「新諸国物語 笛吹童子」
1954年4月公開。
NHKラジオドラマからスタートした人気作の映画化。
原作:北村寿夫「笛吹童子」
脚本:小川正
監督:萩原遼
キャスト:
- 萩丸:東千代之介
- 菊丸:中村錦之助
- 赤柿玄蕃:月形龍之介
- 霧の小次郎:大友柳太朗
- 桔梗:田代百合子
- 胡蝶尼:高千穂ひづる
- 丹羽修理亮:河部五郎
- 上月右門:清川荘司
- 上月左源太:島田照夫
- 浅茅:松浦築枝
- 劉風来:水野浩
- 斑鳩隼人:楠本健二
- 志野:五月蘭子
- 堂三:吉田義夫
- 堤婆:千石規子
- 雪山:高松錦之助
- 杢介:かつら五郎
- 藤江:六条奈美子
- 白蓮尼:八汐路恵子
あらすじ:
第一部
応仁の乱の後。
丹波国満月城々主修理亮の子二人は明国に留学していて、兄の萩丸(東千代之介)は武芸を、弟の菊丸(中村錦之助)は面作りを学ぶ傍ら笛吹童子と呼ばれる程の笛の名人だった。
或る日、白鳥の面がどくろの面と闘い、不吉に二つに割れたので、二人は早速日本へ帰る事にした。
果して玄海灘の孤島で落ちぶれた家老右門(清川荘司)に会い、城は野武士の首領・玄蕃(月形龍之介)に乗っ取られ、父は自害した事を知った。
兄弟は堅く復讐を誓い合ったが、戦いを嫌う菊丸は、どくろの面に打ち克つ白鳥の面を造り上げようと、萩丸と別れて行った。
そこで萩丸は右門と満月城へ忍び込んだが、玄蕃の罠に落ち、どくろの面をかぶせられてしまった。
一方、妻・浅茅(松浦築枝)と娘・桔梗(田代百合子)の住む山小屋に逃げ延びた右門は忽ち追手に囲まれたが、情を知る敵の大将隼人(楠本健二)は故意に右門を見逃してやった。
数日後、桔梗は旅に行き悩む隼人の妹・志野(五月蘭子)を救い、隼人が右門を逃した件で城に幽閉されている事を聞き、彼を助けようとして却って捕えられ、隼人と共に張り付けの刑を云い渡された。
いよいよ仕置の日、右門と左源太(島田照夫)も城に乗り込んだが、その乱闘の最中に突然現れた巨大な竜が、隼人と桔梗を抱いて飛び去って行ってしまった。
第二部
その竜は大沢山に住む妖術師・霧の小次郎(大友柳太朗)の化身で、彼は妹の胡蝶尼(高千穂ひづる)を探す為に多くの娘をさらっていたのだった。
或る日小次郎は桔梗に、妖術の邪魔をする菊丸の笛を盗めと命じた。
だが桔梗は菊丸を逃し、小次郎の恨みをかって白骨の谷へ突き落された。
そこヘ一羽の鷲が飛来し、桔梗を刀鍛冶・雪山(高松錦之助)の小屋へ運んだ。
然し、又しても桔梗は黒髪山に住む女妖術師・提婆(千石規子)にさらわれた。
そこには隼人も幽閉されていた。
隼人に想いを寄せる提婆の養女・胡蝶尼は、或る日隼人と桔梗を逃した。
其処へ忽然と現れた小次郎は胡蝶尼を大江山へ連れ去り、自分こそお前の兄だと名乗りをあげた。
しかし以前より彼の悪行を憎んでいた胡蝶尼はその言葉を信じず、大江山から逃げ出そうとして、小次郎に千仭の谷底へ落された。
第三部
黒髪山から逃れ去った隼人と桔梗は、途中で、玄蕃一味に追われるどくろの面の萩丸を助けた。
だがその萩丸を妖怪と信じて追って来た右門は、彼を千仭の谷底へ落してしまった。
翌朝その谷底では胡蝶尼と萩丸が失神から蘇った。
萩丸の顔からはどくろの面がとれていた。
萩丸の為に猿酒を探しに行った胡蝶尼は玄蕃に発見され、危い所をかつての乳母・藤江(六条奈美子)とその息子・杢介(かつら五郎)に助けられた。
一方、萩丸は白蓮尼(八汐路恵子)に救われ、彼女こそ玄蕃に攻め滅ぼされた石見判官の娘である事を知った。
白蓮尼は右門の子・左源太と謀って玄蕃をを討つ為の白鳥隊を結成していた。
萩丸は其処で菊丸とも会い、又、隼人と桔梗も到来した。
或る日胡蝶尼は、都より迎えに来たという玄蕃一味に満月城へ連れ去られようとした所を萩丸らに助けられ、自分が将軍の娘である事を知った。
やがて菊丸の白鳥の面も出来上り、玄蕃討伐の機は正に熟し、白鳥隊は一路丹波へ--。
だがその途中、胡蝶尼をさらった小次郎の術は菊丸の笛に敗れ、黒髪山へ墜ちた小次郎は胡蝶尼をかばって提婆の手裏剣に倒れた。
満月城へ乗り込んだ白鳥隊の鉄砲の前には玄蕃一味もことごとく敗れた。
右門も奮戦した。
漸く城の頂上には白鳥の旗が揚げられたのである。
コメント:
「ヒャラーリ、ヒャラリコ」ではじまる大ヒットした主題歌で有名な「笛吹童子」。
創立間もない東映が、片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大に続く若手スターとして、中村錦之助や東千代之介を売出すべく製作した三部作からなる作品。
1954年(昭和29年)4月公開。東映製作、東映京都撮影所作品。
第一部公開後、週替わりで全三部作が順次公開された。
第一部:『どくろの旗』
第二部:『妖術の闘争』
第三部:『満月城の凱歌』
室町時代、城を野武士(月形龍之介)に乗っ取られ自害した城主の二人の遺児(東千代之介、中村錦之助)が苦心の末に城を取り戻すまでを妖術使い(大友柳太郎)とその妹(高千穂ひづる)などを絡めて描いた子供向け時代劇。
1話が50分程度の長さで3部構成になっている。妖術使いが錦之助の笛の音を聞くと妖術を使えなくて苦しみ出すというのが可笑しい。
公開当時は、忍術使いというジャンルが子供たちに人気があったようで、今から見ると微笑ましい映画だ。
本作によって中村錦之助の知名度がぐんとアップして、その後『紅孔雀』シリーズなど多くの若者向け作品が制作されることとなった。
本作も『紅孔雀』もラジオドラマが先で、映画に持って来たのはマキノ光雄とマキノの元で製作を仕切っていた岡田茂両プロデューサーである。
当時の東映は、設立間もなく、四苦八苦を絵にかいた状態で、歳末に高額スターたちにギャラも払えないありさまだったという。
中村錦之介は、1954年正月過ぎの松竹『ひよどり草紙』で美空ひばりの相手役として映画デビューし、その後、新東宝『花吹雪御存じ七人男』に出演し、その後、新芸プロの福島通人プロデューサーが東映に錦之介を売り込みに来た。
対応したのがマキノ光雄と岡田茂。
マキノは当時、東京本社に勤務していた。
鉄道院出身の大川博社長の厳命を受け、現場を仕切ったのが製作部で、当時30歳の岡田製作課長が東映の全ての映画の予算を握り、徹底した予算主義を敷いていた。
マキノと岡田が錦之介ひとりでは承知せず、福島が景品として付けたのが美空ひばりだった。
最終的な交渉の席は、ひばりの母・加藤喜美枝とひばりの親代わりだった山口組組長の田岡一雄、岡田の三者会談となり、この時、田岡と対峙した岡田の逸話は伝説化している。
美空ひばりの獲得に成功した岡田は、それまでの東映カラーにない時代劇を作ろうと意気込んだ。
このため岡田はマキノから「おまえしかおらん」とほぼ一回り年下のひばりの世話係をさせられた。
歌の実演や地方興行などと撮影のスケジュール調整が大変だったという。
『笛吹童子』第一部の後『唄しぐれ おしどり若衆』で、ひばりの切なる希望で相手役に錦之介を指名。
二人が組んだとき、岡田は「これはいける」とピンときたという。東映のツキ初めは正にここであった。
岡田は錦之助が初めて東映京都撮影所(東映京都)を訪れた1954年に、挨拶に来た錦之助に会った。
最初は特に強い印象は持たなかったが『笛吹童子』の撮影初日に撮影の三木滋人と監督の萩原遼が岡田の部屋に来て、「今度入った錦之助、あれは本物や。大物になるでぇ」と言うので、岡田も撮影を見に行ったら「本当だ」と感心し、すぐに東京本社にいたマキノ光雄に電話して「錦之助は大スターになる」と報告した。
錦之助は撮影初日の午前中で監督やスタッフの気持ちを掴み、アッという間に撮影所内で親玉になった。
東映は二本立て興行を打ち出して間もなくで、第一部~第三部まですべて長編の添え物中編で、第一部『どくろの旗』の併映が『悪魔が来りて笛を吹く』、第二部『妖術の闘争』の併映は『唄しぐれ おしどり若衆』(主演・美空ひばり)、第三部『満月城の凱歌』の併映は『鳴門秘帖』(市川右太衛門主演)であった。第一部~第三部を一挙に製作して、前編、中編、後編と三回に分けて公開させた。
これにより三作で一本分の製作費で済んだ。
東映はまだ経営が厳しい状況にあったが、「電気紙芝居」とか「ジャリすくい」などとバカにされながら、少年観客層の圧倒的な人気を集め、特大のヒットを記録した。
マキノは「錦之介があんなに人気が出るとは思わなかった」と話していたというが、錦之介は半年もかからず大人気となった。
映画が大当たりすると、マキノは岡田に「稼げる時に稼がにゃアカン、毎週、錦之助を出せ」と無茶苦茶言って来たため、毎晩徹夜で一本を5日間で撮らせた。
すると錦之助は「俺、死んじゃうよ」と岡田に訴えて来た。
岡田は「あれだけ短期間でスターダムにのし上がったのは、私の知る限りでは、錦之介と石原裕次郎だけです」と話している。
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