他人を信じない、他人に任せられない指導者 | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

昨日話したように観光ガイドには寺社や観光施設でのガイドの仕事もある。

 

そこにはガイドの指導役がいて、一切、こちらにお任せで口を出さない人もいれば、いちいち細かい指図をするバカもいる。

 

自分たちは正確にはシニアのボランティア・ガイドだ。

 

有償だがそれほどもらう訳ではなく、小遣い程度で、実に安く使われている。

 

時間を持て余し、京都の歴史・文化にすこし詳しいからやっている。

 

60代、70代の爺婆で、それなりに人生経験も積んでいる。

 

ボケて物忘れも多いが、すらすらと数時間、京都についての蘊蓄をたれる特技がある。

 

ところがある勤務先の指導者にそれを解さない、自分たちを子供のように扱うバカがいる。

 

もちろん初めてそこで勤務すると段取りがわからないので戸惑いがあるが、数回勤務すれば、要領を得る。

 

なのにちまちまと客への口のききかた、態度、「ほうれんそう」の徹底を毎回指示したがる。

 

昨日も仕事前に訓示をする。

 

50代の女でお山の大将だ。

 

数人の爺婆を「従えている」というのが自慢らしい。

 

それが「喜び」らしい。

 

こっちは雇われるほうだから下手にでて、「はいはい」と聞いているだけだ。

 

本当は舌を出し、舌打ちしている。

 

腹が立つのは「皆さんが仕事をしやすいために言っています」と言い訳することだ。

 

嘘つけ、お前がいること自体が仕事をやりにくくしている。

 

こっちの爺婆は40年近くどこかの会社で仕事をし、人間関係にもまれてきたのでリーダーシップというのはどういうものか、大体心得ている。

 

自分は、リーダーには「寛容」が大事だと思うし、アバウトさも大切だと思う。

 

自分が指示したこととすこし違うことをしても間違っていなければ受け止め、認めることである。

 

他人を信じ、任せる度量である。

 

月並みな言い方だが、その女はそんな基本的な資質に欠けている。

 

自分の指示したことからすこしでも外れれば注意する、不合理、非合理でも。

 

小さい。

 

気持ち悪い。

 

おそらく今まで他人を指導してきた経験のない人間に相違ない。

 

器量がないのに指導役を任され、舞い上がっている。

 

本人は自分がバカだと思われていることにもちろん気づいていない、そこもまたバカたるゆえん。

 

バカの最上級。

 

もっともこんなバカの悪口を言っているとバカが移るのでこの辺でやめる。