シンガポール ~スキューバダイビング~ | 私の回想録 

私の回想録 

レミニセンス - 回想録。
過去の記憶を呼び返しながら、
備忘録として残したい。
記事が長いが何とぞご容赦ください。

2002年から2004年のシンガポール時代にスキューバダイビングのライセンスを取得した。

 

何度か体験ダイブをしたことがあったがそれは昔のことだ。ライセンスを取らないことには深く長く潜ることができない。そこでシンガポールで日本人のインストラクター、Masaki君が営んでいるダイビングショップでマスク、シュノーケル、フィン、シューズといった体に合った最低限の道具を購入し、単身赴任だった折角の週末、アクティブに行こうとライセンス取得に踏み切った。

ショップでは毎週末のようにダイビングツアーが実施されていて、これに参加する形でライセンス取得コースが企画されていた。

まずはオープンウォーターダイバーのライセンス取得から始まる。教則本、ビデオが与えられて基本を自習。ショップで簡単なテストを受ける。

次に学校のプールに集合し、プールでの泳ぎのレベルチェックと、道具を装備して最初の実技講習を受けた。ダイビングには必ず相棒、バディーが必要になるが、この時初めてバディーになったのは、銀行関連のYoungな日本人駐在員。住まいも職場も私と近かった。週末のライセンス取得までバディーを組んだ。

 

ティオマン島

 

この週末のダイビングはマレー半島の東、メルシン港の沖合、ティオマン島で行われた。メルシン港までは国境を越えてバスで向かう。バス乗り場への集合は金曜日の夕方。数件のダイビングショップがツアーを組んでいて、乗り合いとなる。シンガポールの税関チェック、そしてマレーシアのジョホールの税関施設でも皆一旦下車してパスポートにイミグレのスタンプを受ける。

3時間ほどの乗車でメルシン港に到着。船への乗り換えとなる。乗船完了し、ティオマン島に出発、4時間ほどの航海。少しでも睡眠を取っておく。真夜中にティオマン島に到着。コテージにて朝まで睡眠。

 

ティオマン島は、有名なミュージカル映画「南太平洋」の撮影に使われた。島の形状が「南太平洋」の舞台、タヒチのモーレア(バリハイ)島に似ていたということである。

ティオマン島、実は2度目の訪問。最初はシンガポールから高速船で、夏休みに日本から来た家族を連れて、リゾートホテルのベルジャヤで週末をすごした。

今回の宿は、その隣の隣のコテージ。ほとんどは海で過ごすので、寝ることができれば問題ない。

 

ボートダイビングになるのでウエットスーツを着て、各自のマスクなどを持って乗船。ウェイト、BC、タンクは用意されていて船上で装着。

その時のティオマンの海は、透明度がいまいちで(5-7mくらいかな)ちょっと残念だった。

土曜日に2本、日曜日午前中に1本ダイビングをして、無事ライセンス取得。

日曜午後、同じ経路でシンガポールに帰った。

 

ライセンス取得以降は、期日までにダイビングツアーに申し込めば一人でも参加が可能だ。インストラクターは当日にバディーを選んでくれる。そしてグループメンバーはインストラクターのMasaki君に付いてダイビングを楽しむ。

 

2度目以降はアウ島でのツアーに参加した。

 

アウ島

 

ここはティオマンより少し南の小さい島である。水深は10-30メートル以上あり、透明度は30メートルに達することもあり、海の中も海の上からも美しい。サンゴ、ウミガメをはじめ海の生物も豊富だ。ダイバーのみ知る島で、一般に知られる観光地ではない。メルシンからの母船は着岸できないので沖合100mほどのところで、小舟に乗り換える。

 

宿泊施設は木造のオンボロコテージのみ。2段ベッドの4人部屋。何とか寝れるという感じ。

一度酒のつまみの入った小型のリックを一晩置いていたら、袋が開いていたため、大量の蟻にたかられ、廃棄せざるを得なかった。

 

食事はどうだったか?よく思い出せないのだが、悪くはなかったと思う。朝にミーゴレン、半熟卵、ロティプラタを各自取り分けていた記憶がある。エースコックのHao Haoというインスタントのミーゴレンが結構美味しかったなあと思い出す。

 

夕食はバーベキューだったか? そしてMasaki君が彼の大好物であるタイガービールをどんと持参して、自分のみならずツアー参加者にも売ってくれたので有難かった。

またコテージの左手に、小さい売店のようなところがあって、そこでもビールとかが買えたような記憶がある。

 

SARS

 

憶えているだろうか?2002年末から2003年7月にかけて新種のウィルスによる重症肺炎がアウトブレークした。SARSは中国の広州で発生し、香港にも広がり、シンガポールでも238人が感染し、33人が死亡した。感染経路は明確に突き止められ、スーパースプレッダーと呼ばれた感染力の強い特定患者と重症感染者は完全に隔離されたので、それ以上の拡大はくい止められた。オフィスビルの入り口で体温検査を受けることはあったが、街中の様子は全く通常と変わらず、我々日本人駐在員も平常通り、就労し生活していた。しかし日本へ一時的にでも帰ることは許されず、日本から出張者が来ることもなかった。そしてシンガポールの経済活動はスローダウンを余儀なくされた。

という中で、ほとんどのシンガポールの駐在員は、特に多忙を極めることはなかったので、ダイビング、ゴルフなどでシンガポールを一時的に離れて週末を過ごすことが可能だった。

 

モルディブ

 

SARSはすでに沈静化して、安全宣言が出ていたので、2003年の夏休みはシンガポールに来ていた家族を連れて、インド洋の宝石と呼ばれるモルディブに旅行した。

シンガポールからモルディブは近そうに思えるが、直行便で4時間半もかかる。今はシンガポール航空のみだが、当時は日本航空もシンガポールからモルディブの首都マーレに直行便を飛ばしていた。私のシンガポールのオフィス近くの旅行会社で、飛び切り安いプランで、マーレから一番近い、パラダイス・アイランドの水上コテージに滞在する豪華なツアーをアレンジしてもらった。

  モルディブの首都マーレ 

 

家族は島でリゾートしてもらい、私はダイビングを楽しませてもらった。ダイビングログを見たら、4本潜ったようだ。私は日本人のグループには入れてもらえず、オーストラリア人、シンガポール人、インド人と思われる混合チームに日本人一人で入った。

1本目は小手調べということか、岸から繰り出して沖に泳いでリーフの境でダイブした。そこは急に落ち込んでいる崖で、それに沿って泳ぐ。潮の流れもあって、流されないようバディーや、インストラクターと離れず、しっかりついていった。

 

2本目以降はボートに乗って、リーフを出て沖合の各ポイントをダイブした。魚は沢山いたが、名前はわからない。マグロみたいな、大きなアジのような、大きなカマスのような,,, 小さい魚は無尽蔵に泳ぎ回っている。事前に学習しておくべきだったと反省。今回残念ながら、ジンベイザメ、マンタといった大物には遭遇できなかった。

そしてダイビングは30メートルを超える深さまで潜らされた。私のオープンウォーターライセンスでは18メートルまでしか潜れないはずだがお構いなしである。案の定、深いところではエアーの消費が多いので、気が付いたらエアのゲージが空に近づいていた。

慌ててインストラクターにゲージを見せたら、サブのレギュレーターのオクトバスからエアーを分けてくれ、しばらくインストラクターと寄り添って並走したこともあった。

30メートルまで潜れるアドバンスライセンスを取っていたら、深いところでのエアーの消費には気を付けていたと思う。以降は空気を多く消費しないよう注意して潜った。

ダイブ中も潮の流れがあって、浮上した時は波もあるのでさらにその影響が大きい。当時は太っていなかったので、船への乗り降りも何とかできたが、結構タフなダイビングだったと記憶している。

 

シンガポールに帰るフライトの前日はダイビング禁止である。予定プログラムにあったのか、周辺の島をボートで巡るツアーに参加した。ある島はマグロ漁船の基地で、結構な数のマグロの頭が切り取られていたのを見た記憶がある。その後何かの処理が行われるのであろう。

 

モルディブは仕事でもかかわりがあった。

飛行場の滑走路工事を受注した日本の舗装専門会社からの依頼で、その建設工事に使うプレハブ住宅、建設機材の日本からの輸送を担当したことがあった。シンガポール経由で、マーレには大型バージ(艀‐はしけ)で運送した。

離島環礁の飛行場だったと思うが、その会社のご担当いわく、

「ここはリゾートではありません。毎日がツナカレーのモル地獄です。」

私がシンガポールに駐在する前、1990年代のことである。

 

アドバンスドライセンス取得

 

2004年になり、シンガポール勤務がそろそろ完了となる。その前にアドバンスドオープンウォーターのライセンスまで取得しておきたいと思い、アウ島でのライセンス取得ツアーに単身参加した(毎回単独だったが)。

アドバンスドライセンスコースでは以下の実習が行われる。

 

1. 中性浮力

2. 水中ナビゲーション

3. ナイトダイビング

4. ディープダイビング

 

浮力コントロールはこれまでのダイブで既に体得済み。中間点で正座のような恰好で待機することだってできるようになっていた。潜水障害がでないよう、段階的に浮上することは重要な技術だ。

水中ナビゲーション?確か潜りながらまっすぐ行ったり、曲がったりして目的ポイントにたどり着くといった練習を行った記憶がある。

ナイトダイビングは、水中電灯を持って、日没後、暗い中でダイビングする。明るい時とは違った海中の景色を楽しむことができた。予期せずグループの頭上にボートが通過して危なかった。

ディープダイビングはすでにモルディブで体験済み。このライセンス取得で30メートルまでの潜水が許される。深く潜ることは思いのほか簡単で、意識しなくとも沈んでいく。呼吸のコントロールとBCへの空気注入調整が重要だ。

 

水中写真撮影もアドバンスの科目に入っていた。

今回のダイビングではウミガメが数匹近くに寄ってきて、触ることもできた。

 

 

 ショップの写真を拝借

 

 以下の2枚は、アナログからデジタル化したアウ島の写真と思われる。

 

 

残念なことに当時の写真がほとんど残っていない。まだ水中デジタルカメラは普及していなかったせいもあり、撮影は水中ケースを付けたアナログカメラだった。私が持っていたCANONデジタルカメラの水中ケースは深度5メートルまでだったので使うことができなかった。

 

そして、せっかくライセンスを取得したのだが、アメリカ時代は一度もスキューバダイビングすることはなかった。そして日本に帰国。このアウ島のアドバンスライセンス取得ダイブが最後のスキューバダイビングとなってしまった。今はそれから15年も経っている。

 

PADIライセンスのカードは今も持っている。が、もう歳なので宝の持ち腐れである。