よく、「心と共にありますよ」と私は言います。
昔から言われ続けている言葉ですけど、歴史に淘汰されないということは、それだけの強さがある台詞なのでしょうね。
私は小学生の時から、動物たちにお経を挙げてあげたいと思ってはいても、どのようにして僧侶になればいいのか分かりませんでしたから、自分なりの供養法というものがありました。
我が家の子たちにも、保護しても救えなかった子たちにも、道路で傷ついて横たわる子たちにも、「私の心にいらっしゃい」と魂のようなものがあるのなら、「私の中においで。私になって生きなさい。」と、動物たちの魂を自らの心に招き入れてきました。
何かを見るのであれば、この目を使っていいよ。
どこかに行くのであれば、この足を使っていいよ。
何かを得たいのなら、この手を使えばいいよ。
そのように言葉を手向け、撫でてあげることが私の供養法でした。
誰かに話せばバカにされるので、誰にも話さずに行ってきたことなのに、霊感の強い易者さんから「あなたの後ろに動物がいっぱいいる」と言われました。
私には見えないけど、私のことを知らない人から見えたのなら、やっぱり心と共にいるのでしょう。
易者さんに言われなかったとしても、私はそのようにしており、見えなくても信じておりました。
たとえ魂のようなものはなくとも、私が撫でてきた多くの命は、私になって生きております。
私の記憶として、私の手の感覚に、私の思考となり、私の人生に大いなる影響を及ぼし、私の生き様となって、みんなは心と共にあるのです。
ないのであれば、今の私は存在しません。
あの日出逢った日のことから、一緒に暮らした日々の姿や、最後の時のことまで、すべては私の中にあります。
目の前にある姿から、心の中にある姿へ、命の身姿を変えて魂となって、私の心と共に人生を歩んでおります。
私に心が無ければ、私の想いが途絶えていたら、私はお坊さんにはなっておりません。
動物たちのためにお経を!と出家して、存在し続けているということは、私の心と共にあるということでもあるのです。
私の心という目に見えないところで、共に人生を歩んでいるので姿は見せません。
目には見えないけど、心では見ることができます。
心と共にありますからね。
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私の著書:
「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社