ワーキングホリデー? | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

昨日、NHKのニュースで「ワーキングホリデー」について伝えていた。

 

「ワーキングホリデー」というのは「仕事もできる」海外渡航のことで、1年間だったか、滞在が許される筈だ。

 

そのワーキングホリデーのビザ発給が過去最高になったとか。

 

理由は円安で、例えばオーストラリアなどではバイトで30万円以上稼げるかららしい。

 

1年間、しっかり働いてお金を貯め、帰国する狙いもあるとか。

 

しかし現実は甘くないともニュースでは伝えていた。

 

実際に渡航しても働き口は案外、ないらしい。

 

あるいは足元をみられて最低賃金以下で不法にこき使われるケースもあるとか。

 

そもそもワーキングホリデーというのをお気楽に考え過ぎだと思う。


英語も覚えられて金も入ると。

 

もう20数年前になるが出張でオーストラリアのゴールドコーストに3週間ほど滞在したことがある。

 

そのとき、偶然、ワーキングホリデーできていた若い学生と知り合った。

 

日本でちょこっと英語を勉強してオーストラリアにやってきて、1年間、働きながら留学というつもりでやってきたらしいが、実際は低賃金で働かされ、貧しい英語力では会話も成立せず、あまり楽しくないと愚痴っていた。

 

仕事場と泊っているバックパッカー専用の木賃宿の往復。

 

たまの休日にゴールドコーストのバカ広い海岸に出てみるが独特な訛りのあるオーストラリア英語には中学生程度の英語では通じず、孤独を噛み締めるしかないとも。

 

なんのことはない、自分たちが日本で見かける貧しい国からやってきた外国人労働者と同じで、言葉に不自由し、結局、同胞でかたまり、同胞同士で慰めあうしかない。

 

留学ではないので1年間、ワーキングホリデーで渡航しても箔はつかない。

 

いや留学でもいまは昔ほど、箔はつかない。

 

もちろんキャリアにもならない。

 

下手すりゃ、海外で遊びほうけたバカ扱いされる。

 

仮に日本からみて高額のバイト代で働いても現地の物価は高いので余程切り詰めないと金もたまらない。

 

ただただ「俺(私)、海外で暮らしていた」と自慢したいがための自己満足に過ぎず、他人はいまどき「ほお~」とも感心しない。

 

悪いが、出来の悪い人間が甘い夢をみる怪しげな制度でしかない。

 

なにも誇るものがないと地団駄踏む人間の浅はかな知恵である。

 

別に海外で暮らしたとか、英語ができるなどどうでもいい。

 

箔など付けなくてもいい。

 

そんなものは要らない、と地道に暮らすのがのんびりしていいと思う。