浅丘ルリ子の映画 デビュー作 「緑はるかに」 デビュー作での「ルリコ・カット」が一世風靡! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「緑はるかに」

 

浅丘ルリ子のデビュー映画です。

当時14歳でした。

 

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まず、浅丘ルリ子のデビューまでの経緯を綴ります。

 

浅丘ルリ子の本名は、浅井 信子(あさい のぶこ)。

1940年7月2日、満州国の首都・新京市(現・長春)に、4人姉妹の次女として生まれました。

父・浅井源治郎は満洲国経済部大臣秘書官でした。

その後、1943年にタイのバンコクへ軍属として転勤になり、一家で転居し、終戦を迎えました。

 

終戦後、一家はタイのチャオプラヤー川の岸辺にあったバンバートン抑留所へ強制収容されますが、翌1946年には引き揚げが始まりました。

しかし軍属を最優先として先に出港したその船は沈没してしまい、その船に乗らなかった彼女たち一家は命拾いしたといいます。

この時から、彼女は強運の持ち主だったのでしょう。

 

やがて茨城県の大洗港の近くに住む親戚を頼り、まもなく千葉県の館山の引き揚げ寮へ入寮しました。

信子が小学校3年生の時、父が代議士秘書の職を得て一家で東京神田鍛冶町に落ち着きました。

 

1954年(昭和29年)夏、14歳の彼女に幸運が訪れます。

読売新聞に連載されていた北条誠の小説(挿絵は中原淳一)『緑はるかに』を、日本初の女性映画プロデューサーとなった日活の水の江瀧子がプロデュースして、映画化されることが決定し、ヒロインの「ルリコ役」を募集していることを知ります。

そして、両親賛成のもと応募したのです。

同年11月23日に面接が行われ約3,000人の中から、中原淳一が信子のメイクを見て「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれ銀幕デビューが決定したのです。

そして、この映画の主役の名前「ルリ子」から、彼女の芸名を「浅丘ルリ子」にすることも決定したのでした。

この映画で見せた彼女のヘヤースタイルは「ルリコカット」と呼ばれ、当時の女性たちの間で大流行し、瞳の大きな美少女として脚光を浴びました。

しかし学校を長期欠席しての撮影だったにもかかわらず、PTAと生徒会が奉祝の花輪を出したことで、一時物議を醸したといいます。

 

このデビュー作「緑はるかに」を契機に、「浅丘ルリ子」の名前は全国に知れ渡り、当時の映画全盛時代の波に乗って、次から次へと映画の出演が続きました。

1955年:4本。「緑はるかに」「銀座二十四帖」ほか。

1956年:8本。「裏町のお転婆娘」「愛情」ほか。

1957年:8本。「鷲と鷹」「踊る太陽 お転婆三人娘」ほか。

1958年:12本。「夫婦百景」「明日は明日の風が吹く」ほか。

1959年:14本。「世界を賭ける恋」「南国土佐を後にして」ほか。

1960年:15本。「口笛が流れる港町」「赤い夕陽の渡り鳥」ほか。

 

その結果、彼女は忙しすぎて高校を中退せざるを得ませんでした。。

 

「緑はるかに」の内容は以下の通りです:

 

1955年5月8日公開。

浅丘ルリ子のデビュー作・初主演作。

「ルリコ・カット」で一世風靡。 

 

 

 

緑はるかに(プレビュー)

 

www.youtube.com

 

 

原作:北条誠 

脚本:京中太郎

監督:井上梅次 

制作:水の江瀧子

出演者:

浅丘ルリ子、高田稔、藤代鮎子、浅沼創一、永井文夫、石井秀明、市村俊幸、有島一郎、フランキー堺、岡田眞澄、北原三枝

 

あらすじ:

ルリ子(浅丘ルリ子)の父親(高田稔)は有名な科学者で、北海道の研究所へ仕事で行ったまま、一年も便りがなかった。

ルリ子は父よりもらった美しいオルゴールの音を聞きながら父をしのんでいた。

だがある日、父が急病になったとの知らせに、幻想を破られたルリ子は、迎えの車に乗ったが、それは父の科学研究の秘密を盗もうとするX団のスパイの計略であった。

洞窟の中で再会した父と母(藤代鮎子)、そしてルリ子も今は共に捕われの身となった。

父は決して秘密を洩らさず、そっとルリ子のオルゴールの緑の小箱の中に入れた。

ある時やっとのことで、ルリ子だけが洞窟より脱出し、丁度居合わせた孤児院から飛び出した三少年、チビ真、デブ、ノッポ達に救われ、皆で協力してルリ子の父母を救け出そうと相談した。

だがルリ子の持っているオルゴールの中にある秘密を知ったスパイ団は再びルリ子を捕えた。

三人の少年達はルリ子を再び無事に連れ戻すことに成功したが、大格闘の際に大事なオルゴールは釣橋の上から渓流の中に落ちてしまった。

それ以来、少年達とスパイ団がこのオルゴールを求めて争った。

このころ母を求めて歩くマミ子も少年達に加わっていた。

ある日、このオルゴールが古道具屋に発見されたが、狂喜した少年達にはそれを買い取る金がなかった。

そこで一同は靴みがきを始めてお金を作ったが、その時既にオルゴールは誰かに買取られていた。

そのころこの町では大がかりのサーカスが開かれていたが、これもオルゴールを探すスパイ団の仕事だった。

少年少女達はサーカスに押しかけ、スパイ団の集めたオルゴールを調べていたが、やがてサーカスの内部は大混乱大乱闘にまで発展し、お巡りさんも駆け付ける騒ぎとなった。

スパイ団の陰謀の覆える時は来た。

ルリ子は壊しい父母と共に、そしてマミ子は母に再会し、オルゴールの美しい音は鳴りひびいた。

 

コメント:

 

浅丘ルリ子ファンなら、一度は見るべき作品。

中原淳一の少女画から抜け出したようだと言われた「ルリ子」の殺人的な可愛らしさは、確かに一度は観ておくべきだとの声が多い。

子供向けのメルヘン映画。

最初位に月世界のシーンがあり、ラストで再び月世界の場面となり、北原三枝のバレエ踊りが披露される。

主人公・ルリ子を始めとした少年少女たちが月の王子様・女王様と一緒に合唱する。

完全に子供向けの映画であることを承知して観るべし。

いくらなんでも幼稚な作りだと断言せざるを得ず、正直なところ欠伸を催したというファンの声もあるので、念の為。

 

 

 

制作当時の時代背景を斟酌すれば「こんなものだったのか」というのが実感。

1955年公開の映画であり、子供向けのメルヘン映画だということを考えると、65年も前にこれだけのカラー映画が制作されたのは素晴らしい映画技術だと評価すべきだろう。

 

これが、一世風靡した「ルリコ・カット」だ!

令和の時代の我々から見ると、特に新しいと感じるヘヤースタイルではないが、当時としては斬新な感じだったのだろう。

何より、浅丘ルリ子の整った顔立ちと素晴らしい瞳が魅力だったのではないか。

14歳でこのオーラは、やはりただ者ではないと感じさせる。

そして、この後は、いよいよ日活の看板女優になって行くのだ。

 

 

 

 

1955年の日本映画ランキングは次の通り:

 

          日本配給収入ランキング

1955年邦画配給収入トップ10
(対象期間:1955年4月 - 1956年3月)
順位 題名 配給 配給収入
1 赤穂浪士 天の巻 地の巻 東映 3億1305万円
2 修善寺物語 松竹 1億8368万円
3 ジャンケン娘 東宝 1億7600万円
4 新・平家物語 大映 1億7303万円
5 亡命記 松竹 1億7228万円
6 続宮本武蔵 一乗寺の決斗 東宝 1億6800万円
7 楊貴妃 大映 1億5781万円
8 宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島 東宝 1億5550万円
9 力道山物語 怒濤の男 日活 1億5000万円
10 夫婦善哉 東宝 1億4800万円
出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉

 


この映画は、TSUTAYAで購入可能:

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