室町幕府(花の御所)推定再現ジオラマ制作記 1 |  Kyotoから創造するARTBOX45°

 Kyotoから創造するARTBOX45°

 歴史的建造物の模型・ジオラマなど当時の情景を蘇らせることに日々励んでいます。

こんばんわ。宗秀斎でございます。

急に気温が上昇し、暑がりな僕にとってはちょっとキツイかなと

思っている今日このごろです…(゚ー゚;

 

先程、前作の金閣寺と天鏡閣再現模型を納品させて頂いたお客様からお褒めのお言葉を頂きまして…安堵したところでございまする。

一段落つきました〜〜(^▽^;)

新作のテーマ「室町幕府(花の御所)推定再現ジオラマ」

やとこさ、資料などをまとめて配置図面の設計に取りかかったばかりです。
弱音を吐くと、正直頭が痛いというくらい悩み考えての設計です…ほんとにできるのかな〜て…(汗)

花の御所とはなんぞや?というところから、

平たく言えば、あの金閣寺を創建した有名な室町幕府3代将軍足利義満が創建した邸宅です。

後に邸宅兼政庁として機能し室町幕府の本拠地となります。
その後、増改築を繰り返しますが、応仁の乱や度重なる天災、戦火により規模が縮小していき、やがては荒廃して消滅してしまうのです。
 
 

京都御所同志社大学のすぐ隣にあり、発掘調査から約東西110m×南北220mの規模だといわれています。

こうして京都御所と比べると小さいことに正直驚きます。

 
国宝 洛中洛外図(上杉本) 室町御所部分

これは織田信長か室町13代将軍足利義輝(あしかがよしてる)が安土桃山時代の巨匠ともいえる狩野永徳(かのうえいとく)えいこうさんではないですよ(笑)

に描かせて上杉謙信に送ったといわれている国宝の洛中洛外図屏風に描かれた室町御所です。

制作年代が1561年頃といわれているので、その頃は戦国時代の真っただ中です。

色々諸説あるようですが、ここに描かれている室町御所は本来あるべき室町幕府の理想の建物を描かせた、いわゆる推定で描かれているという説も強く、実際のところこれが確証を得る姿なのか議論されているようです。
 
もし、実際の姿であるならば、足利義輝の父、足利義晴の時代の小規模な室町御所と推測されます。
 

足利義満、足利義教、銀閣寺で有名な足利義政の時代の室町御所は増改築によって規模も大きかったようです。

 
足利義政の時代、応仁の乱で焼失してしまい、その後再建されますが、飽きられて放置されて荒廃し、さらに戦火に見舞われて足利義晴の時代に再建されますが小規模になってしまったようです。以後も荒廃し消滅してしまうのです。
 
洛中洛外図屏風(歴博甲本)(国立歴史民俗博物館蔵)
 

これも日本最古の洛中洛外図といわれ制作時期も少しさかのぼり1520年代に描かれたと推定されているものですが、この二つを比べてもあまり違いがないように思います。

僕自身としては実際にあったものを描いたのではないかと考えています。
 

こればかりは創造と残り少ない資料から考証して再現していくしかないのです。ですので極めて難易度の高いジオラマになるわけで…頭が痛いです…(゚ー゚; 

が!創造するのは楽しいですしやりがいがあるというものです(^_^)

驚く程に花の御所に関する資料は非常に少なく、発掘調査で礎石や溝などが発見されていますが、あまりに状態がひどいため、室町御所の正確な再現は不可能に近いといわれます。

特に戦国時代の京都は応仁の乱以降も戦争の繰返しで、ほぼ焦土と化していたと言われ、再建されても破壊されるといった負のスパイラルだったわけです。

 

また破壊された土地も再利用されることが多く、痕跡が崩されるケースもある。そうした様々な要因から再現が困難という理由もあるようなので再現ジオラマが存在しないのでしょうね(*_*)

 

現在において戦国時代や江戸時代以前の創建時の建造物は京都でもそんなに多く残ってはいません。江戸時代以降に再建されたのがほとんどです。

創建当初の建物の代表として銀閣寺や三十三間堂などが残ったのは奇跡だそうです(^_^)
 

仮に戦国武将の屋敷が奇跡的に残ったとしても時代遅れだといって、その時代に合う建物に改築されるわけですから、当時のままの戦国大名屋敷など何一つ存在しないのです。

 

ですので、絵図から創造だけを頼りに配置図を作っていくしかないのかな〜(゚ー゚;
と思ったのですが、
戦国時代の大名屋敷の配置図を詳細に掲載している書籍を発見し即注文!
 
そこから多くのヒントを得ることができ、ようやく配置図の制作も進むようになったのです。
 
戦国時代武家居館の復元(まんりき王朝)より

これは戦国大名、朝倉氏の屋敷跡に基き忠実に再現された配置図です。現在は福井県にある一乗谷にも再現された町並みがあります。

これも戦国時代の飛騨の在地領主の江馬氏の居館の復元配置図です。

 

これの二つを比べると構造が非常によく似ています。

当時の戦国大名の邸宅は、室町御所を模倣して作っていたのではないかと言われており、足利将軍の邸宅に似せることで自信の権威を周囲にアピールする意図があり、全国の戦国、守護大名たちがそれにならって建造していたのではないか?というものです。
 
当時でも設計図(さしず)が存在していたわけです。また、それに関わる大工が代々、木割書(きわりしょ)を残しています。いってみれば秘伝書のようなものですね。それを現在まで何百年も守り続けているのも驚きですが、ここにも類似する配置がなされています。
 
つまり…当時の戦国時代の大名居館設計図は全国に幅広く共用されていたので類似した構造になっていたのでは?と考証しています。
 
類似する建築デザインや構造など現代の建築物においても同じ様なことが言えると思います。
当時も同じ構造の建築物があっても不思議ではないし、ましてや将軍の邸宅であるなら、尚の事模倣していたことだと思います。
 
 

この洛中洛外図の花の御所と先程の朝倉氏、江馬氏の屋敷配置図と照らし合わせると合致する部分が多い事に気づきました。

今回この検証をもとにして…

これが現在進行中のかなりラフな配置図です。(あとでキッチリ清書しますが…)

主な建物は主殿、常御殿、遠侍、会所、御清所などです。
 
池の形は、「室町殿配置模式図」から引用しています。
 
予定としては縮尺は先程紹介した規模の数値から約1/400(推定)としてデータを作成しているところです。
サイズは600mm×400mmと考えています。
 
ただ、縮尺も変更するかもなので、まだ思考中の段階です。
 
今週末から制作開始できればなあ…と思っていますが先が見えないので不安と希望の気持ちでいっぱいでありまする!
 
次回も説明しながらの進捗を紹介していきたいと思います。
 
長くてすみませんでしたぁ〜〜
 
ではよい週末を!(ノ´▽`)ノ