最近は無宗教という人が多くなってきましたが、信仰がないとは寂しいものです。
別に神を信じなさいとか、仏を信じなさいとか言っているのではなく、宗教や宗派なんてものではなく、そういったものを信仰することは自由でいいのですが、信じる者がないということが寂しいですよね。
だって、「いざ!」「ここぞ!」という時に他に頼るものがないのですよ。
自分を信じて頼りにするのは当然のことで、さらに他にも信じられる者があったら心強いですよね。
でも、無宗教ということは、そういうものは信じず、頼りにしないということです。
もし、神仏や守護者が実際にいたとしたら、どうなると思います?
普段から信じてくれる者が頼ってくれば、手を差し伸べてくれましょうけど、
普段から信じていない者が、この時だけ頼ってきても・・・・・と考えてしまいましょうね。
だったら、ある・なし、信じる・信じないではなく、
普段から信じる何かがあってもいいんじゃないの。
心の拠り所として、そんなものが心にあった方が、心にゆとりがあるというのではないでしょうか。
そんな何かがあっていいのです。
見えづらいから、効果の程が分かりづらいから、何も信じないのでしょうけど、実は多くの場面で、あなたを護る見えざる手が作用しているのですよ。
あなたが想う。先逝く者でもありましょう。
それはなにも、神仏とは限りません。
応援してくれる仲間であり、支えてくれる家族であり、愛する者であったりします。
よくスポーツ選手がファンの声援が力になったと言います。
これって、もう信仰ですよ。
(うわべで言っている人もおりましょうけどね)
無・宗教ではなく、個別・宗教ですよ。
私なんて、家を出る際に、妻に「頑張ってきてねー!」と見送られるだけで、もう安心してしまいますからね。
妻が応援してくれているから大丈夫!と私なんて女神信仰ですよ。
私なんて、多くの皆様方から応援されたり、感謝されたりして、よし頑張るぞ!となりますし、この宗教界を変えてやろー!なんて気になりますから、私には信仰心があるということです。
信仰心があるから、私だけでない、何者かの力が与えられ、一人では出来ないことができたりするのです。
そうそう、不思議なことに、妻が「今月お金がナイ!」と言うと、お金が巡ってくるのですよ!
私の信仰する女神様、すごい女神様でしょ!!
でもね。
慾張りすると叶わないのですよ。
何とか生活できる範囲までを叶えてくれるので、皆様は信仰しないでくださいね。