「地の涯に生きるもの」
(ちのはてにいきるもの)
1960年10月16日公開。
知床半島に猫だけを相手に一冬をすごす男の物語。
昭和35年度芸術祭参加作品。
原作:戸川幸夫『オホーツク老人』
監督:久松静児
脚本:三枝睦明、久松静児
出演者:
森繁久彌、草笛光子、山崎努、船戸順、司葉子、織田政雄、永井柳太郎、太田博之、浜村純、由利徹
あらすじ:
オホーツク海は秋になると荒れ始める。
九月に入ると、まず昆布採りの漁師たちが知床半島から去っていく。
次に、漁期を終えた鱒漁師たちが引揚げる。
十月の末になると、最後に残った鮭漁の人たちも帰ってしまう。
その原始の世界の中に、たった一人残っている人物がいた。
留守番さん--というのがこの老人村田彦市(森繁久彌)に与えられた名前だった。
人々の去ったあとの番小屋の中には、漁網が残されるが、それが飢えた鼠を呼んだ。
その網を鼠から守るために猫が必要とされ、猫に飯をくわせるために人間が必要なのである。
言葉では言えない孤独は、彦市に過ぎ去った人々を回想させる。
--彦市はオホーツク海に直面するウトロ港に近いオシンコシン岬の番屋で生まれた。
三十のとき、小さくて古くはあったが一艘の船を買って独立した。
他の若者と対決のあげく、飯たきの娘おかつ(草笛光子)と、強奪する形で結婚した。
おかつは、次々と三人の子供を生んだ。
しかし、長男の与作は流氷にさらわれて死に、二男の弥吉(山崎努)は戦争で倒れた。
おかつも、急性肺炎で死んだ。
彦市は東京の工場で働いていた三男の謙三(船戸順)を呼びよせて船を与えた。
その船で漁に出て行った謙三は、嵐に会ってそのまま帰ってこなかった。
彦市は謙三の死を信じることができなかった。
エトロフ島の見える番小屋の留守番さんを志願したのも、謙三の帰りを待つためでもあった。
ある夏、都会の娘(司葉子)がこの地の涯を訪れた。
謙三という恋人が死んだ場所を一度見たかったという。
--彦市にとっては、こうした思い出と猫だけが無聊を慰めるものであった。
猫たちはそれを知ってか、彦市に甘えた。
だが、その猫さえもが大鷲にさらわれることもあった。
彦市は老いた身に鉄砲をかまえて後を追った。
たくましかった若き日のように。
コメント:
本作は、森繁久彌が自らのプロダクションで製作した“オホーツク老人”の映画である。
漁師の番屋を冬の間一人で守る老人の人生を描いた映画
戦前から戦後までの激動の時代を生きた老人とその家族の物語で何故一人で番屋の守り人となったかがわかる感動作。
極寒の知床半島でたった独り、猫だけを相手に海辺の小屋で冬を越すという老人の生活を描いている。
過去の回想場面として、海で鮭を獲る少年時代から、食堂の娘・草笛光子を巡ってライヴァル漁師の西村晃と争った時代、その草笛との間に3人の息子を授かるものの、長男は流氷に浚われて幼くして死に、次男・山崎努は戦死し、妻・草笛も風邪をこじらせ、大きな街の病院まで運ぶ途中で死に、三男・船戸順も嵐の夜にソ連船に拿捕されるのを恐れてエトロフ島に助けを求めなかったために死んだ、という物語が映像として流れる。
久松静児らしい丁寧な作りが貫かれている。
後に「知床旅情」の表記にされ、大ヒットした曲が流れる映画である。
当初は、「しれとこ旅情」。
これは、森繁久彌自身が作詞・作曲を手がけた「オホーツクの舟歌」に、森繁久彌自身が、新たに歌詞を添詞をした楽曲。
初出時の題は『しれとこ旅情』だった。1960年発表。
オホーツク海に直面する「ウトロ港」というのが出てくる。
これこそ、つい最近たくさんの観光客をオホーツク海の冷たい海の犠牲になった場所だ。
やはり昔から極寒の地で、人が住むのが難しい場所だったことが感じられる。
山崎努は、森繁久彌が演じる主人公の老人の次男として登場するが、戦争で死亡してしまう。
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