どうも歳を取ると忘れがちになるものです。
さっきまで話していたのに、違うことをして忘れてしまい、忘れないようにメモを取ろうと思いつつ、メモを取ることを忘れ、それすら忘れて、あれれ??となります。
「忘れる」ということは、脳力(能力)が衰えたと思う方が多いことでしょうけど、忘れることの効用だってあるのだから、悪いことではなく、もともと備わっている能力でもあるのです。
人は憶えるのは簡単なんですよ。
忘れることの方が難しいのです。
憶えようと思えば憶えることができますが、忘れようとしても忘れることはできないのです。
物事の道理かして、憶えたことを忘れてしまったら、命の危険にさらされるので、憶えたことは忘れないようになっており、大事なことを記憶するためにもその他の事を忘れ、追加で大事なことを憶えられるようになっているのですから、忘れてしまったことは仕方ないことです。
その忘れてしまったことが、時と場合、対する人によって、都合が悪くて困ったことになるだけです。
あっ、それが問題なんだっけ。。。
良い思い出と悪い思い出のどちらを記憶できるとしたら、どちらを記憶したいですか?
皆さんは良い思い出とお答えになりましょうけど、生理的機能としては悪い思い出を忘れないように出来ておりますからね。
悪いことは2度と経験したありませんので、どちらかと言えば、悪い方を記憶して、防衛するためにも忘れないようになっているのです。
だから、後悔した経験を忘れることが出来ないのですよ。
だから、失敗したことを忘れることが出来ないのですよ。
あの時の後悔、あの時の失敗、あの羞恥心、あの屈辱・・・etc.
忘れる能力があるのなら、このことを忘れたいものです。
でも、忘れられないということは、忘れてはいけないということで、大事な教えや教訓があるから、忘れたくても忘れないようになっているのです。
どちらかと言えば嫌な記憶ですから、嫌なままにしておくのは感情的な問題が伴いますので、考え方を変えてみて学びや気づき、教訓として、より良い記憶にして留めておくのが精神的に善い事かと思います。
物忘れをするという、忘れる能力が開花してきた私は、もしかしたら悟りに近いのかもしれない。。。
最後に、こんな話をするはずではなく、忘れ物で栄えるという話をしようとしていたのです。
リスは木のみを土の中に隠して後で食べようとします。
でも、隠した木の実を忘れて森は栄えてゆきます。
(省略:あとは自分で考えて)
私たちも自分で蒔いた種があることを忘れております。
(省略:あとは自分で考えて)
私たちも、忘れることによって、栄えることもありましょう。