ある日、久しぶりに
兄にレストランに連れて行って貰った時の事

あまりの感動に涙を流した事があります


人生で、もう何十回?何百回行ったかもしれない
今や日本全国でよくあるファミリーレストランで(笑

そうです。皆さん、当たり前に日常目にしたり
よく行ったりする様な場所です


入口を入った瞬間に、驚きのあまり
うわぁ・・・と思ったのを覚えてます

子供が、夢に見てたおとぎの国の扉を開けて
中に入っちゃった様な感じです
大げさに聞こえるけど、大真面目で
それくらいの体感と空気感


とにかく、どこを見ても
キラキラキラキラと

輝いて暖かいものに包まれて
夢の中の世界を歩いてる感じで


その夢の中の世界の人たちは
どんな風なのか見てみたくて
そぉっと覗いてみました

家族と・恋人と・友達と
何やらお話しながら、美味しそうに食べながら
笑ってとても幸せな顔をしています

まるで違う宇宙の知らないレストランに入ったかの様に
その人たちの顔や空気感を目を丸くして眺め

眩しいくらいのキラキラした輝きに
おとぎの世界をふわふわと歩いて行って席に着き
ボーッとそこに包まれたのを覚えてます


「兄ちゃん、レストランってすごいや、
 ね、ここすごいね、輝いてるよ」

「・・・みんな楽しそうに笑ってるよ」

「・・・みんな幸せな顔してる」

「好きな人と、好きな食べ物を食べて、好きな会話してる」


そう呟いた後、ご飯が運ばれても
胸がいっぱいで
まず涙を流しました

お腹はいっぱいではありませんでしたから
しっかり食べてきました(笑


特別綺麗な訳でもなく
特別洒落てる訳でもない
よく見るファミレス


特別変わってるとしたら
その時の私と私をとりまく生活環境でした


当たり前なんて感じてたことが
当たり前なんて何処にも無かった


数ヶ月前の当たり前は
今日の奇跡になっていた(笑


あまりに当然のように
ありがたい今を常に過ごしている


でもそれに気づかず
今に過ごしていなかったから
常に見過ごしていたのだろう


気づかせてくれた全てに
ありがとう






























































シャボン玉は

膨らますと綺麗な色と景色を映し出しながら
ふわふわっと空を浮かび
ポンと消える

一つのシャボンが消えても
悲しくて泣いたりはしない


生まれたての私と言う泡の玉は
両親の笑顔と祖母と周囲の祝福を映し出し、消えた

5歳の私と言う泡の玉は
家族や友達や昭和の町並みを映し出し、消えた

中学生の私と言う泡の玉は
朝から晩までテニス漬けと言うものを映し出し、消えた

数年前の私と言う泡の玉は
親と言う体験をする平成の世界を映し出し、消えた


その泡は

どれも違う町並みを映し
どれも違う人々を映し
どれも違う気持ちで映し
どれも違う性格で移してる


一度たりとも、同じ泡だった事は無い

そして、今見ている泡もいずれ消える


今が楽しくてあまりに幸せに思えても
今が苦しくてあまりに不幸せに思えても


いずれ消えゆく泡である














私は未だ幼い子供にこんな事を話しました

私もそうだし、大人はね

きっと子供から見たら凄くて偉くて
完璧に見えるかもしれないけど

全然そんな事ないんだよ
「完璧な人」なんてそもそもいないしね

むしろ、まだ君のように幼い子の方が
よっぽど心が素晴らしくてね
ママにとっては先生なんだよ

いつも沢山の素晴らしいものを再発見させてもらって
沢山の素敵な事を教えてもらってます
君に感謝してるよ、ありがとうございます(笑

大人はあれが出来るから、これが出来るからなんて
大概、大したことでもないんだよ
今見てる多くの大人が出来ていることは
大きくなってくれば自然と出来る様になってるさね(笑


怒って何かをさせられたり
決めつけられたり
やりなさいと言われたり

とても理不尽な事も
言われることもあるかもしれない
既に何度かあったよね(笑

いつしかもっと大きくなった時に

あれ?大人って偉いと思ってたけど
言ってること全然・・理不尽じゃない?

あれ?僕らには怒ったりしてるくせに
自分だって同じことやってるじゃない

あれ?もしかしてうちの親、あの先生、
全然大した事ないんじゃない?

なんて思うこともあると思うよ(笑

でもね、そんな風に大した事ないと感じたならば
同じように怒ったり恨んだりしては良くないよ

その人のそう言う一側面を見ただけなのだから
それで判断するのも偏った目になるしね

確かに誰かさんの嫌な一側面を見たかもしれないけど
だからと言って、君まで影響される事はないんだよ

自分のその綺麗な心を曇らせてはいけないよ

大切な時間を嫌な人の事ばかり考えて過ごしたり
好きな事や人を思うより、その人の事を想ってばかりいるのも
馬鹿げた話でしょ(笑?


大人と言う体の皮と
子供と言う体の皮を
脱いでしまうことが出来たなら

果たして、どの子供が大人で
どの大人が子供なのか
解らなくなるかもしれないね(笑
むしろある大人は子供と言うより動物的だったりして

お母さん、体の皮脱いだら中身は
豚だった!!みたいなね(笑

でね、親に・先生に・大人にがっかりしたり
反発したくなる事もあるかもしれないけど

怒りや悲しみを感じるのはいいけどね
それを感じきったら手放して

そこから学んだ事に感謝しちゃえばいいだけだよ

だってさ、

こんな大人になりたくない
こんな親はがっかりだ

って思われる程嫌な大人になるには
どう言う言葉や態度をとったらそう思われるのか
その大人はわざわざ人に嫌われながら、目の前で
お手本を見せてくれたじゃない


同時に、どうすれば逆に人が喜んでくれるのかが
体験して感じたからこそ、よーく解ったでしょ

相手が喜んでくれるだろうって言葉や行動は
その時、君が大人たちにして欲しいと
感じたことなのだからね

自分がどう言う人でありたいのかが

その体験のおかげで
よく解ったでしょ?

その人はわざわざ君に嫌われる様な事をして
解りやすく教えて貰えたでしょ(笑?

するとさ、そうか、僕どう言う人になりたいか
よくわかったよ。ありがとね♪ 

ってなるでしょ(笑


・・・こんな話、

幼い子供に通じるわけ無い!なんて
思わないからうちではバンバン話します(笑

もう少し解りやすく例え話を入れて
噛み砕いて話したりはしますが

こんな話を聞いている子どもはと言うと、

この手の話は大好きです(笑

もっとして、もっとしてと
せがまれます(笑

やーだー、もぉ飽きたー
めんどくさいー

と早速がっかりな親になります(笑

しかし何故か子どもは

そのダメっぷりに大ウケして喜ぶと言う

大人っぷりです(笑















































































私にとって最愛の息子は

「預かりし宝物」です

私の体から産まれ出ては来ましたが

「私のもの」ではありません

「私」は「彼」を

尊敬し尊重しサポートに専念してるのみです

共にいる喜びをいつも頂いてる
ありがたい大切な「人」です


さて、これを「私のもの」と所有化してしまうと
「私」にとって都合が悪くなった途端に

怒りが生まれます
苦しみが生まれます
欲求にまみれてしまいます

そう考えられ行動された子供はと言うと

ありのままでいられなくなります
自由が無くなり、息苦しくなります
心を閉ざしてやる気が少なくなり反発を覚えます
それでも親が大好きなので、我慢を覚え従おうとします
「私の都合」と言う親の世界で物事を見て行動しようとします

「私の都合」で動かされていれば
いつしか反発を覚え、心を閉ざすのも至極当然

それで「うちの子に限って」とか
「こんな子じゃかなったのに」
なんていう言葉がでるのでしょう

学校や習い事の成績や順位や試験の結果に
子供の素行や考え方に

「私のもの」として私利私欲で接していたり
「私のもの」として願望投影の場と化していたり
「私の夢を果たす代理」として動かそうとしていたりすると

「私にとって都合の良い」結果が出なかったときに
怒ったり、がっかりしたり、それを子供にぶつけたりします

それは「私の都合が良く感じる通りに動かなかったな!!」と
それなら腹を立てるぞ、がっかりするよと言ってるのです

何という独裁者ぶりでしょう(笑

言われなくても解ってるよ、だって
私が一番悔しい思いをしてるんだもん

そんなに怒ることないでしょ、これでも僕
がんばったんだよ、なのに解ってくれないんだね

そんな切なる心の声すら
見えなくなってしまうのです


子供を授かった時に思ったはずです

「無事に元気に生まれてきてくれればそれでいい」と

子供が産まれて高熱などで苦しんでる時に思ったはずです

「どうか、早く元気になってくれます様に」

「あなたの苦しむ姿は見たくない
 元気でいてくれればそれでいい
 早く元気な笑顔がみたいよ」と

その子供への想いに「私」の所有化はありません
その時の「私」は純粋に子供を育てていたのです

もし、その時感じた

「あなたの苦しむ姿は見たくない」と言う現実

これをもし、今、「私自身」が作り出していたとしたら
「私」が子供を「所有物」と考えることにより
子供の苦しむ姿を作り出していたとしたら

ぞっとする話しですよね(笑


・・あれ?この話し、どこかで聞いたことありますね(笑





















私にとって最愛の彼は
長年の付き合いで共に紆余曲折を乗り越え続け
いつも心を共にし、とても近しい人ですが

「私のもの」ではありません

 私は彼を

尊敬し尊重しサポートを試みるのみです

共にいる喜びをいつも頂いてる
ありがたい大切な「人」です

「私が生涯共に愛を近くで感じあいたい人」
 なのであって

「私の彼」(私のもの)ではありません


さて、これを「私のもの」と所有化してしまうと
「私」にとって都合が悪くなった途端に

怒りが生まれます
苦しみが生まれます
欲求にまみれてしまいます

そう考えられ行動された相手はと言うと

ありのままでいられなくなります
自由が無くなり、息苦しくなります
心を閉ざしてやる気が少なくなり反発を覚えます
2人でいる事、自らの価値などに疑問を感じたりします

「私の都合」で見られていれば
いつしか反発を覚え、心を閉ざすのも至極当然

それで「私・俺の事を本当に好きじゃないんだ」とか
「こんな人とは思わなかった」
なんていう言葉がでるのでしょう

相手の言葉や言動に
相手の考え方や思いに

「私のもの」として私利私欲で接していたり
「私のもの」として願望投影の場と化していたり
「私の夢を果たす代理」として動かそうとしていたりすると

「私にとって都合の良い」結果が出なかったときに
怒ったり、がっかりしたり、幻滅したり、愚痴が出たりします

それは「私の都合が良く感じる通りに動かなかったな!!」と
それなら腹を立てるぞ、がっかりするよと言ってるのです

何という独裁者ぶりでしょう(笑


相手を好きになった頃、思ったはずです

「私と少し違うところが魅力的だな」と

付き合い始めの頃、結婚したばかりの頃に
思ったのではないでしょうか

「一緒にいたいな、一緒にいると落ち着くな」

「出来れば、あなたの苦しむ姿は見たくない
 笑顔をみていたいよ、どんな時も隣にいたいよ」と

その時の相手への想いに「私の所有化」はなかったはずです
その時の「私」は純粋に相手の幸せを思ったはずです

しかし、その時に感じた

「あなたの苦しむ姿は見たくない」と言う現実

これをもし、今、「私自身」が作り出していたとしたら
「私」が相手を「所有物」と考えることにより
相手が悩み苦しむ姿を作り出していたとしたら・・・


ぞっとする話しですよね(笑























正義感を振りかざす人

と聞くと、どの様なイメージを浮かべますか
誰かの事を思い浮かべたりしてるでしょうか

人が誰かを嫌っていたり、怒りを感じていたり
見下していたり、不平不満を思っていたりして
心を打ち明けられる相手にそれを語ってる時

その人は「自分の考え方が正しい」と言う
物語の上で、語っているはずです

実は、多くの人が自らの正義を
日常茶飯事の様に唱えているのですね

しかし、その人にとってはその人の考え方が正義なのですが
その対象の人にとっては、その対象の人の考え方が正義です

多くの人は自らの正義の元に動いてるのではないでしょうか

どちらの人も「自分が正しい」と思ってます
若しくは部分的に悪いと感じてても「でもね」と
他の部分で正当性を見出してる事でしょう

しかし、それはどちらも
正義ではありません

自分は善で相手は悪だ
自分は正しく相手は間違っている

その様な考え方のどこが正義なのでしょう


文字をよく見ると

「正しい+義」と書いてあります

原意は正しい行いを遵守すること
利(欲望を追求すること)と対立するとされ
孟子は「悪行を恥じる心のこと」と説いたそうです

どちらが正しい正しくない
悪いのは誰か、誰のせいなのか
どちらが上で下なのか

その様な言葉の中に
正義は見いだせません

心で悪行を言葉で悪行を重ねる事を
恥じて改め正しい行いをする事に

平和が訪れます














































親愛なる・・・


あなたを見てると、顔がほころびます

あなたを見てると、穏やかで優しさに包まれます

あなたを見てると、陽だまりみたいに暖かいのです

あなたを見てると、笑いがいっぱいです

あなたを見てると、愛が溢れてその行動をとりたくなるのです


あなたを見てると、驚かされます

怒りをぶつけられても理不尽な事が起きても
その相手を恨むことも憎むことも皮肉を言う事も無く
次の瞬間には嫌な事を持ち越さずに愛を表してくれるのですから

とても寂しい思いをさせられても
不平不満を言うことなく、怒ることも無く
また逢えた事に限りない喜びで表してくれるのですから

一寸前に注意されたばかりなのに
ケロッとした顔で、盗み食いしようとするのですから


あなたは

素直に好きと表現し
素直に嬉しいと全身で伝え
素直に楽しみ喜び
お茶目にちょっとイタズラをし
幾つになっても無邪気なんですね


あなたは過去などに縛られず
あなたは未来などを切望しない

その大きな瞳は
もう見えていないのですね

でも一度も不服に思う事なく
それを受け入れて平然と生きるのですね

あなたはいつも
あるがままを受け入れて
あるがままにいてくれます

そんなあなたを想うと
涙がでるほど
ありがとうなんです

いつも本当にありがとう
一緒にいれることが本当に幸せなんですよ
共にいる今を精一杯感じましょうね


親愛なる、愛犬さん























私が目に見えている世界は

すぐ隣にいる人と
全く同じ光景には見えていません

誰かと同じ海の景色を見ていても
同じ部屋で同じ席に座っていても

大小の差はあれど
私と違う光景を
側にいる人は見ています

だから

私が見えているものと全く同じ世界を
同じように感じながら相手も見ている
なんて考えがあると

「えっ?気づいてなかったの?」
「えっ?見えてなかったの?」

なんて驚いたりする事もあるでしょう

それは何も見えている物に
限った話ではありません

私は以前、こんな経験をした事があります

ある知人が、職場であった出来事について
話し始めました

その頃、その職場内の話はその人からよく
耳にしていたのです

ある日、後輩が知人に対して
とても嫌味で陰険な嫌がらせをしたと
その人は憤慨して話し始めました

しかし、その話を一通り聞いた私の解釈は
知人と全く真逆のものでした

それは、その後輩から知人へ対する
親切・思いやる心から出た配慮ある
言葉と行動だったと思えたのです

実際にその場を見た訳でもないので
あくまで私の個人的な聞いたことに対しての
ものの見方として、その事を伝えました

すると、知人は一瞬で別人格になりました

さっきまで憤慨して興奮していたのが
一気に落ち着いて、普段の状態に戻り
「そう言う事だったのか・・・」と
「悪い事をしたな」と反省をしだしたのです
1秒前と同じ人とは思えない様子でした

このお話の「後輩」は
ある一人の人物を指していますが

知人は知人の心の投影としてのその人を見、
私は私の心の投影としてのその人を見ます


それの繰り返しです

同じ人や物を見ても
人によって全く解釈が異なるのです

ある人と出会った時
人によっては好意的に思え
人によっては嫌いと思え

ある人の一つの行為に対し
人によっては評価をし
人によっては反感を抱き

何故、同じものを見てるはずなのに
見えているものが違うのか

それは


見えているものは
同じではないからです

見えているものは
あなたの投影だからです


















































もはや、この時期になると年中行事

我が家は子供がいるので
お母さん同士の間で
こんな会話が飛び交う

予防接種を受けた?
どこの病院行く?
幾らかかる?(笑
近辺の学校の羅患者数は?

流行りを怖がり
不安に思って心配し
金銭的な不服を思い
仕方ないよねと、義務のように感じてる

私はその話をただ笑顔で聞いている

しかし、物事には白があれば黒もあるし
その間にも沢山の情報と判断材料はあるよ
と伝えている

流行りに浸かりきらないで
世間の情報に浸かりきらないで
集団心理に浸かりきらないで

それも、ある出来事に対して
たった一部分を見てるだけかもしれないと

他の多様な角度から見てみると
全く考えつかなかった姿も見えたりする

木を見て森を見ず
そんな状態が色濃ければ
不安にも陥りやすいでしょう

おぼろげでも森の全体的な多様な部分が見えれば
自らの進みたい道筋は決まるはずです

不安に思う必要も
不平を思う必要も無く

自分がどうしたいかが
見えてくる事でしょう






















先日、恋愛について書いてみました

「身も蓋もない」と思える内容だった事でしょう(笑


特定の相手に対しての愛と言うお話でしたね


恋愛について、周りを見渡して
おかしいな?と思ったことはありませんか?

あなたの周りにいるカップルや夫婦・お父さん・お母さんもかな!?

数年~数十年前まではラブラブで
パートナーを褒めたり幸せを語っていたはずなのに

今や、褒め言葉より愚痴やけなし言葉の方が多い人
実に多くありませんか

もし、少しでも自らに心当たりがあるのなら
心当たりなど無くても、時々はこんな事を考えてみると
本当のあなた自身の想いが見えてくるかもしれません


突然ですが、
「自分は今夜の眠りを限りに、この体は終焉を迎える」
と本気でその気になってみては如何でしょう


今晩で最後なら、あなたはパートナーにどの言葉を伝えるでしょう
今晩で最後なら、どんな夕食を誰と食べましょう
今晩で最後なら、どこに居たいでしょう
今晩で最後なら、何がしたいでしょう


相手の、直して欲しい所を指摘しまくって
相手を思う存分傷つけようとするでしょうか

相手の腹立たしいところを最後まで頭で考え
キリキリした気持ちで最後を迎えたいでしょうか

散財して欲を満たしまくろうとするでしょうか

果たして本当に、そう言った
自己満足に魅力を感じるでしょうか


恐らくは、残りが本当に数時間なら

相手の欠点なんて考えようとしないで
今までの感謝の状況や想いが走馬灯のように
浮かぶのではないでしょうか

出会ったとき、ときめいた頃、旅行に行ったとき
相手があんなドジをして2人で笑ってしまったとき・・

忘れていた想いも、思い出も溢れ出て
何故今、私がこんな生活が出来てるのかも
客観的に見ることになるのではないでしょうか

あの人の事、最近はこんなに忌々しく思えてたけど
本当はあの人なりに、頑張ってくれてたんだよね
あの不器用さが実直で好きだったはずなのに・・

あの子、何もやってくれないなんて思ってたけど
本当はあんな時・こんな時、いつも側で
支えててくれたてじゃないか・・・


こんな感じで
あなたの本質的な部分なのに隠されてしまってた
目と想いが感じ取れるのではないでしょうか


そして多くの人は
「感謝と愛と許し」の気持ちを
伝えたいと思うのでは無いでしょうか

最後は大切な人に囲まれて
その笑顔を見たいと思うのでは無いでしょうか
相手の幸せを願うのでは無いでしょうか


その純粋なあなた自身を感じることが出来たなら
もう隠すことなく、それを遮ることなく
その美しい目で、相手にその想いを伝えてみて下さい

恥ずかしくて口に出せないと言うのなら
心の中で伝えているだけでも違います

その時、エゴの欲求だけではない
あなたの本質的な愛が

出てくるかもしれませんね