「喜びも悲しみも幾歳月」
1957年10月1日公開。
昭和の時代を灯台守として生きた夫婦のヒューマンドラマ。
配給収入: 3億9109万円(1957年ランキング第2位)。
監督・脚本:木下惠介
主題歌:「喜びも悲しみも幾歳月」(若山彰)
出演者:
佐田啓二、高峰秀子、有沢正子、中村賀津雄、田村高広、伊藤弘子、北竜二、仲谷昇、夏川静江、桂木洋子、小林十九二、坂本武、三井弘次
あらすじ:
昭和七年。
新婚早々の若い燈台員・有沢四郎(佐田啓二)と妻・きよ子(高峰秀子)は、東京湾の観音崎燈台に赴任して来た。
翌年には、四郎たちは雪の涯北海道の石狩燈台へ転任になった。
そこできよ子は長女・雪野を生み、二年後に長男・光太郎を生んだ。
昭和十二年。
波風荒い五島列島の女島燈台に転勤した四郎一家はともすると夫婦喧嘩をすることが多くなった。
きよ子は家を出ようと思っても、便船を一週間も待たねばならぬ始末であった。
気さくな若い燈台員・野津(田村高広)は、そんな燈台でいつも明るく、台長の娘・真砂子に恋していたが、真砂子(伊藤弘子)は燈台員のお嫁さんにはならないと野津を困らせた。
昭和十六年。
太平洋戦争の始まったこの年に有沢一家は、佐渡の弾崎燈台に移り、今は有沢も次席さんとよばれる身になっていた。
B29が本土に爆音を轟かす昭和二十年。
有沢たちは御前崎燈台に移り、東京から疎開して来た名取夫人(夏川静江)と知り合った。
まもなく野津といまは彼の良き妻の真砂子が赴任してきた。
艦載機の襲撃に幾多の燈台員の尊い命が失われた。
戦争が終わって、野津夫婦も他の燈台へ転勤になった。
それから五年後。
有沢たちは三重県安乗崎に移った。
燈台記念日に祝賀式の終ったあと、美しく成長した雪野(有沢正子)と光太郎(中村賀津雄)は、父母に心のこもった贈物をするのであった。
やがて雪野は名取家に招かれて東京へ勉強に出ていった。
昭和二十八年には風光明眉な瀬戸内海の木島燈台に移った。
ところが、大学入試に失敗して遊び歩いていた光太郎が不良と喧嘩をして死ぬという不幸にみまわれた。
歳月は流れて--思い出の御前崎燈台の台長になって赴任する途中、東京にいる雪野と名取家の長男・進吾(仲谷昇)との結婚話が持ち出された。
やがて二人が結婚して任地のカイロに向かう日、燈台の灯室で四郎ときよ子は、二人の乗っている船のために灯をともすのであった。
そしてめっきり老いた二人は双眼鏡に見入った。
そして、長い数々の苦労も忘れて、二人は遠去かる船に手を振った。
旋回する燈台の灯に応えて、船の汽笛がきこえて来た。
コメント:
海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマ。
1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻・きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。
全編にわたりカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、大ヒットとなった。
観音崎、御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山、五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国各地でロケーション撮影を敢行し、ロードムービーとしても楽しめる作品である。
若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットした。
その曲の楽譜と歌詞は以下の通り:
観音埼灯台に夫婦で赴任してから、御前埼灯台の台長になるまでを、それこそ子供が生まれた喜びから、息子を亡くす哀しみ、娘を嫁にやる寂しさまで、いろいろな人間模様として描いている。
監督・脚本を一貫して担当した名匠・木下恵介の最優秀作品。
2006年12月をもって灯台守という職業は無くなった。
灯台の完全自動化による有人灯台の消滅である。
いい夫婦、理想の夫婦とはこういうものだろうか。
昭和の良き時代を彷彿とさせる感動作品だ。
木下恵介監督の夫婦の描き方が絶妙で、本作を観て泣かない人はまずいないというもっぱらの評価だ。
戦争中は敵の標的になったり、滅多に職場を離れることができなかったり、近くに病院のない所に転勤させたり等、灯台守の労働環境の厳しさに胸が痛むが、木下恵介はそれよりも夫婦愛に重点を置いたところが素晴らしく、泣かせるツボをよく心得ている。
主人公が語る「みんな運命さ」という諦観が心に残った。
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