お偉いさんに話をきくだけが取材? | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

昨日、久々に「サンデーステーション」を観た。

 

自分が嫌いなコメンテーター、太田何某が出ている。

 

彼が昔、「報道ステーション」に毎日のように出ていた時に批判を何度もした。

 

相変わらず、バカさは変わっていない。

 

昨日の話題は「路上飲み」。

 

渋谷の路上で外国人観光客が路上飲みをして大騒ぎしているという話。

 

騒音も交通妨害も迷惑だが、ゴミの散乱も問題という流れで、観光地はどうしているかいうことになり、京都はどうしている、伊勢(おかげ横丁辺り)はどうしていると展開した。

 

その伊勢の話題の中で、キャスターが太田に話を振ると彼曰く「元三重県知事に取材しました」という言い方。

 

このバカはまだやっている。

 

このバカの口癖は「〇〇に取材しました」で、〇〇はお偉い政治家、官僚トップに決まっている。

 

たぶん彼の頭の中では自分(彼)は元共同通信の記者でいろいろな「伝手」があり、それを自慢したいのだ。

 

それが「取材」だと勘違いしている。

 

しかしこの場合、もし観光地・伊勢の観光対策について聞くのなら元知事ではなく、対策を実際にやっている現場の役人であろう。

 

知事などに「詳しい」実情などわかるはずはない。

 

それが「わからない」太田が歯がゆい。

 

むしろ「偉いさん」におもねる自身を恥ずかしいとおもわないのか?

 

記者というのは「現場」を徹底的に調べることだと思う。

 

実際に伊勢に赴き、対策を講じる役人や店、迷惑する地元住民を取材することだ。

 

それが本当の「取材」だろう。

 

いくら「元」とは言え、記者の姿勢をわすれてはいけない。

 

元知事に電話一本してなにが「取材」か?

 

元記者という肩書が泣く。

 

彼は記者として幾つもの「賞」を獲得し、著作物もあるらしい。

 

しかし彼はずっと「偉いさん」におもねるばかりで現場を取材してきたとは思えない、いまのやり方を見ていると。

 

偉い政治家や官僚の話だけを記事にし、本にまとめ、それで果たして真実を描けただろうか。

 

そもそも権力批判精神のない記者というのは記者でもなんでもない。

 

現場に行かず、権力者にすりよるだけだ。

 

それが彼である。

 

見た目は温厚そうにみえるが、権力亡者だ。

 

そんな権力亡者を起用するテレ朝も信じがたく、テレ朝の記者たちは地団駄と踏んでいないのかとと疑いたくなる。

 

彼を起用することは報道の「恥」である。