若尾文子の映画 「妻の日の愛のかたみに」 感動の夫婦愛を描いた珠玉の作品! 木下恵介の脚本。 | 人生・嵐も晴れもあり!

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「妻の日の愛のかたみに」

 

 

 

「妻の日の愛のかたみに」 予告編

 

 

1965年10月2日公開。

池上三重子の同名手記を映画化。

感動の夫婦愛を描いた珠玉の作品。

1965年キネマ旬報主演女優賞受賞。

 

 

脚本:木下恵介 

監督:富本壮吉

出演者:

若尾文子、船越英二、藤村志保、滝花久子、浜村純、姿美千子、原泉 

 

 

あらすじ:

 昭和二十八年、北九州の、水と白壁の美しい町・柳川に、千枝子(若尾文子)は嫁いで来た。

夫・正之(船越英二)とは見合いであったが、優しい正之との間は、町中の話題になるほどの、おし鳥夫婦であった。

正之は中学校の、千枝子は小学校の先生であったが、千枝子は優秀な教師であるばかりか、良き妻、良き嫁であった。

ある日、突然千枝子を襲った指の痛み。

チョークを持つ手が、食事の仕度をする手が、しばしば激痛に、襲われた。

やがてその痛みは全身を走り、全身の関節を侵していった。

義母(原泉)は、千枝子の正体の知れぬ痛みは過労が原因だと知らされ、世間態をはばかり千枝子の症状に困惑したが、義父(浜村純)は心から千枝子の病状を案じた。

別府国立病院にリューマチスの患者として入院する頃、千枝子の身体は自分で動かすことの出来ない重症であった。

だが正之と千枝子は、現代医学を信じ、一日に数通の愛の書簡を交わしながら、健康な日の訪れを待った。

千枝子が、妻、女としての情を短歌に託したのはこの頃であった。

入院して三回目の夏、千枝子は一時、退院したが、彼女の闘病生活に新しい苦悩が加わった。

九州に根強く残る「子なきは去る」の風習。

言葉にこそ出さぬが、周囲の眼は、鋭敏な千枝子の心をゆすった。

私は夫の完全な妻ではありえない。

私に出来ることは、正之を自由に解放してあげることだけ……毎夜、夫の姿を見て、病床に涙する千枝子に、正之は、人間の愛は精神で支えうると、励ましつづけた。

離別を迫りながら、正之の許可がでないまま、千枝子は周囲の反対を押し切って、二度目の手術を決意した。

自殺するに等しい手術。

千枝子は、手術の失敗を祈った。

麻酔がさめた朝、千枝子は、夫を解放出来ぬ自分に慟哭した。

義父が死に、正之の留守になった家を、千枝子はたんかで里に帰った。

半狂乱でかけつけた夫の側で千枝子は目をつぶったまま、「こうしていても、目にうつるのは、貴方の姿ばかりですよ」とつぶやく。

涙が一すじ彼女の頬をすべった。

 

 

コメント:

 

これは実話である。

昭和28年当時、リューマチは何が原因なのか分かっていない時代に、世間の目は当人にとってどれほど大変なストレスになっただろう。

残されたこの短歌が哀しい。

「妻の日の 愛のかたみよ あどけなく 
        髪亜麻色に 坐る人形」

 

 

 

 

全身リウマチ症を患いながらも創作活動をしていた女流歌人・池上三重子の半生をドラマにしたもの。
舞台となった福岡県柳川の美しい風景とともに展開される夫婦愛のドラマが素晴らしい。

若尾文子の演技も絶品で、池上さんになりきっている。

この年のキネ旬映画賞で女優賞を受賞したのもうなづける。

涙なしではこの映画を観続けることは出来ない。

 

音楽は、脚本担当の木下恵介の実弟の木下忠司氏が担当。

時におおらかに、時に哀しげに奏でるBGMも良い。