前回は、記憶と思考と題しましたが、今回は嗜好についてです。
好きな事についてはすんなり記憶出来るのに、嫌いなことや苦手なことはなかなか覚えられませんよね~
(と、自分に言い聞かせる晴正であった…)
何度かやっても、さっきやっても、覚えたようで覚えていないのです。。。
(と、自分に言い聞かせる私…)
好きな事や興味のあることなら覚えられるのに。。。
だって、興味ないんだもん!
(あー心の声が言っちゃった)
興味があることって人それぞれ違っていて、誰かにとって大事なことでも、他の人にとっては小事であったり、自分にとって愛しい存在であっても、興味のない他人にとってはそれほどの対象でないことありますよね。
ペットのことになると、いろいろあるさ!
自分にとっては大事な者であっても、他人にはその愛しさが分からないのですよね。
人の好みは人それぞれ違っているのが基本だから、それは仕方のないこと。
他の人の違う反応に傷つき、惑わされないでいいことなのに。
(戸惑えるのは、良い心があるなんだけどね)
趣味嗜好の対象が同じ人に出会えたら、それは貴重な出逢いなんだから大事にしないとね!
人それぞれ違う世界にあって、同じ思いを共有できるなんて素敵なことだから、感謝しないと。
他人から軽んじられたと怒ってみたり、拗ねてみたり、愚痴ってみても、周囲は変わらないよ。
これは自分の心の均衡を保とうとする感情作用であって、それでは環境は変わらないよ。
変えたい世界があるのなら、そういう世界の中にあって自分を見失わず、歩みを止めないこと。
自らの行いの影響が、悪い意味でもあるのなら、善い意味での影響だってあるんだよ。
自らの信念に基づいた行動は、周囲に影響を与えるからね。
嫌な影響もあって、嫌な思いもするだろうけど、無駄じゃないんだよ。
きっと、いいこともあるさ。
私なんてペット大好きが行き過ぎて、きちんとペットの供養してくれる僧侶がいないから、自分がお坊さんになっちゃえ~!と出家してしまったから、同業他者から「動物和尚」なんて軽んじた言い方されることあるけど、別に気にしないよ。
(瞬間的には嫌な気持ちになりますし、ちょっと落込みますけど…)
だって、そういう動物嫌いな人には、この気持ち分からないだろうからね。
それに、命を軽んじた者は、その程度の人なんだから。
そんなに相手にしなくていいじゃないの。
(そういうことしか言えない可哀想な人なんだよ)
そもそも、嗜好が違うから、思考も違うからね。
違う星の種族とでも思っていれば。
嫌なことを記憶するよりも、好きな事を記憶した方がいいと思う。
脳の許容量は限られているんだから。
心には好きなことため込んだ方がいいよ。
それなのに、どうして記憶しちゃうんだろ。
嫌なことや苦手なことは憶えにくいはずなのにね~
出来事として記憶してしまうのは仕方ないとして、
その嫌なことに心を惑わされるのはもったいない!
記憶と感情をリンクさせないで、事象としてだけ認識してればいいのに。
「そういうこと、あったなぁ~」とね。
人の趣味嗜好は違うのが当たり前!!
工業製品じゃないから、同じじゃないし、均一でもないの。
自分に認められたい個性があるように、傷つけられたくない心があるように、他人にも違う個性と心があるんだよ。
ただ、そのことを知らない相手に出くわしただけ。
そのことに気づいた分だけ、相手よりも優れたんだから、いいことさ。
命はそれぞれ違って、同じじゃないから。
そんな人よりも同じく心を共有できる人を大事にすればいいのさ。
嗜好の違いなんだから、気にしない!気にしない!!
あっ!やっぱり気にして、このことは記憶しておいてね。
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私の著書:
「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社