なるほど
今日はこんな言葉の語源について見ました
「恋愛」
字とは全く良く出来ているものです
「恋」と言う字は
もつれた心の糸を解くことのできない状態
解こうと思っても、容易に分けられない
そんな心の状態を現しています
恋をしている最中は
自分では確かな目を持ってるつもりでも
盲目的なところがあるものです
そして、誰か特定の人に対する
「愛」
について
私の大好きな方がこう説かれてました
「愛と言われているものは
ある一人の対象に向かった
根深いところにある
エゴの欲求なのです」
個人的には何度も聞いたはずの言葉ですが
聞くたびに意味と理解の度が異なり
師の教えとは、いつも新たに聞くのと同じ心境で
聞くたびに腑に落ちていきます
よくよく見れば
そうなのです
多く言われてる「愛」とは
それは特定の誰かに向けた
自らも気づけない程
根深いところにあった
自分のエゴの欲求
そのもの
相手に何を求めているのか自らは気づいておらず
無意識のうちについ口から出た言葉が
その欲求を語ってたりします
その為、相手が自分の理想の投影と異なる様相を見た時は
相手からダメージを受けたとショックを受けたりする
そうなったとき
他の異性や物事に慰めを求め
エゴの欲求の矛先を変える事を妄想し
若しくは実行する
しかし
それは矛先が変わっただけのこと
これが念頭に浮かぶということは
相手を愛してるという綺麗な思考と言葉に隠れた
「ある一人の対象に向かった
根深いところにある
自らのエゴの欲求なのです」
もしかしたら相手とは誰でも構わないのかもしれない
何故ならエゴは、エゴの欲求を満たしてくれそうな
相手を見つけて、一時的で長期的であれ充足を計るので
満たしてくれなそうになれば、又他の外部に求め始めるのです
また、他の例で見ると
相手との心の結びつきを求めた深いところに
根ざした愛を求めている場合
心の安らぎと結びつきを求め
相手に純真な愛を持っていると何故か疑いを持たない
浮気などは到底考えつかない人もいる
しかし、それが
相手が自分へ「理想の異性」を求めてた投影だった場合、
それを知れば役割を演じる必要性が出るか
遅かれ早かれ心の破綻を招く事もある
また、そこで問題が生じるなら
相手が他の異性へと関係性を求めた事などを知った時
それまで深みすら感じていた愛も一気に色あせてしまい
2人の関係は恐らく終わってしまう可能性すらある
それは取りも直さず
「愛」をある一人の対象に向けて見ている
根深いところにある
2人で純真な愛を育むと言う
自己のエゴの欲求
そのものなのである事を示唆してる
つまり、それも相手へ理想を投影している状態である
もし、それがエゴの欲求のない処の「愛」ならば
相手が自分以外の誰を愛そうが関係を持とうが
何をしようがされようが
相手ががっかりする言動をしようが
それにより傷ついたと言う考えと心が浮上しようが
自らは、その状態でも相手へ
変わらぬ「愛」を想い、放出しているはずで
相手が悲しむであろう言動・行動など考えても掴まず
利己的な自己充足感への想いに走る事は無いでしょう
それをするのは、どちらも
外部(特定の相手)に理想を求めていると言う事
自らの不足感や欠陥・不完全さを
相手に埋めてもらうことを求めてる状態
しかし
残念なことに
いくら求めてもそれは
相手を変えてもそれは
埋まることは無い
何故なら
「愛と言われているものは
ある一人の対象に向かった
根深いところにある
エゴの欲求なのですから」
今日はこんな言葉の語源について見ました
「恋愛」
字とは全く良く出来ているものです
「恋」と言う字は
もつれた心の糸を解くことのできない状態
解こうと思っても、容易に分けられない
そんな心の状態を現しています
恋をしている最中は
自分では確かな目を持ってるつもりでも
盲目的なところがあるものです
そして、誰か特定の人に対する
「愛」
について
私の大好きな方がこう説かれてました
「愛と言われているものは
ある一人の対象に向かった
根深いところにある
エゴの欲求なのです」
個人的には何度も聞いたはずの言葉ですが
聞くたびに意味と理解の度が異なり
師の教えとは、いつも新たに聞くのと同じ心境で
聞くたびに腑に落ちていきます
よくよく見れば
そうなのです
多く言われてる「愛」とは
それは特定の誰かに向けた
自らも気づけない程
根深いところにあった
自分のエゴの欲求
そのもの
相手に何を求めているのか自らは気づいておらず
無意識のうちについ口から出た言葉が
その欲求を語ってたりします
その為、相手が自分の理想の投影と異なる様相を見た時は
相手からダメージを受けたとショックを受けたりする
そうなったとき
他の異性や物事に慰めを求め
エゴの欲求の矛先を変える事を妄想し
若しくは実行する
しかし
それは矛先が変わっただけのこと
これが念頭に浮かぶということは
相手を愛してるという綺麗な思考と言葉に隠れた
「ある一人の対象に向かった
根深いところにある
自らのエゴの欲求なのです」
もしかしたら相手とは誰でも構わないのかもしれない
何故ならエゴは、エゴの欲求を満たしてくれそうな
相手を見つけて、一時的で長期的であれ充足を計るので
満たしてくれなそうになれば、又他の外部に求め始めるのです
また、他の例で見ると
相手との心の結びつきを求めた深いところに
根ざした愛を求めている場合
心の安らぎと結びつきを求め
相手に純真な愛を持っていると何故か疑いを持たない
浮気などは到底考えつかない人もいる
しかし、それが
相手が自分へ「理想の異性」を求めてた投影だった場合、
それを知れば役割を演じる必要性が出るか
遅かれ早かれ心の破綻を招く事もある
また、そこで問題が生じるなら
相手が他の異性へと関係性を求めた事などを知った時
それまで深みすら感じていた愛も一気に色あせてしまい
2人の関係は恐らく終わってしまう可能性すらある
それは取りも直さず
「愛」をある一人の対象に向けて見ている
根深いところにある
2人で純真な愛を育むと言う
自己のエゴの欲求
そのものなのである事を示唆してる
つまり、それも相手へ理想を投影している状態である
もし、それがエゴの欲求のない処の「愛」ならば
相手が自分以外の誰を愛そうが関係を持とうが
何をしようがされようが
相手ががっかりする言動をしようが
それにより傷ついたと言う考えと心が浮上しようが
自らは、その状態でも相手へ
変わらぬ「愛」を想い、放出しているはずで
相手が悲しむであろう言動・行動など考えても掴まず
利己的な自己充足感への想いに走る事は無いでしょう
それをするのは、どちらも
外部(特定の相手)に理想を求めていると言う事
自らの不足感や欠陥・不完全さを
相手に埋めてもらうことを求めてる状態
しかし
残念なことに
いくら求めてもそれは
相手を変えてもそれは
埋まることは無い
何故なら
「愛と言われているものは
ある一人の対象に向かった
根深いところにある
エゴの欲求なのですから」