iPhone 11 と散策 - 2 鎌倉 二階堂 瑞泉寺    | 私の回想録 

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レミニセンス - 回想録。
過去の記憶を呼び返しながら、
備忘録として残したい。
記事が長いが何とぞご容赦ください。

最近、鎌倉を散策するのが趣味のようになっている。寺社巡りだけでなく山道を歩くととても気分がいい。

しかし、9月、10月の台風15号、19号により、ハイキングコースはどこも大きなダメージを受けた。鎌倉、金沢周辺のハイキングコースはほとんど全部、現在も通行止めが続いている。倒木が撤去できず、回復にはまだまだ日数がかかりそうだ。

ハイキングコースの情報は鎌倉観光公式ガイドを確認。


こんな大きな木が倒れた 佐助稲荷参道 10月20日


それでも主な寺社屋は頑丈で、何も被害を受けていないようにさえ見える。

令和元年11月24日、iPhone 11 と共に、まだ訪れたことのなかった、鎌倉東側の名刹、瑞泉寺とその周辺を散策した。



 

我が家からの行程は、いつものように山を越えて金沢八景駅に下り、3番バスターミナル始発の鎌倉駅行きの京急バスを利用する。時刻表は確認済みだったので、バスはすぐに来た。りんどう号という特別車両も運行されている。

バスは六浦、大道、朝比奈、朝比奈峠、鎌倉霊園、十二所、浄妙寺(報国寺)を経由し、杉本観音で下車した。

ルート地図

 

苔の階段で有名な杉本寺    2019年4月

 

竹のお寺 報国寺 2018年10月


 

浄妙寺    2018年12月

 

浄妙寺の奥には、ちょっと高級なレストランがある

 

このエリアへは、我が家から、高舟台、大道、朝夷奈切通しを通って歩いていくこともできる。しかし朝夷奈切通しは、未だ通行止めになっている。
 

深山幽谷、朝夷奈切通し 2018年12月




鎌倉女子大学二階堂学舎の脇を、鎌倉宮方面に向かい、右に折れてしばらく歩くと、護良(もりよし)親王墓に突き当たる。長い急な階段が墓所まで続いているが、ここも台風の影響により登ることはできない。
護良親王は、後醍醐天皇の第三皇子で、元弘の乱、建武の中興で征夷大将軍になり活躍したが、その後足利氏と対立、後醍醐天皇にも見放され、京都から鎌倉に幽閉され、その後足利尊氏の弟の足利直義によりこの地で殺された。




左に曲がりしばらく歩くと、永福寺跡が左手に見える。ようふく寺と読む。源頼朝が建立した寺と言われ、当時は鎌倉三大寺社に数えられた。室町時代に焼失し、廃絶した。二階建て建築であったので、二階堂と呼ばれた。そしてこの周辺の住所も二階堂となった。

 


 

鎌倉時代の永福寺の想像図  NHK 英雄たちの選択から

宇治平等院鳳凰堂、平泉無量光院と同じ造り

瑞泉寺総門

 

拝観所から境内にはいると、左手に苔に覆われた階段がある。


瑞泉寺の左手は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれているが、今年の色づきは遅いようだ。見ごろは12月に入ってからか。
瑞泉寺は境内は季節ごとに様々な花で彩られ、特にスイセンが有名な花の寺と知られている。

 

寺の奥には、知る人ぞ知る石の庭がある。

超広角撮影 x 0.5

以下標準 x 1

 

 

脇を上って景色のいい崖の上にも行けるそうだが、通行できないようになっている。


 

ポートレート撮影

この木はきれいに色づいている。


予定では天園ハイキングコースから入り、そのまま胡蝶山、石切り場、塔の峰を通り、明王院へと下る山道を使いたかったのだが、やはり通行止めだった。



 

他に金沢街道に抜ける道がないので、鎌倉宮まで戻った。多くのご家族が七五三のお参りをしていた。
鎌倉宮は前述の護良親王を祀った神社で、大塔宮(おおとうのみや)ともよばれる。明治天皇の命で造営された。




大塔宮から始発のバスで鎌倉駅に向かい、逗子を経由して家に帰った。
3時間の軽い散策だった。

続く