三船敏郎の映画 第100作 「黒部の太陽」 三船プロ・石原プロの合作による大ヒット作品!  | 人生・嵐も晴れもあり!

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「黒部の太陽」

 

 

 

「黒部の太陽」 予告編

 

1968年2月17日公開。

 

毎日新聞で連載小説「黒部の太陽」を映画化。

三船プロ・石原プロの合作。

興行収入:16億円。

1968年キネマ旬報ベストテン4位。

 

 

 

 

脚本:井手雅人・熊井啓

監督:熊井啓

 

 

出演者:

三船敏郎、石原裕次郎、滝沢修、志村喬、佐野周二、、芦田伸介、岡田英次、信欣三、加藤武、高津住男、大滝秀治、柳永二郎、辰巳柳太郎、玉川伊佐男、山内明、宇野重吉、寺尾聰、二谷英明、樫山文枝、日色ともゑ、川口晶、高峰三枝子、清水将夫

 

 

あらすじ:

関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣社長(滝沢修)総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。

間組の国木田(加藤武)と熊谷組の下請会社の岩岡源三(辰巳柳太郎)は、ともに現場責任者の北川(三船敏郎)を訪れ、ダム工事の難しさを知らされた。

源三の息子・剛(石原裕次郎)は、トンネル掘りのためにどんな犠牲も省りみない源三に反抗し、家を出て設計技師として図面を引いていた。

国木田はそんな剛と、北川の長女・由紀(樫山文枝)と見合いさせようと提案して、源三を驚かした。

昭和三十一年八月、世紀の大工事といわれた黒四工事は、大自然との闘いの火蓋を切った。

九月に入って、剛は偶然由紀と出会い親しさを増していったが、彼女が父の身を心配する姿を見て、源三の様子を見に黒部に向った。

源三はめっきりと体が弱くなっていた。

北川の黒四にかける熱意にほだされた剛は、父に代ってトンネル掘りの指揮をとることになった。

こうして工事が始って半年、犠牲者はすでに十六人を数え、難工事であることが現場の人たちに不安を抱かせ始めた。

翌年の四月、北川たちが恐れていた事態が起った。軟弱な花岡岩帯にぶつかったのだ。

五月に入ってすぐ、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。

この危機を切り抜けるため、色々な技術プランが検討されたが、工事は一向に進まなかった。

そんな折りも折り、北川は次女の牧子(日色ともゑ)が白血病にかかって入院し、生命はあと一年と知らされたが、大仕事をかかえているので、娘のそばについているわけにはいかなかった。

現場は労務者が一人、二人と去っていく状態で、彼らの士気は上らなかった。

一方、太田垣はあらゆる手を尽して危機を乗り切るため莫大な金を投入し、技術陣の科学的な処置と、北川や源三たちの努力が実を結び、その年の十二月、ついに難所を突破。

翌年十一月、剛は由紀と結婚した。

そして二月、北アルプスを抜いてトンネルが開通した。

その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は牧子の死を知らせる電報に接し、激しく慟哭した。

昭和三十八年三月、黒四ダムは多数の犠牲を出して完成した。

その日はちょうど北川の停年退職の日であったが、北川や剛たちはダムの偉容に、無限の感動を覚えていた。

 

 

コメント:

 

1956年に着工された関西電力による黒4ダム建設プロジェクトにおいて、ダム建設予定地に建設資材をダンプカーで運搬するために掘られたトンネル工事(第1工区~第4工区)を描いたもの。

トンネルが開通した後に、現場責任者の北川(三船敏郎)の二女である牧子の死を知らせる電報が届くシーンが、不可能を可能にした出来事の後であるだけに胸に響く。
非常に見ごたえのある内容だったが、三船敏郎や石原裕次郎をはじめとする多くの名俳優たちの存在感ある演技に魅了される。
中でも、長男をトンネル事故で死なせ、病を患いながらもトンネルに憑かれた男を演じる辰巳柳太郎がかなり印象に残る。

 

 

TVに押され凋落傾向になっていた日本映画界に活を入れる意気込みで三船敏郎と石原裕次郎が手を組んだ超大作。

黒部第4ダム建設の難工事に臨んだ男達の苦闘をドキュメンタリー的要素を取り込みながら3時間を超える物語に仕上げている。

特撮技術もまだそれほど発達していなかった時代に大量のエキストラを動員しての現場撮影は、それこそが大変な難行であったのだろう。

これだけの大作が今後製作されることはないだろう。

 

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