ潰滅状態に陥り、1989年9月7日には非共産党政府の成立によって民主化が実現し、ポーランド人民共和国と統一労働者党は潰滅した。
この1989年9月7日から現在までは「第三共和国」と呼ばれる国家であり、民主共和政体を敷く民主国家時代である。
共産主義政権からの膨大な借金と経済危機がますます深刻化し、政治を不安定化させた。
西側諸国の機関は、すでに破産しているポーランド政府には貸付を延長しなかった。
ポーランド政府は西側諸国や日本などの先進国に食糧や経済・技術支援を強く要請し国民の飢餓を逃れた。
1990年11月14日には統一ドイツとの間で国境線を最終確認する条約が交わされ(旧西ドイツは、旧東ドイツとポーランド人民共和国が1950年7月6日に交わした国境線画定条約の効力を認めていなかった)、ドイツとの領土問題は終了した。
1993年、第二次世界大戦からポーランドに駐留していたロシア連邦軍(旧ソビエト連邦軍)が、ポーランドから全面撤退した。
1997年には憲法の大幅な改正が行われ、行政権が大統領から首相へ大幅に委譲され、首相が政治の実権を握ることとなった。1999年、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。
2004年5月1日、ポーランドは欧州連合(EU)に加盟した。
こんな苦難の歴史を持つポーランドは、今やNATOとEUの圏内にあって、ようやく自由な国となっているのだ。
すぐ隣にあるウクライナも、ついにロシアと完全に袂を分かち、西側に加盟しようと、ロシアと徹底的に戦っているのだ。
世界平和という課題が実現するのはいつになるのだろうか。
この映画はそれを予告しているようだ。
本作を監督したアンジェイ・ワイダは、ポーランドを代表する映画監督で、20代から映画界に入り、長年に渡ってさまざまな映画を世に出し、多数の映画賞を獲得した。
代表作は、『世代』(1955年)、『地下水道』(1957年)、『灰とダイヤモンド』(1958年)、『大理石の男』(1977年)、『鉄の男』(1981年)、『ダントン』(1983年)。
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