黒澤明監督映画 「用心棒」 三船敏郎との最強コンビが結実した痛快アクション映画の最高作品! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「用心棒」

 

 

 

 

用心棒 プレビュー

 

 

1961年4月25日公開。

興行収入:3億5100万円
(1961年邦画部門第4位)

 

 

受賞歴:

  • ヴェネツィア国際映画祭(1961年) 男優賞 三船敏郎
  • ブルーリボン賞(1961年) 主演男優賞 三船敏郎
  • ブルーリボン賞(1961年) 音楽賞 佐藤勝
  • ブルーリボン賞(1961年) 特別賞 三船敏郎(国際的な活躍による)

 

 

脚本:黒澤明・菊島隆三

監督:黒澤明

出演者:

三船敏郎、仲代達矢、山田五十鈴、志村喬、司葉子、土屋嘉男、東野英治郎、藤原釜足、加東大介、河津清三郎 

 

 

あらすじ:

馬目の宿は縄張りの跡目相続をめぐって一つの宿湯に二人の親分が対立、互いに用心棒、兇状持ちをかき集めてにらみ合っていた。

そこへ桑畑三十郎(三船敏郎)という得体の知れない浪人者がふらりとやって来る。

一方の親分・馬目の清兵衛(河津清三郎)のところにやって来た三十郎は、用心棒に俺を買わないかと持ちかけて、もう一方の親分・丑寅(山茶花究)の子分3人をあっという間に斬り捨ててしまった。

清兵衛は五十両で三十郎を傭った。

しかし女房のおりん(山田五十鈴)は強つくばりで、半金だけ渡して、後で三十郎を殺せと清兵衛をけしかけた。

これを知った三十郎はあっさり清兵衛の用心棒を断わり、居酒屋の権爺(東野英治郎)の店に居据った。

両方から、高い値で傭いにくるのを待つつもりだ。

名主の多左衛門(藤原釜足)は清兵衛に肩入れ、造酒屋の徳右衛門(志村喬)は丑寅について次の名主を狙っていた。

そんなところへ、丑寅の弟卯之助(仲代達矢)が帰って来た。

短銃を持っており、腕も相当だった。

三十郎は丑寅方につくことになった。

丑寅の金の供給源である徳右衛門は、百姓・小平(土屋嘉男)の女房ぬい(司葉子)を妾にしていた。

小平から博奕の借金のかたにして取りあげてしまったのだ。

小平と息子の金助の情ない様子を知って、三十郎は亥之吉(加東大介)をだまして親子三人を逃がしてやるのだった。

権爺はそんな三十郎をだんだん好きになっていった。

しかし、ぬいが感謝のために三十郎に出した手紙を卯之助に見つけられたため、三十郎は捕えられて土蔵に放りこまれた。

ぬいの逃げ場所をはかせようと地獄の責苦がつづいた。

ぬいの居所を知っているので殺されずにすんだ。

三十郎はかんぬきをだまして墓地に逃れた。

丑寅は卯之助の知恵で清兵衛の家に火をかけた。

清兵衛一味は全部殺された。

喧嘩は丑寅の勝利に終った。

そこへ三十郎がふらりとやって来た。

卯之助が銃を構えるより速く三十郎の手から出刃が飛んだ。

そして丑寅達の間を三十郎が駆け抜けると、丑寅達は倒れていた。

「おい親爺、これでこの宿場も静かになるぜ」と言って三十郎は去って行った。

 

 

 

コメント:

 

この映画の特筆すべきは、やはり三十郎のキャラクター造形とそれに扮した三船敏郎の魅力に尽きる。

その清濁併せ呑んだ知勇兼備のキャラクターが三船の剛毅で滋味深い存在感と寸分違わずピタリとマッチしている。

その孤高のヒーロー像は邦画史上最高のダーティヒーローとも謳われる完成度の高いもの。

数年の時を経てC・イーストウッドの「荒野の用心棒」へと引き継がれるワールドワイドなヒーロー像なのだ。

 

瞬く間の白刃の煌めきにただただ感嘆。

シャープな殺陣に見入ってしまう。

時に凄惨であり、時にユーモラスであり、時に爽快でもある、硬軟織り交ぜた黒澤明の語り口に引き込まれる。

佐藤勝のバーバリックなテーマ曲を背景に、肩を揺らしながら歩く三船敏郎の全てを圧するような後ろ姿。

最後まで痺れる痛快無比のアクション時代劇だ。

 

まさに黒澤明の痛快無比の映像の世界がついに花開いたといえよう。

三船敏郎との最強コンビが結実した最高作品だ。