「大いなる幻影」
1937年6月8日フランス公開。
1949年5月21日日本公開。
第一次世界大戦でのフランスとドイツの戦いを背景にした大ヒット作品。
評価順位:
- 「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight & Sound』誌発表)
- 1952年:「映画批評家が選ぶベストテン」第13位
- 1962年:「映画批評家が選ぶベストテン」第20位
- 1972年:「映画批評家が選ぶベストテン」第18位
- 1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第32位
- 1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第29位
- 2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第38位
- 2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第73位
- 2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第59位
- 1958年:「世界映画史上の傑作12選」(ブリュッセル万国博覧会発表)第5位
- 2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第65位
- 2010年:「史上最高の外国語映画」100本」(英『エンパイア』誌発表)第35位
- 2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第21位
以下は日本でのランキング
- 1980年:「外国映画史上ベストテン(キネマ旬報戦後復刊800号記念)」(キネマ旬報発表)第5位
- 1988年:「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第5位
- 1989年:「外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第7位
- 1995年:「オールタイムベストテン・世界映画編」(キネ旬発表)第10位
- 1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第19位
- 2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第59位
受賞歴:
- 受賞
- ヴェネツィア国際映画祭芸術映画賞
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー外国映画賞
- ニューヨーク映画批評家協会賞最優秀外国語映画賞
- ノミネーション
- ヴェネツィア国際映画祭ムッソリーニ杯(外国映画大賞)
- 第11回アカデミー賞作品賞
脚本:シャルル・スパーク、ジャン・ルノワール
監督:ジャン・ルノワール
キャスト:
- マレシャル中尉:ジャン・ギャバン
- エルザ:ディタ・パルロ
- ポアルディウ大尉:ピエール・フレネー
- ラウフェンシュタイン大尉:エリッヒ・フォン・シュトロハイム
- ローゼンタール中尉:マルセル・ダリオ
- カルティエ:ジュリアン・カレット
あらすじ:
第一次世界大戦中(一九一六年)敵情てい察の任務を持つマレシャル中尉(ジャン・ギャバン)とポアルディウ大尉(ピエール・フレネー)を乗せたフランスの飛行機は、ドイツの飛行隊長・ローゼンタール(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)に撃墜されドイツ軍の捕虜となった。
マレシャルはパリの機械工の出、ポアルディウは貴族、そして国こそ違うが同じく貴族であるラウフェンシュタインは二人を捕虜扱いにせず不運な勇士として食卓にさえ招待するのであった。
彼等が収容されたハルバハ・キャンプの部屋には、ローゼンタール(マルセル・ダリオ)というフランスに帰化したユダヤ人の金持の息子もいた。
彼のもとに、日毎送られて来る慰問品で同室の人々はぜいたくな食事をとることが出来た。
貴族出で終始白い手袋をはめているポアルディウをマレシャルは仲々信用しなかったが、脱走するための地下穴を掘る件に関しては皆んなが協力した。
ある夜収容所で演芸会が催された時、先に占領されていたドウオモンが友軍が奪回したとのニュースを聞いたマレシャルは興奮のあまり舞台に飛び出して、この旨を観客に知らせたので大騒ぎとなった。
彼はそのかどで一時営倉に入れられてしまった。
脱走の計画が着々実現可能な折も折、残念なことに彼らはスイス国境に近いシャトオ収容所に移転されてしまった。
そこで彼等を迎えたのは負傷して収容所長に後転したラウフェンシュタインだった。
彼は同じ貴族でしかも武人であるボアルディウに再会出来たのを非常に喜んだ。
貴族階級というものがやがてこの世界から姿を消す悲惨な運命を背負っているということも、二人のわびしい心には通じていた。これが更に二人を固く結んだ。
一方マレシャルとローゼンタールはそのころ脱走計画をたてていた。
ラウフェンシュタインは、彼等を逃がすため城内を逃げまわっているボアルディウを規則と業務遂行のため彼の脚をねらって射ったが、運悪く急所にあたりボアルディウはラウフェンシュタインに見送られながら永遠の眠りについた。
ボアルディウのおかげで運よく脱走したマレシャルとローゼンタールは疲労と空腹のため一時は口げんかもしたが、山地を歩いているうち、とある田舎家にたどりついた。
家には母と子供がたった二人きりで住んでいた。
子供は見ずしらずの敵国人たる彼等を慕い始め、心やさしいエルザ(ディタ・パルロ)も彼等を厚くもてなし、二人をかくまってやった。
マレシャルは次第にこのエルザが好きになった。
良く通じない言葉でも彼等の心は互に接近していったが、脱走途中である二人はやさしいエルザとも別離しなければならなかった。
彼はエルザに戦いが終ったら再会しようと約束してローゼンタールと共にスイス国境に向かった。
雪の山地を二人は強歩しとうとうスイス国境の寸前まで来てしまった。
二人の姿を見つけた監視兵は射撃を開始したが、かけ出した二人はすでに国境線を突破していた。
射撃の音はやんだ。白い雪でおおわれたスイスの山腹をマレシャルとローゼンタールの黒い二つの影が進んでいく。
コメント:
第一次世界大戦でのフランスとドイツの戦いを背景に、ドイツ軍捕虜となったフランス人の収容所生活と階級意識、彼らとドイツ人将校との国境を超える友情を描いて、鋭く人道主義的立場から戦争を批判した反戦映画である。
ジャン・ルノワールが監督、ジャン・ギャバンが主演し、脚本はルノワールとシャルル・スパークが共同で執筆している。
作品は高く評価されて数々の映画賞を受賞、第11回アカデミー賞作品賞にもノミネートされた
日本では、1938年に輸入されたものの検閲により上映禁止となり、第二次世界大戦後の1949年に公開が実現した。
同年のキネマ旬報ベストテンでは第2位にランクインされている。
すばらしい反戦映画。
ドイツ側のラウフェンシュタイン大尉のエリッヒ・フォン・シュトロハイムが最も魅力的、怪物俳優と言われたという。
そして、マレシャル中尉を演じているジャン・ギャバンは、戦前戦後のフランス映画におけるカリスマ的名優である。
ジャン・ルノアールは従来の戦争映画が、娯楽中心の安直な愛国精神を謳ったものばかりなのに不満を持ち、「戦闘員たちの真実の姿」を描く作品を作ろうと、航空隊に所属し空中から敵陣を撮影する偵察任務についていた自らの戦争体験を元に、原型を作って行った。
初め「マルシャル大尉の脱出」との題で、スタッフ・キャストとも決定していたが、周囲の理解を得られず3年近くもお蔵入りしていた。
悩んだルノアールは友人の監督ジュリアン・デュヴィヴィエに作品を譲ろうとしたが、こんな兵隊だらけの映画はつまらんと断られ、「仕方ない。私がつくるしかない。」と決めたと自伝で述べている。
タイトルも容易に決まらず、撮影編集が済んだ時点で半ばいい加減な形で「大いなる幻影」と決められた。
タイトルはいいかげんであっても、内容は人道的であり、反戦を訴える最高の作品になっている。
ジャン・ルノワール監督の最高傑作。
1937年フランス映画白黒スタンダード。
第一次世界大戦ドイツ軍とフランス、イギリス、ロシア各国の将校たちとの捕虜収容所を舞台にしたやりとり、ジャン・ギャバンの脱走、かくまってくれる民家のおかみさんとの出会いと別れ、再会を約してスイスに逃がれるラストシーンなど、見どころ一杯の作品。
反戦映画だが、現代とは違って、まだ人間味があって、後世に残る傑作である。
ジャン・ルノアール監督は、『女優ナナ Nana』 (1926年)、『牝犬 La Chienne』 (1931年)、『ボヴァリィ夫人 Madame Bovary』 (1933年)、『トニ Toni 』(1935年)、『どん底 Les Bas-fonds 』(1936年)など、多くの作品で知られる戦前戦後のフランスの代表的監督である。
ジャン・ギャバンは、フランスを代表する俳優で、『望郷』(1937年)、『愛慾』(1937年)、『大いなる幻影』(1937年)、『陽は昇る』(1939年)、『現金に手を出すな』(1954年)、『フレンチ・カンカン』(1954年)、『ヘッドライト』(1956年)、『地下室のメロディー』(1963年)、『シシリアン』(1969年)など多くの作品を残した。
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