前借なんて言いますと、月末にお金が足りず来月のお小遣いから親に前借したことを思い出しますね。
(どれだけ昔の話なんでしょ!)
(ちなみに、私はお小遣い貰っていたのは中学生の時まででしたね)
(とある政治家なんて大人になっても母親からお小遣い貰っていた人いますよね。
金額は桁違いで月1000万円のお小遣いって、何なんでしょ!!)
人によっては、今月の生活費がピンチで誰かに、来月の給料が入ったら返すから、ちょっとの間だけお金を貸して!なんて頼まれることもあるでしょうね。
頼む方は必至ですが、頼まれる方も困ったものですよね。
(まぁ、返ってこないことがあるから、その前提で貸すことになるでしょうけどね…)
この前借というシステムは、当面の足りないところを補えるのですが、よく考えてみると、次のところから持ってきているので、次にはその分が足りないのですよね。。。
なのに、当面凌げればと考えるし、後で返せば何とかなると思っているのですからね。
(人間の思考というものは勝手なことが出来ますよね!)
愛する者を失った悲しみにおいても、この前借ということをよくするのですよね。
お別れした先にある未来に、出来たであろうこと、してあげたかったこと、そう望んでいたこと、いろいろな思いがありますよ。
それら先にあるはずの思いを前借するように、「何歳まで生きてくれたら…」「今度してあげようと思っていたのに…」「こんなことなら前倒しですればよかった…」というように、ただでさえ悲しいお別れの上に、さらに上乗せするのですからね。
そりゃ。
さらに悲しくなりますから、辛くもなりますよ。
自分で悲しみを上乗せして、自ら苦しんでいるのですよ。
(人って不思議)
だって、今の感情ですら制御出来ていないのに、思考は先のことまで上乗せするのですからね。
心の制御機能が追い付かないことでしょう。
本当なら、今悲しむべきことに目を向けて悲しみ、今の自分の感情の処理をして順番に処理していけば、心は制御することも出来るし、冷静でいられるのでしょうね。
でも、そんなこと出来ませんよ。
だって、勝手に考えちゃうんだもの!
思わないようにと思っても、考えないようにしようと考えても、意識していてもダメなんですよ。
いったん積み上がってしまうと、どこから手を付けていいのか分からなくなりますよね。
そして次から次に押し寄せてくるから、そりゃぁパニックになりますよ。
(昔、パンの製造工程でバイトしていた時に、ベルトコンベアーから流れてくる商品を処理しきれなくてパニックになったことを思い出してしまいました)
今の悲しみが大きすぎて、その穴を補填しようと前借というシステムを採用して、悲しみを埋めようとしたのに、さらに追加して悲しくなっちゃうんですよね。
(人間って、変な生き物)
そして、前借した先の時に至り、その時が訪れれば、空虚なはずですよ。
だって、前借してしまったから。
何もする気になれず、ボーっとしてしまいますよ。
空虚な寂しさだけがそこにありますよね。
ただでさえ、想像していた未来にいたはずの子が目の前に居なくて寂しいのに。
そこから前借したから、そこは空虚なはずですよ。
前借というシステムもいつか調和が訪れて、その時々に見合うようになるのと同じく、時が過ぎると、その時々の今の悲しみに応対できるようになり、以前に比べるとパニックになることは少なるなるものですよね。
今のその悲しみ。
未来から持ってき過ぎですよ!
今は今の悲しみ。
昨日の悲しみだって処理しきれていないのに。
前借してどうするの?
今日は今日の悲しみ。
あの子たちのように、いつも今を生きれたらいいのにね。
(動物って素敵!)
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私の著書:
「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社