「仁義なき戦い」の最初の作品の魅力を探っていきます。
以前のオーソドックスなやくざ映画と比べてみると、以下の点で大きな違いがあるようです。
1.実録に基づく、渡世の義理を超越した、親分・子分の間で展開する破天荒な展開
2.広島という地方都市が舞台の「広島弁」+「ヤクザ用語」による会話の面白さ
3.主役の菅原文太のみならず、共演した俳優たちが伸び盛りで、思い切りの良いセリフとアクション
そして、何といっても重要なのが、この映画の面白さを創出した原作者「飯干紘一」の文筆力です。
「飯干紘一(いいぼし こういち)」は、1924年6月2日に大阪で生まれました。
京都大学法学部を卒業し、その後読売新聞社に入社し、社会部記者として活躍しました。
その後、社会部副編集長になりましたが、「現場に出られないとつまらん」と会社を辞めて、独立。
山口組の三代目組長となった田岡一雄を描いた、小説『山口組三代目』を執筆し、脚光を浴びました。
1973年に、それまでになかった切り口で、実録を元に、広島ヤクザ抗争の内部を克明に描いた、『仁義なき戦い』を週刊サンケイに連載し、反響を得ました。
『仁義なき戦い』は東映から映画化され、大ヒットを呼び、シリーズ化することになったのです。
さらにその後も、『日本の首領』、『会津の小鉄』、『暴行』など多くの作品を発表していきました。
いずれも緻密な取材に裏づけされた小説であることがが特徴です。
1996年、急性心筋梗塞のため死去しました。
そして、忘れてはならないのが、この作品の監督である「深作 欣二 (ふかさく きんじ)」です。
1930年〈昭和5年〉7月3日、茨城県緑岡村(現在は水戸市内)で生まれました。
日本大学芸術学部を卒業し、1953年(昭和28年)に東映へ入社しました。
1961年(昭和36年)、千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。
千葉とはこののち17作品でコンビを組み、ヒットを連発していきました。
千葉を主演に据え置き、演出した映画『風来坊探偵シリーズ』『ファンキーハットの快男児シリーズ』。
1966年(昭和41年)には映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』。
これは、テレビドラマ『キイハンター』 (1968年 - 1973年) の土台となった作品でした。
その後、『キイハンター』の企画にも関わり、第1,2,157,158,178話を演出しました。
日米合作映画『トラ・トラ・トラ』の日本側監督を黒澤明が降板したため、後任の舛田利雄から懇願され、共同監督を引き受けました。
当時の深作は創りたい映画を東映になかなか認めてもらえず、東映に籍を置きながらにんじんプロダクションの國光影業の共作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』などを監督していました。
1973年(昭和48年)から公開された『仁義なき戦いシリーズ』は邦画史に残るヒットを記録。
深作欣二が43歳の時でした。
これが深作欣二の出世街道を切り開く作品となりました。
その後も、映画『柳生一族の陰謀』、『復活の日』、『魔界転生』、『蒲田行進曲』、『里見八犬伝』、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』、『バトル・ロワイアル』など、多くの映画が次々とヒットし、話題作となったのです。
テレビドラマでは前述の『キイハンター』のほか、萩原健一主演『傷だらけの天使』などを監督しました。
また、『必殺シリーズ』や『影の軍団II』なども演出しています。
1997年(平成9年)には、紫綬褒章を受章。
2002年9月25日、前立腺ガンの脊椎転移を公表。
12月21日にがんの骨転移の痛みから、放射線治療のため入院。
31日には自力呼吸が困難になり、人工呼吸器を装着し、一時危篤状態になりました。
2003年1月初頭には、小康状態に回復しましたが、11日の夕方から容態が悪化。
妻の中原早苗と息子の健太と共に、菅原文太、渡瀬恒彦、藤原竜也らが臨終に立ち会い、2003年1月12日の午前1時、死去しました。
72歳でした。
原作者・飯干紘一と監督・深作欣二の二人なくしてこの「仁義なき戦い」の成功はあり得ません。
それでは、「仁義なき戦い」のあらすじを見ていきましょう。
終戦直後、闇市が蔓延する広島県呉市。
一人の復員兵が友人のため犯した殺人による服役から出所後、山守組の一員になったが。
敵対する土居組組長を暗殺しようとして、再び服役。
仮出所した彼を待っていたのは、山守組の内部抗争だった。
では、くわしく見ていきます:
昭和22年、まだ戦争の爪痕が残る広島の呉で主人公・広能昌三(菅原文太)は、友人に怪我を負わせた旅人を襲撃します。
当時呉で結成された山守組の代わりに仇討ちをしたのです。
動画はこちら:
その罪によって投獄させられた広能は、所内で同じく呉にて暗躍していた土居組若頭の若杉(梅宮辰夫)と兄弟盃を交わしました。
出所後若杉の影響もあり、仇討の恩より山守組組長、山守(金子信雄)と盃を交わし、山守組の一員となるのです。
その後徐々に勢力を拡大する山守組と土居組は激しく対立するようになり、土居組組長の土居(名和宏)を暗殺する計画が組の中で持ち上がります。
(この画像にある『カスリ』というのは、「しのぎ」(稼ぎ)の中から、組に収める会費(上納金)のことです。
この上納金を巡って、常に組の内部でいざこざが始まります。)
皆怖気づいて誰もやろうとしない状況に、広能は苦悩しながらも挙手するのでした。
広能が土居暗殺を試みますが、その結果,土居に重傷を負わせることとなり、広能はまた刑務所へ投獄されます。
自らの親分と対立していた土居組若頭の若杉は、裏切り者の神原(川地民夫)の仇討により、山守組に寝返るのでした。
だが、若杉は、山守の画策により神原殺害の犯人を追っていた警察に密告され警察との問答の最中に命を落としました。
広能が刑務所に入っている間、対立していた土居は絶命しました。
呉を拠点に巨大化する山守組の中で、徐々に組長山守の老獪なやり口に、実質的な若頭であり、広能とも旧知の中である坂井(松方弘樹)は辟易していました。
山守組長と坂井若頭の応酬シーン:
そんな中、山守組内部での分裂と金儲けしか頭の無い山守に堪忍袋の緒が切れた坂井は、分裂して新しい組を作ることを決心します。
そんなとき服役した広能に対して、山守は坂井の暗殺を持ちかけるのでした。
旧知の仲と親分に対する恩で揺れる広能でしたが、坂井暗殺を決心するのです。
結果的に広能の坂井暗殺は失敗しましたが、その時に広能と坂井は対峙し、坂井は、組と自分との仁義の話を広能に話し、広能を逃がすのでした。
その後、広能の暗殺が失敗に終わった時の為に山守が用意していた策の銃弾によって、坂井は倒れました。
組をあげた坂井の葬式の場に広能は現れます。
山守組の幹部の一人、坂井鉄也の葬儀が執り行われている中、現れたかつての仲間・広能昌三。
立派に飾られた祭壇の前まで進み出ると坂井の遺影に向かってこうつぶやきます。
「鉄ちゃん、こがいなことしてもろうて満足か…?満足じゃなかろう…。わしもおんなじじゃ…。」
坂井の死が山守組長の謀略である事を察している広能は、驚きの行動に出ます。
山守組長他多数の参列者の眼前で、おもむろに拳銃を取り出し、祭壇に向かってバンバンと撃ちだしたのです!
騒然とする場内から広能の脇に進み出た山守組長は
「広能!おどれは腹くくった上でやっとるんか!」
それには答えず、拳銃を持ったまま、山守組長の方に振り向いた広能は静かに言います。
「山守さん、弾はまだ残っとるがよう…。」
ぎょっとする山守組長や茫然と見ている参列者を残し、広能静かに葬儀場を後にするのでありました。
この最後のシーンが、大いに受けて、この映画は大ヒットとなったのでした。
何度見ても、胸がスカッとしますね。
(続く)