「王将」
1962年11月23日公開。
村田英雄の「王将」を主題歌にした名作。
原作: 北條秀司・戯曲『王将』
監督・脚本: 伊藤大輔
キャスト:
- 坂田三吉 三國連太郎
- 小春(三吉の妻) 淡島千景
- 玉枝(三吉の長女) 三田佳子
- 玉枝(少女時代)、ナレーション 岡田由紀子
- 関根名人 平幹二朗
- 宮田(三吉の後援者) 殿山泰司
- 西村(三吉の後援会長) 花澤徳衛
- 毛利(三吉の弟子) 千葉真一
- 田河 河合絃司
- 松井 杉義一
- 中浜 岡野耕作
- 金杉 菅原通済
- 大倉(三吉を後援する毎朝新聞の記者) 神田隆
- 小崎 香川良介
- 柘植 岡部正純
- 新蔵(三吉の天王寺の長屋仲間のうどん屋) 谷晃
- お幸 赤木春恵
- 古着屋 相馬剛三
- 女中 不忍郷子
- 木田 滝沢昭
- 小夜 谷本小代子
- 榊原(三吉の弟子) 村田英雄
あらすじ:
明治四十年、大阪・通天閣をはるかに望む天王寺の裏長屋。
そのあばら屋の一角に住む草鞋作りの職人坂田三吉(三國連太郎)は、将棋気違いの異名通り、将棋大会の通知さえあれば、女房や娘の苦労もかえりみず家に帰って来なかった。
女房の小春(淡島千景)は、幼い娘玉枝を抱え、日雇い仕事で家計を支えているが、将棋につかれた三吉に愛想をつかし、何度も別れようとしたが、子供のような三吉の姿についほだされてしまい、別れかねていた。
そんな或る日、将棋大会が開かれた。
三吉は、会費を妙見様のお厨子を売り払って都合した。
関西素人将棋会の連中は、毎年三吉に勝たれるのを不快として、京都に遊びに来ていた玄人の将棋指し、関根七段(平幹二朗)を素人のようにして連れてきていた。
決勝に残った三吉は、関東の代表若手棋士・関根七段と対決した。
三吉は相手を玄人とは知らずぶつかっていった。
素人の悲しさで三吉は関根に手もなくひねられた。
しかし、この勝負で、三吉は関西将棋会の人達にその棋力を認められた。
会の有力者、宮田と西村は三吉と小春を説いて、三吉を玄人の将棋指しになるよう勧めた。
それから十年--。
坂田三吉七段の天才的棋力はすでに関西に敵なく、ここに全日本の王座をかけて関東の覇者・関根八段に挑戦することになった。
勝負は二勝二敗となった。
五戦目、旗色は三吉に不利であった。
中盤を過ぎてもはや三吉の敗色は濃厚であった。
三吉はやけのやんぱちで、持駒の銀を敵陣に打ちこんだ。
法も理屈もない無茶苦茶な打ち込みだが、関根はそこに惑わされ、自滅してしまった。
結局三勝二敗で三吉の勝ちとなり、坂田会の面々は手拍子を打って喜んだ。
娘の玉枝は、最後の一番に文句をつけて、父親の本当の気持をついた。
汚い手で勝つより立派な将棋を指すのが真の将棋士だと説く玉枝の話に、三吉はだまってうなずくのだった。
それ以来、関根と坂田の対局は十一回を数え、坂田の七勝となった。
坂田三吉は八段に昇段。
この時、第十三世名人位の継承問題が起った。
坂田会は三吉をかつぎあげて、名人位に挑戦した。
だが三吉は、棋力、品格、経歴、声望と共に第一人者は関根八段であるとして、その任を断った。
関根名人襲位披露祝賀会が盛大に開かれた。
関西から上京した三吉は、手作りの草履を関根名人に送って、心から喜びを祝った。
この三吉の真心に名人を始め満場粛然として声もなかった。
ちょう度その時、小春が大阪で静かに息を引きとっていた。
三吉は大声をあげて泣いた。
そして、立派な将棋を指すことを小春の墓に誓うのだった。
コメント:
令和に現れた藤井聡太という人気抜群の将棋のプリンス。
将棋は日本独自の国技であり、日本中に将棋ファンが存在する。
その元祖とも言われる将棋の鬼・坂田三吉という人物が明治時代にいた。
この映画は、その坂田三吉を描いた名作である。
北條秀司が1947年に発表した戯曲『王将』の三度目の映画化である。
三國連太郎が演じる将棋棋士坂田三吉を描く。
続編に1963年公開の『続・王将』。
企画は当時の東映東京撮影所(東撮)所長・岡田茂。
岡田茂が打ち出した"名作路線"第一弾である。
当時東映は村田の大ヒット曲の映画化を企画していた。
主題歌『王将』を歌った村田英雄自らも出演している。
北条秀司原作の坂田三吉と小春の物語は、村田英雄の「吹けば飛ぶよな将棋の駒に、賭けた命を笑わば笑え」「愚痴も言わずに女房の小春、つくる笑顔がいじらしい」というヒット曲のお蔭もあって、ちょっと年配の日本人なら誰でも知っている。
この話を何故そんなに気に入ったのか、監督・伊藤大輔は3度も映画化しているが、その中で本作がベストである。
最初は坂東妻三郎の「王将」(1948)、次に辰巳柳太郎の「王将一代」(1955)、そしてこの三国連太郎の「王将」。
三国版は、翌年佐藤純弥により「続・王将」(1963)が作られ、さらに堀川弘通による勝新太郎の「王将」(1973)もある。
なんと25年間に都合5回も映画化されているのだ。
ほとんど読み書きもできず、将棋をすることしか能のない駄目オヤジと、それを支える恋女房の物語を、古き良き日本人がいかに愛していたかが判る。
三國連太郎の三吉、淡島千景の小春に、平幹二朗を関根八段に起用した。
強烈な個性が作品を引き締めている。
期待に応えて、三國の熱演が作品をグイグイと引っ張る。
そして、この破天荒な将棋棋士・坂田三吉を生涯にわたって支えた妻の小春を演じているのが淡島千景である。
普通の人間とはかけ離れた、将棋にしか興味がない変人の坂田三吉を死に物狂いで支え続けた女の執念を見せてくれている。
ズーム・アップを多用した伊藤演出はツボを心得え、前作をブラッシュ・アップさせた出来栄え。
通天閣や機関車の描写など、前作では解像度の低い絵で不十分な効果だったが、本作では申し分ない仕上がりとなった。
娘の玉枝を演じた三田佳子の存在も光っている。
坂田三吉(または阪田三吉)は実在の人物。
1870年7月1日(明治3年6月3日)生まれ 。 1946年(昭和21年)7月23日死去。
明治から昭和初期の将棋棋士。贈名人・王将。小林東伯斎八段門下、もしくは小野五平十二世名人門下。
大阪府堺市出身。
勉強を好まず、早期に学校を辞めたことにより、生涯を通じて読み書きができなかった。
将棋を親しく教わった升田幸三は、生涯覚えた漢字は「三」「吉」「馬」の三字だったと証言している。
坂田の代筆をしていた書道家の北野千里は、この他に「坂」の字も書けたと証言している。
現在、日本将棋連盟から販売されている扇子にはこの「馬」の字が使用されており、他の棋士の扇子よりも値段が高く、今なお将棋ファンに根強い人気がある。
坂田は生前「わしが死んだらきっと芝居や活動写真にしよりまっせ」と言っていたという。
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