記憶と思考 | ペットのお坊さんブログ(ペット霊園ソウルメイト)

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記憶とは忘却するものである。

(言い訳に使いたい言葉)

 

記憶って曖昧なところもあって、意識していないと忘れてしまうのですよね。

(書き出しは一緒みたい。だって、記憶しているから!)

 

よく愛する者を喪った前後の記憶が定かでない時ってありますよね。

その時、心はパニックになっていて落ち着いていないし、何をどうしていいのか迷って、とにかく何かしないとと思い、思ったことをしただけで、イマイチ何をしていたのか定かでないのですよね。

 

それに、心は受止めきれない大きな出来事を受止めることになり、心の許容量を超えると心が壊れてしまうので、心の抑制機能が働き、受止めきれる分だけ受止めて、それ以上のことを遮断してしまうので、心は一時停止したような状態となります。

 

それでも、思考したことは行っているので、何だか自分でないような、空虚な感じで物事は進んでいくことでしょう。

 

だから、後から振り返って、あの時どうだったか覚えていないのですよね。

 

また、人は一生懸命になると視野が狭くなり、普段見ている視野よりも目の前の事だけに集中してしまい、その周辺のことを見ているようで見ていないものです。

 

客観的に見ている他人からは、見えている事柄が視野に入っているものであっても、当の本人はそのことに気づかなくて、まるで視えていないのですよね。

 

さらに、興味のあることに人の視線は赴くもので、同じ光景を見ていても、人それぞれフォーカスしている視点は違って、同じものを見たはずなのに憶えていないことがありますよ。

 

愛する者を喪った時には、心はパニックになっているから心の機能が一時停止しているし、一生懸命に出来る事を行っているから視野は狭まっているし、周囲の光景など興味の対象ではないので覚えていないのですよ。

 

思い出せないことは、思い出さなくてもいいことなのですよ。

記憶的には脳と心がそう判断したのだから。

 

どうでもいいってことではありませんけど、優先順位があって、出来る事からしていたのであって、その時には精一杯だったのですよ。

 

パニックになっているから、いつもよりも行動が空回りして、出来る事が少なく小さくなってしまいがちになるのは仕方がないことですよ。

 

「もっと、何か出来たのに~」と思うのは、後で振り返ってみて思うことであって、その時にはそれしか出来なかったはずですよ。

 

普段の生活の中でも、落ち着いて、冷静になってみて、何であんなことしていたんだろう?ってこともありますよね。

不安心理が作用して、落ち着きを取り戻すために、変な行動することありますよ。

 

心が落ち着いてきて、振り返って思うことはありましょうけど、それは今の心の有り様だから思えることですからね。

 

その時には思えなかったのですから、致し方のないことですよ。

 

今思うことが出来るのなら、それは心が落ち着きを取り戻している表れだから、落ち着いて来たんだな!と良い様に受け止めるだけでいいのに。

 

どうして、悩んじゃうの???

 

その時には出来ないことなのに。

 

どうして、出来たのではないかと考え込んじゃうの???

 

それは今思うことが出来るようになっただけなのに。

 

 

 

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