今日は愛しきラブの一周忌です。
家のどこにでも姿があったのに、今は家のどこを探しても姿がありません。
外を探しては姿は見つからず、内を覗いて見ればここにいる。
私と人生が一つになったラブです。
当時、勤めていたペット&グリーン館の外売り場のプランターの中に、ブランドの高級ネックレスと共に置き去りにされ、不安そうな表情でか細い声で鳴いてました。
寒い夜空の下、誰にも気づかれずにいれば、朝には亡くなっていたことでしょう。
家に連れ帰るにしても、すでに8匹の猫と暮らしておりましたので、これ以上は増やすわけにはいかず、一時保護ということで連れ帰るも先住猫に噛みつかれ、病院送りとなったことで我が家に残留することになったラブです。
あの日、同僚とシフト変更しなければ、あの時、先住猫が噛みつかなければ、この世にも存在しなければ、我が家にもいないのですよね。
出逢いというものは必然で、出逢うべくして出会うもので、事情なんて超えるのですよ。
ご縁というものは必然で、心と心を引き寄せるもので、一緒になるよう事が起こるのですよ。
午前中にはハムスターを迎え、夜には猫を迎える事になるなんて、出社する朝には思いもよらぬことで、思っていようといまいと、縁ある者同士は運命に導かれるのですよ。
新婚の私たち夫婦の間で川の字になって寝ていた仔猫の頃が懐かしくなります。
あの日は仔猫だったラブも長生きして、我が家では初の20才を迎えたのです。
ラブの隣で寛ぐ長男が幼い頃、背中に乗られ、短いシッポを掴まれ、いじられておりましたね。
それでも嫌がらずに遊んでくれました。
とても心の穏やかな優しい子です。
そんな幼子がラブの一周忌を迎える先日、成人式を迎えたのですから、月日というものは、あっという間に過ぎるものですね。
命ある姿はいつ亡くなるか分からない姿でもあり、一緒に暮らせる日々が有難いものであり、一緒に過ごせる一時が貴重な時であり、人は愛する者を亡くしてみて、命の大きさ・時の貴重さに気が付くのですよね。
この日は、大きくなったね!と思って懐かしんでいたのでしょう。
うちのふたりの長男たちです。
いつかラブを見送る日が訪れる際、人の手に委ねて今までの猫たちのように嫌な思いはしたくないし、ラブには最高のお見送りをしてあげるべく、僧侶にもなったし、霊園も運営し、自らの手で愛しいラブを弔うべく、すべてを整えたものの、いざ時を迎えると思っていたことよりも現実は寂しいものでしたね。
お寺に到着してから、やせた体を綺麗に拭いて、ドライヤーとブラシで寝姿を整えて、念願?悲願?であったお経を挙げ、想いを込めた数珠を手に掛けて、手紙を手に挟み持たせ、お花で回りを飾って、大好物のカニカマを殿様盛りにしてあげて、最後まで自らの手で出来ることの幸せがあれば、ここから先は自らの手でボタンを押す切なさがあるとは思いませんでしたね。。。
最後にお世話になった両親と共に記念撮影。
両親が仲良く暮らせたのもラブが居たからこそであって、ラブを連れて出るべきかどうか迷ったあの日の決断は、こうして写真を見ると正解であったのでしょうね。
ラブのお骨は可愛く、愛しくも美しくもあり、自分で火葬できて良かった~と幸せを実感しました。
他の人に任せたのでは、こうはなりませんからね!
この感覚は、ここを訪れるお客様が、「わーきれい!」「こんなに丁寧に並べてくれて!」「シッポの先まであるよ!」「あっ、指も爪もある~!」と喜んでいるのと同じで、「ここに来てよかった」と感謝されるよう、いち飼い主の心の有り様を体感させてくれ、ラブがこれからもこうあり続けなさいと教えてくれました。
ラブとの最後のツーショット写真は、雑誌クロワッサンの取材時のもの。
私の胸に抱かれるように、これからも私の心におり、
私の部屋でお昼寝していたように、これからも私の心の中で過ごし、
私の歩む人生を離れることなく、私の側で見つめ見護り、私と一緒の人生を歩んでおります。
この日していたラブの大好きな遊び道具でもある帯紐をギュッと締め、ラブのために志した僧侶になりたいとの初心を忘れず、これから先の人生も歩んでゆきます。
いつか再会するであろう、その日まで。
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私の著書:
「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社