今井正監督の映画 「海軍特別年少兵」 太平洋戦争で硫黄島に送られた日本の少年兵を描いた問題作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「海軍特別年少兵」

 

海軍特別年少兵 : 暗闇の中に世界がある ーこの映画を観ずして死ねるか!ー

 

「海軍特別年少兵」 プレビュー

 

1972年8月12日公開。

東宝創立40周年記念作品。

「東宝8.15シリーズ」最後の作品(第6作)。

 

脚本:鈴木尚之

監督:今井正

 

キャスト:

  • 工藤上等兵曹:地井武男
  • 吉永中尉:佐々木勝彦
  • 江波洋一:佐山泰三
  • 橋本治:粕谷正治
  • 宮本平太:福崎和宏
  • 栗本武:高塚徹
  • 林拓二:中村まなぶ
  • 橋本ぎん:小川真由美
  • 江波史子:山岡久乃
  • 林弥吉:加藤武
  • 林八重:荒木道子
  • 江波貞雄:内藤武敏
  • 他吉:大滝秀治
  • すず:佐々木すみ江
  • 宮本吾市:三國連太郎
  • 栗本昌子:奈良岡朋子
  • 山中中尉:森下哲夫
  • 原分隊長:近藤宏
  • 国枝少尉:辻萬長
  • 小川憲兵:蔵一彦
  • 分隊士:遠藤征慈
  • 教班長:高橋義治
  • 老和尚:加藤嘉
  • 食堂のおかみ:加藤土代子
  • 兵事係:沢村いき雄

 

海軍特別年少兵の詳細 | ビデオ | ひかりTV

 

あらすじ:

太平洋戦争末期の昭和二十年二月、米軍は硫黄島に怒濤の如く押し寄せた。

戦闘は壮絶を極め、日本軍守備隊の二万三千余のほとんどが壊滅した。

その中に三千八百名にのぼる少年達が含まれていた。

彼等は、「海軍特別年少兵」と呼ばれた。

日本全土が戦意昂揚にわき上る昭和十八年六月、彼等少年達は武山海兵団に入団した。

年令、わずか十四歳であった。

海兵団での生活は想像を絶する程厳しい規律、肉体の限界を越す訓練、いかなる私情もさしはさむ余地のない生活がつづいた。

その中にあって教官の吉永中尉(佐々木勝彦)は、ただ一人「愛の教育」を説いており対照的に「力の教育」を信じて疑うことのなかった工藤上曹(地井武男)とは常に対立していた。

入団以来二ヵ月ぶりに少年達に肉親との面会が許された。

しかし面会をせず、工藤を相手に激しい銃剣術にうちこむ二人の少年がいた。

橋本治(粕谷正治)と宮本平太(福崎和宏)である。

人前で肉親に会うことに抵抗とためらいを感じ、それに耐えていたのである。

治の姉・ぎん(小川真由美)は娼婦で、いわば日陰者、平太の父・吾市(三國連太郎)も非国民のそしりを受ける社会主義者であった。

昭和十九年彼等年少兵は野外演習を行ない、期待に応えて成果をあげた。

ところが最終日に林拓二(中村まなぶ)が天皇から授かっているとされている帯剣を紛失してしまった。

工藤の努力で帯剣を見つけた時には既に遅く、責任を感じ絶望した拓二は自殺してしまった。

工藤はたった一本の帯剣が少年の命を奪ってしまうような軍隊に絶望し、自ら志願して前戦へと転属していった。

そのころ脱走兵と駈け落ちしたぎんが逮捕された。

今まで社会の底辺をはいずりまわり生きて来た者同志がはじめて心から触れ合い、新しい生活を目ざそうとしたのであった。

昭和十九年九月三十日年少兵達に出動の命が下った。

硫黄島守備隊として赴いた彼等に米軍は容赦ない砲弾をあびせた。

再会した工藤上曹や吉永中尉は少年達を救おうと努力したが失敗に終わった。

壮絶な肉弾戦がくりかえされ、死んでいった少年達。又そうするしか道がないと教えこまれ、自から死を選んだ少年達。

それは歴史の一コマとしてみるには余りにも重大な出来事であった。

 

映画「海軍特別年少兵」 - 美里町の探検日記GP

 

コメント:

 

14歳で兵隊として硫黄島に送られるというのは、信じられないし、絶句する。
令和の時代に14歳の少年たちに同じことを強いたとしたら一体どうなるだろうか。

昔の人はすごい。
でもこれが戦争の現実だったのだ!

 

この映画には、古臭さを感じることはない。

太平洋戦争の末期、年端もゆかぬ子供たちを戦場に送り込むことについて、「教育は愛だ」という人道派の教官と、「教育は力だ」という生徒密着型の教班長が対立構図を構成している。

しかしながら、実は二人とも思うことは同じなのだという、二律背反を導き出してしまう“時代の不幸” を真摯に見つめているのである。

鈴木尚之の脚本が良い。

 

劇中でクロースアップにされる5人の特別年少兵のうち、演習の際に軍剣を紛失したかも知れないという負い目を抱いて自殺する少年を演じている中村まなぶは、テレビドラマで活躍している二代目・中村梅雀である。

 

こんなまともに観れないような悲惨なシーンが実際にあったということを我々はしっかり記憶しなければならない。

それを自覚させてくれるこれほどの素晴らしい映画があるだろうか。

今井正の社会派監督としての最高の作品といえよう。

 

海軍特年兵之碑というものがあるようだ。

 

海軍特別年少兵
東京都渋谷区神宮前の東郷神社境内に、昭和46年5月に建設されたという。

それを記念して発表されたメッセージがこちら:


あゝ 14才 大日本帝国海軍史上最年少の勇士である 少年兵より更に2才も若く しかも特例に基ずいたものであったため特別年少兵 特例年令兵の名があり 特年兵と略称された
昭和16年帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的にこれを創設した
太平洋戦争の時局下に純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参じた
その数は17年の一期生3千2百名をはじめ 二期生4千名 3、4期生各5千名 終戦の20年まで約1万7千2百名におよんだ
横須賀 呉 佐世保 舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した
戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された
だが反面幼いだけに犠牲者も多く 5千余名が 南溟に或は北辺の海に短い生命を散らした
しかし特年兵の存在は戦後歴史から忘れられていたため 長い間 幻の白虎隊という数奇な運命をたどっていた
このままでは幼くして散った還らぬ友が余りにも可哀想であり その救国の赤誠と犠牲的精神は日本国民の心に永遠に留め讃えねばならない
英霊の声に呼び覚まされたかの如く 25回目の終戦記念日を迎えた45年 俄に特年兵戦没者慰霊碑建立運動が高まった
戦火は消えて 26年の長い歳月の後に 多くの人たちのご協力によって碑が こゝ東郷神社の聖域に建立されるに至った
そして幻の特年兵はようやく蘇った
そのうえ 特年兵たちが国の母と崇めた皇后陛下の御歌を碑に賜わり 母と子の対面の象徴として表わしこゝに刻む
除幕式には 特年兵ともゆかりの深い高松宮両殿下の御台臨を仰ぐ栄誉に浴した
また 全国の生存者が亡き友の冥福を祈るため それぞれ各県の石47個を持ち寄り碑の礎に散りばめた
吾々は 今は還らぬ幼い戦友の霊を慰め 永遠に安らぎ鎮まらむことを願うと共に 特年兵を顕彰し その真心と功績を後世に伝え祖国繁栄世界平和を祈願しながら尽力することをこゝに誓う

昭和46年5月16日
海軍特年兵生存者一同
建立委員長 小塙精春 撰文謹書

碑名揮毫 昭和46年5月16日
元海軍大臣 海軍大将 野村直邦 敬書
 

 

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