先日、お客様からペットと一緒のお墓に入りたいと質問され、いいと思いますよ!とお答えしました。
その方が四十九日供養でいらして、菩提寺の住職さんに聞いたら、ダメと言われたそうです。。。
同じく屋根の下で一緒に暮らしてきたのに、どうして同じお墓に入れないのでしょ?
うちの子と呼ばれて人と同じように愛されてきたのに、どうしてお墓は別なのでしょ?
動物は天国の門をくぐれない。
動物は畜生道で行き先が違う。
同じくペットを飼っている宗教者でも見解は違います。
ある宗教者は、地球で育まれた命は皆同じだと言います。
ある宗教者は、亡くなったらみんな仏さまだと言います。
ある宗教者は、命あるものみな仏性を宿していると言います。
私という宗教者には、何がいけないことなのか分かりません。
普通に思っていることであり、違和感など感じたことがないだけに、どうして動物(ペット)となると、こうも考え方が違うんだろう。。。
私のお使えしていた修行寺の御前様は、「わしゃ、ええけどのぉ」と仰っておりましたし、修行寺に猫のお葬式を頼まれた際にも、「いつもと同じくお葬儀してあげなさい」と仰っておりましたけどね。
禅に精通した素晴らしい禅師様です。
虎の威を借りるのなら、私の御前様がいいと言ったから、いいのですよ!
(だって、宗派でとっても偉い人だったんだもん)
もし、あの世的にタブーなことなら、なんで私はお坊さんになれたのでしょう?
この世の道理としてダメなことであれば、私という僧侶は存在できないはず。。。
いろいろな見解があって、何が正解なのか正直分からなくなってしまいますよね。
でも、いろいろあっていい世界に私たちは生きているのですよ。
宗教や信教の自由な世界で生きているのですから、誰が何と言おうと自由なのです。
自由でいいのですから、自分が思うことを大事にした方がいいのです。
自由でいいのですから、自分が信じたいことに従った方がいいのです。
誰から言われたから…ではなく、あなたがどう思っているかですよ。
誰から言われたから…ではなく、あなたからどうされたら幸せなんでしょう。
想いのない人の言動よりも、想いのある人の言動がいいのだと思います。
宗教者が言ったら、何でも正しいことなの?
それなら、私も宗教者ですよ!
そのために、スーツから衣に、ネクタイからお袈裟に、長髪から坊主にしたのですよ。
私は昔から、いち飼い主でしかなく、今も、いち飼い主なのです。
出家したから変わったのではなく、出家する前から変わりません。
この世で違うのであるから、私はその違いをなくすべく僧侶になったのです。
あの世で違うのであるなら、私があの世に行ったら、世界を変えるべく、また立ち上がりますよ。
ペットと一緒でいい、あの世を作ればいいのですよ。
ペットと一緒に暮らせる、この世のように。
想いのある人が集まり、想いを確かなものにし、想いを叶えるようにすればいいのですよ。
誰かから言われた行いよりも、あなたから想われた行いが正しいのだと思います。
お骨のゆくえは、あなた次第。