先日のお彼岸中の出来事。
朝からお彼岸のお経回りで、8時半から家に戻らず18時までお経回りをして、18時半からペット霊園のお客様というスケジュール。
18時半になってもお客様がいらっしゃらず、お寺の内外の電気も点けているので、早くいらしてほしいなぁ~と思っていたら、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、玄関にて応対すると、道を間違えて脱輪してしまったとのこと。。。
お寺への入り口のところは細い十字路で、直進と右折の先は車が通れないほど狭くなるので車の通行は出来ません。
お寺側の左折は道は狭くても、上まで上がれば境内には駐車スペースもあり、Uターン出来ますが、十字路を直進してしまうと道幅が狭く、側溝もあり、進めば進むほど戻り難くなります。
注意喚起の看板もありますが、見ていない人は見ていないので、年に3回くらい道を間違えて脱輪してしまうことがあります。
道を間違える人はたいてい初めての人ではなく、何度がお寺にいらしたことがある方なんですよね。
「たしか?こんな細い道の先にお寺があったような?」と似通っている感じがするために、無理に進んでしまうのですよね。。。
今回のお客様は3回目の方で、前回は2年前であったのと、夜で道が分かりづらいこともあり、「たしかこんな道だったような…」と進んで行ってしまったのです。。。
「道を間違え脱輪してしまった」と聞けば、心消沈しているでしょうから、お坊さんであれば、慈悲の想いから人の心に寄り添うものなのに、私の心に起こったのは、「もう!こんな時に限って~」という自分だけの心だったのです。
瞬時に心を切り替えて、「大丈夫ですか」「私も今すぐに行きますね」と、懐中電灯と脱輪救出用の木材を抱えて現場に向かいましたが、私の抱いてしまった想いに罪悪感を感じつつ、とにかくご近所の方々と車を押したり持ち上げたりして、何とか脱輪から難を脱しました。
こういう時って、ちょっとしたパニックになってしまい、心はどうしたものかとなりますよね。
脱輪から脱したとしても、車の傷って、心に重くのしかかるのですよね。
心も落ち着いていないから、お寺の境内に上がる道も不安だろうからと思い、運転を代わって境内まで車を上げて、着替えてお経を挙げて供養した後の帰り道も運転を代わって車を下げました。
この間は、人の心に寄り添うことが出来たとしても、最初に抱いてしまった自分の心が許せないのです。
どうして、最初から、こうなれないのだ!!
疲れている⁈ 怪我している⁈ なんてのは言い訳。
「どうしても今日お願いします」「夜でもいいので」と言われたとしても、依頼を受けたんだから、自己責任ですよ。
そういうことに責任転嫁してはいけません!
まだまだ修業が足りませんね。
人間力がまだまたですね。
ダメダメです。。。
翌日からのお経回りなんて、それぞれのお宅の仏壇にて、仏さまを前にして反省しながらのお経回りとなりました。
私のことをすごく気に入ってくださっているお宅で、話しの流れから昨晩の出来事の話となり、今日はずっと仏壇前で反省しながらお経唱えておりますよ…と話すと、和尚さんでもそういうことあるですね!となり、驚かれておりました。
まだまだなんですよ。
皆さんが思っているほどではないのですよ・・・・・
ちなみに、この日の午後。
階段から3段ほど転んで、付いた両手は痛く、膝から血を流し白衣は赤く染まり、痛い・痛いとお寺に帰って来たのですが、「脱輪した」と聞いてからは痛みなく自然に動けるのですから、心の有り様というのは不思議なものです。
(もちろん、その反動は大きいですけどね・・・・・)
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私の著書:
「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社