一昨日、うちの景虎が倒れたのです。
ちょっと予兆があったのか、急にすりすり甘えてきて、「なに甘えているの~」と言っていたら、痙攣が始まり、歩けなくなり、足が伸びて倒れてしまい、あっという間の容態悪化に妻は泣きだすほどでした。
私は景虎を覆うように抱きかかえ、渾身の祈りを込めて手で体全体を撫でてあげ、私の生命力を削ってでも命の力を分け与える気持で、手に祈りを込めて手当を行いました。
そして、口では「大丈夫だよ。すぐに良くなるよ。お父さんを信じて。まだ大丈夫だよ」と声を掛けながらキスをしました。
心では一心に回復することを祈り、私の寿命を削ってでも、私の生命力を分け与え、元気になるよう神仏と取引をしておりました。
ちょっとすると落ち着いてきて、足の硬直や震えも収まり、まずは一安心です。
景虎も自分がどうなってしまったのかと不安みたいで、私から離れませんし、私も離れるつもりがありません。
寄り添う景虎を愛しく優しく撫でて、微笑でもって見守ります。
まさかの出来事だったので、妻は驚いて涙しておりましたけど、私は驚くというよりも、まだ大丈夫だからと信じて手当てするだけで、安静してからいつかはこういう日が来るのかと、しみじみ切なくなりました。
いつかはこんな感じでお別れする日がくるのかと思うと・・・
気持ちを改めて、
いつこんな日が訪れてもいいように、
毎日を、一時を、一瞬を大事にして、
後悔のないように、
共に生きて暮らしている日々を、
大いに謳歌しよう!
と心に留めました。
それにしてもとっさのことでしたから、祈りのお経や真言よりも、手当てや言葉が先になりましたね。
延命のお経してもよかったのにね。
薬師真言唱えてもよかったのにね。
僧侶としては、まだまだですね。。。
私は手当ての力を信じております。
痛いとところに手を当てることは自然な動作であり、人に備わった治癒行為だからです。
それに、自律神経を操作することによって手を温めることもできるから、手当てによる温熱効果により血行を良くすることになり、タッチによる同調効果で自然治癒力を引き出すことになり、気を送り込むハンドパワーによって総合的に補完できましょうから、私の信じている最高の補完医療を景虎に施しました。
お陰で、ちょっとすると元気・元気!
ボール咥えて遊んでとオネダリしてくるし、何だかおやつがほしいとオネダリしてくるしで、様子見のために落ち着かせることが優先するほどです。
古来より手をかざして治療することは、まじないじみておりましたが、現代医療では、手当て療法という補完医療としてヒーリング効果があることが認められております。
宗教のお話だと、手をかざすと痛みが消えたとか、歩けるようになったとか、そんな逸話がありますが、これらは逸話であって、信仰のある人が信仰する宗教者から手当てされたことにより、心が穏やかになり、痛みが緩和されたのであって、歩けるとの信念が歩行することにつながったということなのです。
小さい頃にだって、母親から「チチンプイプイ!いたいのいたいのとんでゆけ~」と痛いところをさすってもらい、この痛みが体から離れ飛んでゆく動作をされることで、そんな気になってくるように、手当て療法を行っていたのです。
ふつうに考えたって、お腹が痛いのに、頭に手を当てる人はおりますか?
あまりおりませんよね。
痛みが消えるよう手をかざすことで、
願いを言葉にして口にすることで、
心で信じて祈ることで、
3つの力を一つにするのですよ。
これ、仏教的には身口意の三業とでも言うのでしょうかね。